第8話 蛮地へ 2章 荒野 2
やがて北方のかなたの地平線が太く黒く見えるようになってきた。黒い色はその先の高地までべったりと地平を覆っているように見えた。
「あれが黒森だ。明日には森へはいる」
とヤードローが言った。どこまで続いているか誰も確かめたことのない広大な森だと。森の中には今までとは違う部族、フリンギテ族、カミオッタ族などが住んでいる。
「そんな部族の人たちだったら黒森の果てを知っているんじゃない?」
ランがヤードローに訊いた。シス・ペイロスに入ってから、ランが遅れずにしっかりとついてきているのをみてから、ヤードローはランに対して、普通に接するようになっていた。ランも不愛想に見えながら実際には気のいいヤードローに好意を持っていた。
「知ってるかもしれねえがな、絶対に俺たちには教えない。多分砂金も、宝石も森の中で採れるんだ。だから森の中を変にうろうろしてたら危ない。絶対に道から外れるな。森の奴らは皆狩人だからな。弓なんか恐ろしく上手い」
ヤードローが弓を引く動作をしながら言った。
「森の中をうろうろしてたら、射たれるってことか?」
「狩りの獲物と間違われてな、少なくとも奴らはそう言う」
「そういう経験があるんだな?」
この質問には直接ヤードローは答えなかった。しかしその表情を見れば肯定しているのは明らかだった。
その夜は野宿になった。それまではシス・ペイロスの集落に泊まっていたが、このあたり、一~二日の行程の間には集落はなかった。オービ川沿いのシス・ペイロスの中では比較的肥沃な土地と、黒森の中間点に当たる場所であった。乾いた風に水分が吹き飛ばされ、表土が土埃となって剥がされ、雑草でさえめったに生えないような所だった。オービ川沿いの集落の人々の放牧でさえこの辺りまで来ることは余り無かった。この道をたどる人々が野宿する場所はだいたい決まっている。乾いて痩せた土地の中でもかろうじて何とか灌木がかたまって生えていて、平らにならされた小さな広場があった。石を組んで作った粗末な竈があり、燃やし残った木がその横に積んであった。
道々拾い集めてきた枯れ木を竈に入れ、火を付けて鍋をかけた。小麦粉とバター、塩でどろっとしたスープを作り、肉とじゃがいもとその他の野菜の切れ端を入れた。何種類かの香料で味を付けた。まだ肌寒い季節には暖かい食べ物は暖かいというだけでご馳走だった。三人とも鼻の頭に汗を浮かべ、息を吹きかけてさましながら食べた。食べ終わってタギとランは茶を飲み、ヤードローはちびちびとブドウから作った蒸留酒を飲んでいた。竈の中では火が踊っていた。ヤードローはシス・ペイロスにきてから酒を飲むのは夜だけにしていた。
荒野狼の遠吠えが聞こえてきた。かなりの頭数がいるようだ。
「これは、眠り込むわけにはいかないようだな」
「そうだ、下手に眠ってしまうと、そのまま狼の腹の中ということもある」
ヤードローが遠吠えが聞こえた方を振り返りながら答えた。
「俺がシス・ペイロスでの商売をやめたのもその所為だ。年のせいで眠らずに一晩をやり過ごすのがきつくなったからな」
「いつも一人で商売をやっていたのか?誰かと組んでいたら順に不寝番をおけばいいだろう?そうしたら少しは眠れる」
「組んだこともあったがな、たいていは一人だった。俺は余り他人と気が合う方ではないからな」
ランがくすりと笑った。ヤードローは気難しいが一度うち解けてしまえば決して付き合いにくい人ではない、それなのに俺は人付き合いが悪いんだと突っ張っているのがおかしかった。他人に気を許さないというならタギの方が遙かにそうだろうと、ランは思った。
ランはたき火の火に照らされたタギを見つめていた。タギと最初にあった日のことを想いだしていた。あの晩、私はまだやっと十三になったばかりで、家族を全部失って故郷を逃れ、幼い頃からずっとそばにいてくれたゼリとカニニウスも失って、その日会ったばかりのタギとアルヴォン山塊の中で野宿したのだ。固くて冷たい地面に直に寝るのは、慣れてもいなかったしなかなか寝付けなかったけれど、疲れ果てていたこともあり、いつの間にか寝入ってしまった。それでもタギが寝ずの番をしてくれているのは意識していた。地面に付いている方の半身が冷たくて目が覚めたのだが、目覚めればゼリとカニニウスが「おはよう」と言ってくれるのではないかと期待していた。私が幼い頃から親しんでいた人たちがもうみんないないのだと想いだしたとき、タギがそばにいることがどんなに心強かっただろう。あのときタギのことは何も知らなかったけれど。今だってタギのことをそんなに知っているわけではない。大体タギは自分のことはなにも話さない。どこで生まれたのか、どんな風に育ったのか、家族がいるのか、ランは何も知らなかった。
タギが言ってくれたのは、タギは“護る者”で、タギにとってランは“護るべき者“だということだ。それがどう意味を持っているのか、例によってタギは詳しくは話してくれなかったけれど、それだから私はタギの傍にいていいのだということは分かった。ランにとってそれで十分だった。あれからずっとランはタギの傍にいる。これからもずっとそうだったらいいのに。
「俺が先に不寝番をやる」
タギが言って、酒を飲み終わったヤードローがごそごそと毛布を体に巻き付けて横になった。ランも毛布を被って目をつぶった。幼い頃に想像していた人生―いつか王子様が現れて幸せな花嫁になる―とは全然違うけれど、家族や親しくしていた人たちが皆いなくなってしまったのは悲しいけれど、運命の神様は、ジェルミナ神は、代わりにタギを私にくれた。感謝しなければいけない。そんなとりとめもないことを考えているうちにランは眠ってしまった。
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