第18話 王都争乱 1章 セシエ公館襲撃 3

 普段見かけるカリキウスは、セシエ公を襲撃するような行動に出るなどとはとても見えなかった。セシエ公のやり方に憤っているような様子もなかったし、ミランダのような身分の者にも威張り散らすこともなく穏やかに接していた。黙々と、フィオレンティーナ女王のどちらかというと私的な側近として、その側に居た。ナザイスが公的な側近―宰相―であり、カリキウスが私的な側近―執事―である、とミランダは思っていた。その仕事上のことか、私的な事情かで、マギオの民の情報網に引っかかるようなことがあったのだ、とその程度にしか思っていなかった。たぶん上層部はもっと重要な情報を持っていたのだ。それを知らされていれば、カリキウスから目を離すこともなく、今のように慌てることもなかったのに、ミランダは唇をかんだ。


 カリキウスの檄が終わると、整列した軍勢のうち士官級の兵達は騎乗し、一般兵達は歩いて外城壁へ向いはじめた。

 ミランダはあわてて中城壁を滑り降りた。カリキウス勢より先にセシエ公の屋敷に着かなければならない。中城壁の中程からふわりと飛び降りると後も見ずに走り出した。



 ランドベリでも七百の軍勢が揃って移動できる道は多くはない。王宮の外城壁正門からセシエ公の屋敷まではかなり大回りをしなければならなかった。それがミランダに幸いした。ほとんど直線上を走ったミランダはカリキウスの手勢に大きく先回りした。

 セシエ公の屋敷正門は王宮と反対方向にある。その壁を回りながら、ミランダは懐から笛を取り出した。人の耳には聞こえない高周波音を出す笛だった。マギオの民はその音を聞くことができた。そしてその吹き方によってかなりの情報を伝えることができた。ミランダが吹いたのは最緊急事態を報せる合図だった。マギオの民の全員が眠ってしまうことはない。それはどんなところのどんな事態でもそうだった。だからミランダの笛は誰かが必ず聴いているはずだった。

 緊急事態を報せる笛を吹きながら、ミランダがセシエ公の屋敷の正門に着いたとき、ほとんど同時にその側門から顔を出したのはテセウスだった。

 テセウスは不機嫌な顔をしていた。どんなことをしていても必ず駆けつけなければならない、という笛の音を聞いたから出てきたのだが、そんな緊急事態がたびたび起こるわけではない。ランドベリにいるマギオの民の中でもっとも上級者である自分を差し置いて、誰かが非常呼集をかけるというのはテセウスにとって愉快なことではなかった。身分差にこだわる頑なさのある男だった。それでも笛を無視することはできない。つまらないことでこんな笛を吹いたのなら厳しく処分してやろう、そう思っていた。

 闇装束で近づいてくるミランダをすぐに認めたのはさすがだった。


「ミランダ!」


 いくらかの非難を込めて、強い口調で名を呼んだ。ミランダにはテセウスの気分を斟酌している余裕はなかった。


「テセウス様!」

「一体何事だ?!」

「カリキウスの手勢が、襲って、きます!」


 さすがにミランダの息が上がっていて、一気には言えなかった。


「なに?」


 テセウスにはすぐにはミランダのもたらした情報の意味が飲み込めなかった。


「およそ七百、この屋敷を目指しています!」


 テセウスの顔色が変わった。本当か?などと聞き返して時間を無駄にすることもなかった。ウルバヌスからカリキウスについての情報を与えられていたからだ。すぐに屋敷うちに駆け戻った。ミランダも後について屋敷内に入った。目の前で繰り広げられたマギオの民の会話を、不寝番の門衛が二人、きょとんとした顔で見ていた。

 ミランダの報告を受けたのがテセウスで幸運だった。今この屋敷にいるマギオの民の中では、テセウスだけが直接セシエ公に連絡することが許されていたからだ。他の民なら改めてテセウスに連絡して、それからセシエ公に報せることになる。

 重大な報告があると聞いてセシエ公はすぐに奥から出てきた。


「カリキウスが?」


 ミランダの報告を聞いて、セシエ公は一言だけ不思議そうにつぶやいたが、すぐにテカムセを振り返って、


「ランドベリを脱出するぞ!」

「はい」


 テカムセにも事態はすぐには了解できなかった。あまりに突拍子もないことに思えたのだ。しかし、セシエ公はもう次の行動を命じていた。納得できようができまいが、セシエ公の命令には忠実に従わなければならない、それが長い間の習性になっていた。


 屋敷うちはたちまち大騒ぎになった。たたき起こされた直衛隊の兵士達が大あわてで鎧をまとい、武器を身につけ厩へ走った。自分たちの馬を用意する前にセシエ公の馬を用意した。黒い鎧を着たセシエ公が、アリシアをつれて屋敷から出てきたのはその直後だった。アリシアはかろうじて夜着を着替えることしかできなかった。乱れた髪を布で押さえ、化粧もしていなかった。白い顔が、かがり火の中でなおさら青白く見えた。






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