インテルメッツォ 1-1

 市のあちらこちらで炎が上がっていた。炎に照らされて多数の影がうごめいている。絶え間なく細い、青い光が縦横に奔る。光に討たれると影は踊りを踊るように、手を挙げてくるくると回って倒れる。大小の爆発が起こるたびに影はまとめて吹き飛ばされた。

 タギは予備のマガジンまで撃ち尽くしたハンドレーザーを捨てた。二つのマガジンを空にして七匹は倒した。これで武器はナイフだけになった。大人の手のサイズに合わせて作られたハンドレーザーは、タギには少し大きかったが、ナイフはしっくりと手になじんだ。祖父が硬質セラミックを削りだして作ってくれたナイフだった。刃は細かったがどんな金属製の刃物より堅く、鋭かった。

 タギの左手を、もっと小さな手が握りしめていた。タギは片膝をついてナイフを握ったままの右手をルキアの背に回して抱きしめた。すすけたルキアの頬に涙の筋がいくつも付いている。


「行こう」

「うん」


 ルキアは素直に頷いた。でもどこへ行こうというのだろう。もう市の中に“敵”が入り込んでいる。安全なところなどどこにもない。タギは立ち上がってルキアの手を引いて歩き出した。歩き出すと自然に方向が決まった。


 ―家へ帰ろう―


 ルキアと一緒では素速い行動はできない。しかしタギは気にしなかった。家に着くのが目的ではない。家についても何もすることがない。であれば着くまでにどんなに時間がかかろうと問題ではない。ルキアの足に合わせて、それでも身を隠す場所を選んでたどりながら、タギとルキアは市の中を移動し始めた。勝手を知る市の中だった。できるだけめだたない細い道を選び、路地をたどって動いた。何カ所かで炎のために行く手を阻まれた。

 見慣れた市街が全く様相を変えていた。乱暴に放り出された家具で即席のバリケードが作られている。焼けこげ、破壊されたバリケードの陰に何人もの死体が散乱していた。老人や、女や、子供だった。“敵”の死骸もある。ぐずぐずと崩れ落ちて、原形を留めない“敵”の戦闘服が路上で、燃えさかる炎のために強くなった風にあおられていた。そのそばをできるだけ急ぎ足で通り過ぎる。

 角を曲がったときにタギは“敵”の気配を感じて身を固くした。ルキアを路地の奥の物陰に隠す。


「ここでじっとしてるんだよ。どんなことがあっても動いてはいけない」

「うん。でもタギ兄ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫、心配しないで」


 何の根拠もないことでも、ルキアにはそう言わなければいけない。本当のことを言っても何にもならない。タギはルキアから離れて建物と建物の間の狭い隙間に身を隠した。

 気配が近づいてくる。二匹だった。タギは両側の建物の壁に手をかけてするすると三メートルほど登った。“敵”は隠れ場所になりそうなところを一つ一つ確認しながらやってきたが、頭上に隠れたタギには気づかなかった。二匹が通り過ぎたとたんにふわっと飛び降りた。後ろから攻撃して一撃で倒した。ナイフの一振りで後ろの一匹の首を切断し、異常に気づいて振り返ろうとした前の一匹の背中にナイフを突き立てた。そのままナイフを一捻りして抜いた。血が噴き出してくることはない。その代わりナイフが刺さった跡を中心に茶色いシミが急速に“敵”の戦闘服に広がった。

 “敵”は大人の背丈よりも少し小柄で横幅が広く、がっしりした上半身に上肢が不釣り合いに長かった。足下から頸まですべてを覆う戦闘服を着ていて、頭部は丸いヘルメットを被っていた。戦闘服は暗い茶色と言えばいいのか、なんともぴったりと形容しがたい色をしていて、さわると表面はざらざらしていた。どの“敵”も同じで階級によって外見に差があるなどということはなかった。死ぬとその身体はすぐにぐずぐずと崩れてしまい、どんな顔をしているのか、どんな身体構造をしているのか、六十年も戦いながら、人間は知らなかった。骨格標本すら手に入らなかった。その言葉も社会構造も不明だった。

 タギが今倒した“敵”の身体も、形を保つことができず、だらしなく路上で崩れていった。切断された頸の断面から、どろっとした茶色いゲル状のものが流れ出て、空気に触れるとあっという間に乾いてしまった。奇妙な形の銃が二丁転がっている。奪い取っても人間には使えないことをタギは知っていた。引鉄と思われるものを操作しても反応しないのだ。“敵”も人間の武器を使わなかったし、人間も“敵”の武器を使わなかった。

 急いでルキアのところへ戻って、またルキアの手を取って歩き出した。大きな通りは横切れなかった。必ず“敵”に見つかる。

 周囲の様子を見るため手近な建物に入って、階上に上った。七、八階建ての建物だったがもう電気がきていないせいで、エレベーターは止まっていた。四階まで昇って、窓から双眼鏡で外をうかがった。何カ所も黒々とした煙が立ち上っている。火事はどんどん大きくなっている。市役所の前から四方に伸びる大通りはすでに“敵”でいっぱいだった。“敵”の使役獣もいる。市役所前の広場に巨大獣が五匹、それぞれの体の上に翼獣を数匹止まらせて立っていた。市役所の建物と比べると巨大獣の大きさがよく分かる。胴体だけで市役所の二階までの高さがあった。長い首を伸ばせば五階まで届くだろう。その周りに数え切れないほどの“敵”がいた。市役所の窓からも猛烈な炎が吹き出していた。割れたガラスが路上に散乱している。

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