第1話 アルヴォン飛脚 9章 ダシュール子爵家

 門衛はいくらもしないうちに人を連れて戻ってきた。門衛と一緒にやってきたのは背の高い、痩せた初老の男で立派な執事のお仕着せを隙なく着こなしていた。男はランに向かって一礼した。


「ラン・クローディア・アペル様、お久しゅうございます。奥様のところへご案内致します」


 男はランの顔見知りだった。


「久しぶりですね、メテオ。一昨年の夏にサンカーンの別荘で会って以来ですね」

「はい」


 召使いに話しかける様子も板に付いたものだった。メテオと呼ばれた男に案内されて、ランは前庭を横切って屋敷の玄関に着いた。玄関の扉が開くと、両側にそろいのお仕着せを着た侍女が並んでいた。タギは玄関前の階段の下で畏まっていた。

 奥から豪奢なドレスに身を包んだ女が出てきた。三十そこそこに見えた。きちんと髪を結い上げ、ゴテゴテに見える寸前の化粧をしていた。ランはその女に向かって膝を折って礼をした。実に優雅なしぐさだった。


「ユーフェミア叔母様、お久しゅうございます」

「まあクローディア、この度のこと聞き及んでいました。サトゥーリオお兄様方には本当にお気の毒なことでした。でもクローディア、あなたが無事で本当に良かったわ」


 ユーフェミアは両眼に涙を浮かべながらランを抱きしめた。ユーフェミアの服に比べると、ランの服は旅の間に薄汚れてしまっているのがよく分かった。


「疲れたでしょう、クローディア?ここに着けばもう大丈夫よ。ろくに休むこともできなかったでしょう?さっ、奥で旅の疲れを癒してちょうだい」

「ありがとうございます。ユーフェミア叔母様」


 ランは玄関下で控えているタギをちらっと見た。タギは、今はこのままでいいと言うように少しだけ首を振った。叔母に手を取られて、ランは屋敷の奥に入っていった。


 丈の長い上着に幅広のベルトを締めた若い男がタギに近づいてきた。良く鍛えられた逞しい長身だった。腰に長剣をつっている。かなり立派な造りの剣だった。


「あんたはこっちだ。案内するよ」

「ありがとう、俺はタギという」

「俺はジョナスだ。この屋敷の若者頭だ。タギというのは珍しい名だな」


 案内されたのは、本館の裏手、右の方にある木造の二階建ての建物だった。


「こっちが男衆おとこしの宿舎だ、女衆おんなしは向こうの」


 ジョナスはあごで本館を挟んで対称に建っている同じような建物を指した。


「宿舎に住んでいる。あんたがこの屋敷にいる間はここで寝起きすることになる」


 建物を入ると大広間になっている。五、六十人は集まれそうだ。食堂を兼ねているようでテーブルと椅子が置いてあり、入って右手が厨房のようだった。階段を登って、二階のいくつも同じような部屋が並んでいる中の一室に案内された。


「ここを使ってくれ、ガイウスってやつと同室だが気にしないよな」

「ああ、上等だ」

「タギ、のどが渇いてないか?酒は昼間は飲めないけど、下に茶があるぜ」

「ありがとう、ご馳走になろう」


 食堂に降りて、ジョナスが淹れてくれた茶を飲んだ。安物の茶葉でも淹れたては香りもあってうまかった。ジョナスが向かい合わせに座った。両手で茶のコップを持っている。真剣な顔をしていた。


「タギ、アペル城での戦はどうだったんだ?裏切りで陥ちたと聞いたが、セシエ公の軍ってのは強いのか?」


 ダシュール子爵は、というよりその本家筋のカーナヴォン侯爵はいずれセシエ公とぶつかる。ジョナスはその戦に動員される男だった。その強さが気になるのは当たり前だ。タギがその情報を持っていると考えたからこそ、わざわざ茶を淹れてこんな機会を作ったのだ。タギは幾分申し訳なさそうに答えた。


「俺は直接、セシエ公の軍と戦ってないんだ。クローディア様が」


 タギはしれっとクローディア様と呼んだ。タギの中では、ランとクローディア様は別人だった。昨日まではランだったが、もう彼がランと呼んだ少女はいない。ラン・クローディア・アペルが然るべき社会的な位置に納まってしまえば、タギにとってランと呼んでいた少女は幻のように消えるものだ。最初からそのつもりだった。


「アルヴォンを越えるときに案内役に雇われただけだから」

「そうなのか」


 ジョナスは少しがっかりしていた。セシエ公の軍の手応えを知っている男が来たと思ったから、自ら案内役を買って出たのだ。それでもジョナスは切り替えが早かった。


「じゃあいつまでもここにいる訳ではないのだな?」

「そうだ、案内料をもらえば元の仕事に戻るよ」

「しばらくここにいないか?一人でも多く男手が欲しいところだ」


 タギは貴族同士の争いに巻き込まれるつもりはなかった。たとえそれが、ランが属する一族であっても、その兵になるつもりはなかった。偉いさんは偉いさん同士、食い合っていればいい。


「悪いがそれはできない。仕事が途中だし、俺は戦には役に立たない」


 それはそうかも知れない。体も大きくはないし、強そうにも見えない、とあらためてタギを見てジョナスはそう考えた。腰にナイフを差しているだけで剣も持ってない。馬にも乗らず徒歩で来たと聞いた。兵士としては役に立ちそうもない。ジョナスはあっさり頷いた。男手は欲しいが戦に役立たないのでは仕方がない。


「そうか、分かった」


 次の日の朝、タギはメテオに呼ばれた。案内の女中に連れられて裏口から本館に入り、メテオの部屋に行った。タギが部屋に入っていくとメテオが袋を差し出した。


「クローディア様が世話になった。私からも礼を言う。ニア街道の案内料の相場は知らないが、これが料金だ。少なくはないと思うが」


 タギは袋の口を開けて確かめた。小金貨が十枚入っていた。十オーロスあれば、夫婦と子供、年寄りで6~7人になる標準的な家族が一年間暮らすことができる。


「ああ、十分だ。ありがとう」


 案内料にいくら渡されてもタギは構わなかった。ランを案内したのは金のためではなかった。それでは何のためと言われると答えようがなかったが、金なら、追っ手のリーダー格の男の懐からもいただいていた。最初にランを見たときから、ランのために力になろうと決めていただけだった。ランをここに送り届けただけでタギは満足していた。

 金をもらってタギはすぐに屋敷を出た。ランにもう一度会いたかったが、会ってもそれはクローディア様だろう。一度も振り返らず、タギはカーナヴィーを出た。




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