第17話 ランとタギの日々 3

「ラン」


 朝食を食べながらそんなことを考えていたランは、いきなりタギに声をかけられてびっくりしたように顔を上げた。


「朝ご飯が終わったら、ちょっと出かけようか?」

「えっ?」

「マルシアに頼んでお昼を作ってもらって、レリアンの外へ行ってみないか?天気も良さそうだし、今日は特にすることもないし、少しのんびりしたいから」


 突然の提案だったが、ランは熱心に頷いた。ピクニックに行くことでも何でも良かった。タギと一緒にいられるなら。


「はい。でも少し待って、部屋を片づけてしまうから。洗濯もしなければいけないし」


 タギが頷きかえした。



 結局『蒼い仔馬亭』をでたのは陽も高くなってからだった。ランが強引にタギの着ているものを脱がせて洗濯したからだ。タギは多少抵抗したが、無駄だった。確かにアラクノイ達との戦いの間、ほぼ着た切り雀だったから、タギの服はきれいとは言い難かったが、これまでならランはそんなに気にしなかったはずだった。なんだか急に様子の変わったランの迫力に負けて、タギは渋々と着替えた。

 意気揚々とタギの服や、シーツを持って降りて来て洗濯を始めたランを見て、マルシアがからかった。


「すっかり、世話女房だね」


 ランは赤くなったが、マルシアに反論するだけの余裕もでるようになっていた。


「だって、タギに清潔な服を着てもらいたいもの。タギ自身はそんなこと気にしないから、私が気にしなければいけないと思うの。それに私、本当に気になるようになったのだもの」

「確かにその通りだね、タギにそう言ってくれる女ができたってのはいいことだと思うよ」


 ランはますます赤くなったが、洗濯をする手を休めはしなかった。





 林の間の曲がりくねった道を登った後で、急に眺望の開けた場所に出た。


「うわぁ」


 ランは思わず声を上げた。北に市壁に囲まれたレリアンの町、市壁の外に広がる手入れされた沃野、その遙か東、北にある深い森と、北に延々と連なるアルヴォン大山塊、そして沃野の東に遠く見えているのが、北から南に流れる大河、オービ川だった。オービ川のさらに東には地平線を霞ませて広々とシス・ペイロスの平原が見えていた。北グルザール平原の一番北にあるレリアーノ伯爵領だった。タギとランが上ってきた山は、それほど高い山ではなかったが、北グルザール平原の中にぽつんと突き出ていて、四方にすばらしい眺めを誇っていた。

 背伸びしても眺望は変わらないはずだが、それでもランは精一杯に背伸びして辺りを見回した。朝の服の上に薄い長袖の、丈の短い上着を重ね、つば広のストローハットを被ったランの影が足元の草の上に落ちていた。


「ずいぶん遠くまで見えるのね!それにレリアンの町が全部見えるわ」

「あそこはね、平原の中にある町だから、攻撃に対しては弱い。レリアーノ伯爵は敵が、この場合はセシエ公だけれど、攻めてきたら北に作ったゼランダの城で抵抗するつもりのようだね」


 タギがその場の雰囲気にそぐわない頓珍漢なことを言った。ランは気にしなかった。タギと同じ場所にいて、同じものを見ている、それだけで十分だった。カーナヴィーを出てからずっとタギと一緒だった。タギと一緒にいるときはそれがそんなに貴重なことだとは気づかなかった。否応もなくタギと何ヶ月か離れて、それを思い知らされた。タギと一緒にいる時間の一瞬一瞬が、とても大事なのだ。


「ラン」


 呼びかけられてタギの方を向いた。タギがその景色を見ながら口を開いた


「私の生まれ育ったところにはこんな景色はなかった。こんな豊かな景色はね」


 タギの口調が変わっていた。目が遠くを見ていた。ランは居住まいを正した。タギは何かを告げようとしている。


「市の外へ出れば雑草も生えない石ころだらけの土獏だった。かろうじて人が住んでいる市域だけが、緑を持っていた。私はそこで戦うために生まれた。本当を言えば他の人もそうだったんだけれどね、あそこでは“敵”と戦う以外に生きていく術はなかったんだから。でも他の人は戦うこと以外のこともしていた。戦いだけでは人は生きられないものらしいから。その中で私は、私と私の仲間の『戦士』は戦うためだけに、いわば作られて生まれた。だから、・・だからここに来ても私はそれ以外のことができない。私の存在はこの世界では異質で、なじまない・・・。だからできるだけひっそりと生きて、死んでいくつもりだった」

「それなら私も、 ― 私もタギの傍らでひっそりと生きて、死んでいくわ」


 ランも思い切って口を挟んだ。タギの話の中に自分が入れなくなるのが不安だった。タギの生まれ育ったところ、そこにランがいなかったのは確実だったから。ランの言葉を聞いて、タギが正面からランをみた。


「ランが良ければ、一緒に生きていこうと思う。ランを幸せにできるかどうか分からないけれど、ランが側にいてくれれば私は嬉しい」


 ランがにっこりと笑った。本当に嬉しそうに笑って見せた。帽子の影になっていてもランの眼はきらきらと光っていた。笑顔の口元から見える白い歯が眩しかった。


「タギと一緒にいなければ私は不幸よ。それだけは確かだわ」




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