第17話 ランとタギの日々 4

 ランの言葉に今度はタギが笑顔を見せた。どこかほっとしたような雰囲気もあった。


「目をつぶって」

「えっ?」

「目をつぶって」


 タギが同じ言葉を繰り返した。訳が分からなかったが、ランは素直に目をつぶった。帽子が脱がされ、代わりに頭の上にふわっと掛かってくるものがあった。


「目を開けていいよ」


 目の前に何かが被さっていた。手を持って行ってそれがレースのベールであることに気づいた。レース越しに、緊張した顔のタギがみえた。


「タギ、何これ?」


 ランに向かいあったタギがごくりとつばを呑むのが分かった。


「ラン、私の後から繰り返して、自分の立場に置き換えて。いい?」


 タギが何をしようとしているのかまだランには分からなかった。でもタギの言うことに逆らう気はなかった。ランはごく素直に頷いた。


「私、タギ・リーナス・シェイナは」


 タギが眼で促した。ランは訳が分からないままタギの言う通り、名前のところを自分の名前に置き換えて繰り返した。


「私、ラン・クローディア・アペルは」

 

タギがすぐに続けた。


「ラン・クローディア・アペルを伴侶とし、如何なる時にも如何なる所でもその傍らに居て」


 えっ?

 これはいったい何?

 タギは何を言っているの?

 これは結婚の誓いではないの?

 私、私いったいどうすればいいの?

 ランは眼を丸くしてタギを見つめた。タギがふざけているのではないことはすぐに分かった。これまで見たことがないほど真剣な眼差しでランを見ていた。そうだわ、繰り返すのだわ。タギの言ったことを、自分の立場に置き換えて。


「タギ・リーナス・シェイナを伴侶とし、如何なる時にも如何なる所でもその傍らに居て」


 これでいいのかしら?


「死が二人を分かつまで共に歩むことを誓う」

「死が、二人を、分かつまで、共に歩むことを・・・・誓う」


 涙が出てきた。胸が詰まってそれ以上何も言えなかった。

 タギがそっとベールを持ち上げた。そしてランの唇に軽く唇を付けた。後から後から涙が出てきた。

 タギがランの左手を取った。その薬指を伸ばして指輪を滑らせるようにはめた。金の指輪が陽の光を受けてきらきらと光った。不思議そうな顔でタギを見つめるランに、


「私の国の習慣だ。結婚の約束に指輪を送るんだ。両方から」

「私、指輪なんて用意してないわ。だって不意打ちなんだもの」

 

ランが唇を尖らせた。それが習慣なら、私もタギに指輪を贈りたい。


「それは次の機会にしよう。今はランが指輪を受け入れてくれただけで十分だ」


 ランがほほえんだ。頬に涙の筋を付けたまま嬉しそうに笑ってみせた。


「自信が無かったんだ。本当にランが私のことを好いていてくれるのかどうか。これからもずっとそうでいてくれるのか」


 ― 本当には人に係わったことがなかったから、・・・本気で人を愛したことも憎んだこともなかったから、ランと会うまでは。

 ランは真っ直ぐにタギを見た。それならはっきり言っておかなければならなかった。


「私、タギが好きです。最初会ったときからずっと好きだったし、これからだってずっと」

「ラン・・・・」


 ランがタギに抱きついた。タギも抱き返した。見つめ合った眼の中にお互いの姿が見えた。この瞬間、世界中に二人だけがいれば、タギにとってランが、ランにとってタギがいれば良かった。


「ねっ、タギ?タギ・リーナス・シェイナっていうの?タギの名前?」

「そう。私の名前だ。ランと会うまで忘れていたけれどね」

「私と会って想いだしたの?」

「そう。ランと会うまではタギだけでよかった。でも・・・・、今は必要だろう?」


 ランは頷いた。タギの名前が自分に関わってくるのだ。


「私はどういう名になるのかしら?ラン・クローディア・アペル・シェイナ?ラン・クローディア・シェイナ?」

「どちらでもランの好きな方を使えばいいよ」


 ちがうの、タギの好きな方を使いたいの。アペルの名前を捨ててもいいし、タギがタギという名だけを使うのなら、私はランだけでも構わない。そう、今から私はラン・シェイナだ。

(・・ラン・シェイナ・・)

 ランは何度かその名前を口の中で転がした。


 陽はまだ高かった。梢をわたってくる風は涼しかったが、中天にかかった夏の終わりの太陽はじりじりと焼きつけるように照っていた。その晩夏の陽のもとで一組の男女が誓約をかわした。この先共に歩んでいくことを。その成立を証言するものは誰もいず、祝福するものさえいなかったが二人はかまわなかった。二人の間で一旦口にした約束は取り消すことも訂正することもできなかった。その必要も感じていなかった。だれが聞いていても、だれも聞いていなくても同じだった。タギはこちらの世界では、できるだけ人と深く関わらないようにして生きてきたし、ランは関わりのある人を全部亡くしていた。孤独で、その孤独を互いの存在の所為もあり、苦にもしていなかった二人が結びついたとき、それは純粋に二人だけの問題でしかなかった。







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