第1話 アルヴォン飛脚 7章 ネッセラルの宿で 2

 部屋にはシャワーの設備がある。防水した小部屋の壁の高いところに適当な大きさの湯を張った桶を置いて、栓をひねると湯が落ちてくるという仕掛けだったが、快適だったのでタギはよく使っていた。もっとも桶一杯分の湯にも料金を取られるのだが。

 桶二杯分の湯を頼んで、タギは先にランにシャワーを使わせた。ランはこんなシャワーを使うのは初めてで、タギに説明されて感心したように高いところに置かれた桶を眺めていた。湯を張った桶を、滑車を使って持ち上げ、棚の上に持って行くのだ。もちろんその前に、桶に栓の着いた導水管を付ける。持ち上げた桶を棚の上に置くのに少し要領がいるのだが、すぐに慣れる。

 そっぽを向いているタギの後ろで、ランは濡れた体を拭いて、服を着た。


「いい気持ち、こんなの初めてだけどうまくできているわね」


 タギも続けてシャワーを浴びた。久しぶりに体を洗ってさっぱりした。夏の間ならアルヴォンの山中の小川で体を洗うのだが、こんな寒くなってからではそうもいかない。旅籠で体を拭くこともあったが、ランと同行するようになってから何となくそういう機会を逸していた。緊張を解くことができなければこんなことに気が回らないのかもしれない。シャワーから出てくるとランは寝台の上にうつぶせに寝そべっていた。たった数日でずいぶん無警戒になった。タギの出てくる気配を感じて振り向いた。最初に会ったときよりずっと穏やかな笑顔だった。それがタギの心を重くした。しかしやはり話しておかなければならないだろう。それがランにとってつらい記憶につながるものであっても。


「ラン」

「なあに」


 少しうとうとしていたランはタギの口調にただならぬものを感じて上体を起こした。寝台の上にきちんと座ってタギの方を向いた。タギが重い口を開いた。


「さっき、下で食事をしているときに小耳に挟んだのだが、マクセンティオという男、セシエ公に殺されたらしい」


 ランが目を見張った。口を小さく開けて何か言おうとしてまた口を閉じた。それからゆっくりと口を開いた。


「やっぱり」

「やっぱり?ランはマクセンティオがセシエ公に殺されるだろうと思ってたの?」

「父様が、マクセンティオの裏切りを知ったときおっしゃってたの。こんなことをしたってセシエ公の歓心を買えるものかって。『セシエ公から働きかけられたのならともかく、自分から裏切りを持ちかけるような男をセシエ公が快く思うはずもない。マクセンティオの馬鹿め、すぐに後悔することになるぞ』って」


 タギは感心した。アペル伯爵は領民の統治も上手だったようだし、こういうこともよく見えたようだ。


「ランのお父上の推察通りになったわけだ」

「父様・・・・・・」


 ランが両手で顔を覆った。肩が細かく震えて、涙が膝の上に落ちた。ランの嗚咽が聞こえた。


「父様、・・・母様・・」


 タギにできることはなかった。慰めることも、励ますことも。タギは、ランが泣きやむのをじっと待っていた。

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