第1話 アルヴォン飛脚 8章 カーナヴィーへ

 グルザール平原の中を通るファビア街道は、ニア街道よりはるかに歩きやすい。道幅も広く、平らにならされていて敷石で舗装されている。馬車や荷馬車の往来も多い。タギは馬を『山海屋』に預けて、乗合馬車を利用した。街道を騎乗して通るのは貴族か、騎士身分のものが多い。馬も頑丈さに重点を置いたアルヴォンの馬に比べると、駆ける速さに重点を置いたスマートな馬だった。ファビア街道であの手の馬に騎乗すると目立つだろう。だから馬は置いていくことにした。

 適当な人数が集まると出発する乗合馬車は、停車場ごとに適当に客を入れ替えながらファビア街道を東に向かって走った。乗るには結構な値を払わなければならなかったが、それくらいの余裕はあった。

 風は冷たかったが、アルヴォン山中のように、身を切るような冷たさは、平地ではまだなかった。ランはタギに初めて会ったときに着ていた服に着替えていた。そうするとランはいかにも上流家庭の子女という感じになり、タギはその従者と見られる様になった。そしてごく自然にその役をタギはこなしていた。たまたま他の客が全部降りて二人だけになったときに、ランがこれから行こうとしている叔母のことについて話した。


「叔母様はダシュール子爵に嫁がれたの。ダシュール家というのはカーナヴォン侯爵家の分家で、結構本家に対する影響力も大きい家だって。ダシュール子爵家の領地はカーナヴォン侯爵家の領地の南西にあるんだけれど、普段はカーナヴィーの町に住んでいらっしゃることが多いって聞いたわ。少なくともおばさまと、長男のジョバンニ卿―私の従兄弟ね―はカーナヴィーにいらっしゃるって」


 体のいい人質だな、カーナヴォン侯爵家ほどの大貴族になると、身内だけでも多数に上る。中には本家に好感情を持っていない身内もいる。そのために分家の家族をカーナヴォン侯爵家の本拠であるカーナヴィーに留めているのだ。偉いさんは偉いさんでまた気苦労が多いことだ、ランの手前、口には出さなかったけれど、タギはいくらか冷笑気味にそう思った。タギには”偉いさん”に好意を持つ理由が何もなかったからだ。

 カーナヴォン侯爵はグルザール平原の西に大きな領地を持つ大貴族だった。グルザール平原の中央から東を席巻したセシエ公が次にぶつかるのはカーナヴォン侯だというのは、誰もが一致して思っていることだった。これまで比較的小さな公国を相手にしてきたセシエ公が初めてぶつかる強敵になると噂されていた。

 ランディアナ王家にはもう、名目上は家臣であるこれら大貴族の間の調停をする力も残っていなかった。わずかな直轄領と、名門の誇りと、たまに利用価値が出る古い権威とが王家を支えていた。しかし、もしセシエ公がその実力でランディアナ王国を再統一すれば、王家を廃して自分が王になるだろうというのももっぱらの噂だった。それぞれの貴族、豪族は互いに牽制し、あるいは連合し、必死になって、生き残るための工作をしていた。その中心にセシエ公がいることは疑いもなかった。しかしそのセシエ公にしても今はまだ王国の半分も手に入れてはいなかった。まだまだ争乱が収まる気配はなかった。

 ファビア街道を通って二日目の昼過ぎ、タギとランはカーナヴィーに入った。カーナヴィーはカーナヴォン侯爵の本拠だけあって、城壁は高く厚く、城壁の上に兵士の通る通路を設け、門も鉄板で覆った頑丈なものだった。十人以上の完全武装の門衛がいて、出入りする人々を監視している。

 カーナヴィーに入ると、ランは迷いもせずにダシュール子爵邸を目指した。タギはカーナヴィーは初めてだったので、ランについていった。いくつか角を曲がってそれでもメインストリートと思われる広い道をしばらく歩いた。大きな邸宅が並んでいる一角に来た。正面に高い塀が見えてきた。塀の向こうに石造りの背の高い建物が見える。ダシュール子爵邸だった。

 ダシュール子爵家は、カーナヴィーの中に、本家ほどではないが広い敷地を与えられていた。敷地の周りを高い塀で囲っていたが、塀の上に兵士の巡回する通路を設けるのは禁止されていた。カーナヴィー市内で巡回通路を持った壁を屋敷の周りに廻らせることが許されているのは本家だけだった。ランディアナ王国の都、ランドベリでは王宮だけが巡回通路付きの城壁を廻らせることが許されており、カーナヴォン侯爵は自領でその真似をしているわけだった。

 ダシュール子爵家の正門は鉄製の扉を閉め、横の通用口だけを開いていた。通用口の横に門衛の詰め所がある。門の両側に武装した門衛が立っていた。ランは懼れ気もなく詰め所に近寄ると、門衛に話しかけた。


「私はアペロニアのアペル伯爵の娘、ラン・クローディア・アペルといいます。ダシュール子爵夫人に取り次いでください」


 ランは小さい頃から人に仕えられることに慣れている大貴族の娘だった。口調も堂々としていて、自分の頼みが目下の者に断られることなど考えたこともないという態度だった。庶民の娘には決してできないことだ、とランの後ろに従者然として控えているタギは感心していた。

 ランのそういう態度が大貴族に特徴的なものであることをよく知っている門衛の男は、かしこまってランの依頼を聞き、


「少々ここでお待ちください」


と言って、屋敷の方へ駆けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る