第1話 アルヴォン飛脚 7章 ネッセラルの宿で 1


 サナンヴィー商会を出るともう薄暗くなり始めていた。小さくなった荷を背負って、環状道路を通って南市門の方へ向かう。グルザール平原を通るファビア街道に面した南市門の方が人の出入りが多く、宿や飲食店もその近くに多かった。

 ネッセラルにもタギのなじみの宿があった。『山海屋』というその宿は路地に面した小さな宿だった。七組も客が泊まれば満員になるその宿はなじみ客だけで営業している。だから看板も小さく、入り口も愛想がない。

 戸を開けると帳場で書き物をしていた亭主が顔を上げた。なじみ客をみとめると笑顔をみせた。もっともその笑顔も、普段の亭主を見慣れてなければとても笑ったとは思えないような無愛想なものだった。


「いらっしゃい」

「部屋は空いてるかい?カムデン爺さん」

「空いてるよ、何泊だい?」

「とりあえず一泊。また出かけなきゃいけない」


 それ以上のことを亭主は訊かなかった。鍵を取り出してタギに渡した。


「二号室だ」


 タギは鍵を受け取った。


「今回は馬の世話も頼みたいのだが」

「馬?」

「そうだ」

「珍しいな、あんたが馬を連れているなんて」


 そんな会話をしてはじめて亭主はタギの後ろにいるランに気が付いた。亭主の顔に一瞬不審そうな表情が浮かんだが、すぐにその表情を消した。個人的な事情にはできるだけ係わらないことを、カムデン爺さんと呼ばれた亭主は信条にしていた。


「分かった、表につないでおきな、せがれに世話をさせるよ」

「ありがとう」


 帳場の横の階段を上った二階と三階が客室になっていた。三階に二室、二階に五室だった。三階の客室が少ないのは、カムデン爺さんと家族が住んでいるからだった。一階の奥が食堂で、酒も飲ませた。

 三階の階段を上ってすぐの部屋が二号室だった。建物は古く、部屋数も少なかったが部屋そのものは広かった。寝心地のいい寝台と、長いすと机、大きめの収納棚が部屋の備品だった。料理のうまさと、部屋の広さがこの宿をタギが常宿にしている理由だった。それに個人的事情に係わってこない気楽さも、『二つの暖炉亭』や『青山亭』の家族的親しさと異なった居心地の良さをタギに感じさせていた。

 アルヴォン飛脚として運んでいた荷をサナンヴィー商会に引き渡して、さすがにタギもほっとしていた。長いすに座り、机の上に小さくなった荷を置いた。ランがタギの横に座った。タギは荷の中から最初に会ったときにランが着ていた服をとりだした。


「明日、カーナヴィーへ向かう。ファビア街道を通って二日で着く。明日からはこちらの服を着た方がいい」

「本当にありがとう、タギ。タギがいなかったらとてもアルヴォンを越すことなんてできなかったし、そもそも生きていられたかどうかさえ怪しいものだったわ。どんなお礼をしても足りないくらい」


 ランはいすから立ち上がって丁寧に頭を下げた。こんなところは本当に礼儀正しかった。


「うん、ここからカーナヴィーなら特に危険もないだろう。ちゃんとランを叔母様のところへ送り届けることができると思うよ」

「タギの仕事のじゃまをしたんじゃないかと気になるの。私がいなかったらもう一回ニア街道を通って、レリアンへ行けたでしょう?」

「いや、元々これで今年の仕事納めのつもりだったから、ランが気にすることはないよ」


 そんなつもりでもなかったが、どうせ成り行き任せだったのだ。仕事があればもう一回アルヴォンを超えてもいいつもりだった。でもランを拾ったことで、これで仕事納めにしても、予定から大きくはずれるわけではない。今年は十分に稼いだ。ニア街道が再開されるまで、なにもしなくても飲んで食っていけるくらいは稼いだ。それに追っ手から取り上げた金袋もあった。あの中にはかなりの金が入っていた。

 一階の食堂は宿と同じ名前で、泊まり客以外にも解放されている。宿とは別の入り口があり、こちらは愛想よく客を迎えている。ごく庶民的な料理や安い酒がうまいことで評判を得ており、いつも多くの客でにぎわっていた。ランとタギは一緒に旅をするようになって初めてメニューを見て料理を注文した。アルヴォンの山の中の宿は皆に同じ料理しか出さない。タギは豚肉と豆と野菜の煮込みとジャガイモにチーズを絡めてあげたもの、酒を注文し、ランは同じ煮込みに平たく焼いたパンを注文した。すぐに運ばれてきた料理と酒に二人は舌鼓を打った。


「おいしい、タギの泊まる宿って料理のおいしいところばかりね」

「お酒もおいしいけれどね」


 タギはグラスを目の前に掲げて答えた。

 豚肉も豆も、以前ランのいたアペル城の食卓にはとても上らないような屑だった。そういう安い材料をうまく料理して食べさせるのが庶民の食堂の腕だった。

 ゆっくりと料理を咀嚼し、酒を飲みながらタギは久しぶりに緊張を解いていた。周囲の喧噪が気にならない。あちらこちらから話し声が聞こえる。あるグループは大声で話しているし、ひそひそと小声で話している二人連れもいる。それぞれのグループが勝手にしゃべっているのを聞くともなしに聞いていたタギは、話し声の中に覚えのある名前を聞きつけた。マクセンティオ・・と確かにその声は言っていた。

 一番奥のテーブルで食事をしているタギたちとはかなり離れている、入口近くのテーブルで酒を飲んでいる二人連れだった。近所の人間とも思えなかった。傭兵ふうの格好をした二人連れは泊まり客だろうか。タギがここを常宿にして長いが、これまで見たことのない男たちだった。タギはその二人の会話に聴力の焦点を合わせた。二人が大声で話しているわけでもないのに、そしてこの喧噪の中でかなり離れているのに、タギの耳は二人の会話を聞き取ることができた。


「・・せっかく主君を裏切って城門を開けたというのに、結局処刑されたってよ」

「セシエ公は厳しいお方だからな、一度裏切った人間を信用されるはずがない。そんなことも分からなかったのか、そのマクセンティオって男」

「地位のある人間てのは、その地位を守るためなら目が見えなくなることが多いからな」

「でもこれでセシエ公はグルザール平原の三分の二を押さえたってことか。今度は西に向かってくるぜ。今のうちにセシエ公の軍に潜り込む算段でもした方が良さそうだな」

「ああ、下手にセシエ公に敵対する方に雇われでもしたら、とんだ貧乏くじだ」


 こういう事柄に関して彼らの情報は正確なことが多い。自分の命がかかっているからだ。あとは雑談になった。個人的な事情やなじみの女の話をしている。タギがその注意を二人から外すとその会話は喧噪の中に紛れてしまった。

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