第8話 蛮地へ 2章 荒野 1

 ランは後にしてきたギガタエ族の集落をもう一度振り向いた。頑丈な木造の背の低い建物が三十軒ほど固まっている。集落の周りにびっしりと木を植えて風よけにしている。背は低くても広い建物で、何世代もの人々が同居している。集落のはずれに子供達が、七、八人たたずんでシス・ペイロスのさらに奥地に入っていく三人を見ていた。何人かが手を振って別れの挨拶をしている。

 ランがオービ川の向こうの蛮族を見たのは今回が初めてだった。皮膚の下の血管が透けて、むしろ赤く見えるほど色が白く、男達は皆、見上げるほど背が高い。髪の色も薄い。あごひげ、口ひげを生やしている。髭がないのはまだ髭が生えない子供だけだ。厚ぼったい瞼と低い鼻、小さな鼻の穴は寒さに耐えるためだろう。ヤードローも背が高いがそれよりも身長がある男達がごろごろいる。タギなど、その間に挟まれると髭がないこともあってまるで子供のように見える。

 ヤードローは実に巧みに商売をした。ギガタエの人々が一番ほしがったのは、茶の粉を煉瓦のような形に固めた物だった。刃物で少しずつ削って、沸き立てた湯の中に入れて飲むのだ。彼らはヤードローと交渉していくつか手に入れると早速大釜に湯を沸かして茶を淹れた。ほとんど同じ重さの銀と交換で手に入れたのに、彼らはその茶をランたちにも振る舞ってくれた。ランにはそれほど美味しいお茶だとは思えなかったが、彼らは相好を崩しながら飲んでいた。

 川の向こうは、とランは思った。野蛮人の地と言われているけれど、少なくとも今まで通ってきたところの人たちは決して野蛮人ではないわ。確かに持っている道具はランディアナ王国で見るものより素朴で無骨だし数も少ない。一つ一つの集落は小さい。でも家族の間の交流は細やかだし、ヤードローはこちらでは食料は手に入らないと言っていたけれど、出発の時にはジャガイモや干し肉を分けてくれた。三人に宿を提供するために一家全部が親類のところへ行ってまで寝る場所を作ってくれたこともある。それをヤードローに言うと、無料ただではない、との返事だったけれど、王国内の普通の人よりずっと親切だ。

 昨日集落の集会所でランが背負ってきたリュータンを弾くと、皆うっとりと聞き惚れた。昨日はシス・ペイロスに入って初めて、リュータンを弾いて歌ってみた。リュータンを見た子供達から弾いてくれとせがまれたのだ。子供達の声を聞いて、自分が女であることが分かっても安全だと思った。子供達も娘達も明るい顔で皆生き生きと動いていた。こんな中で自分に危険があるはずがない。そう思った。タギに相談すると、いいよと言ってくれた。ヤードローも頷いた。


「この辺りの連中はシス・ペイロスの中では穏やかな方だ。知った顔もいるしあんたが歌っても大丈夫だろう」


 お返しのように集落の娘達がダンスを見せてくれた。次々と相手を変えながらくるくると回るダンスで哀調を帯びた歌声に合わせて、着飾った娘達がスカートをふくらませながら踊った。それを見ながら若い男達が手拍子で囃し、すぐに踊りの輪に加わって一緒にダンスを踊った。大人達は酒を飲み、にこにこ笑いながらそれを見ていた。行商が来たことが、そしてその中にリュータンを巧みに演奏するランが居たことが、臨時の祭りにつながったようだった。

 タギは集まった人々の間を回って翼獣や“敵”のことについて聞いて回ったが、収穫はなかった。


 起伏の多い荒れた土地だった。土地の起伏のために一日の大部分が日陰に入るところは一年中泥混じりの氷が溶けないのだと、ヤードローが説明してくれた。この季節はまだ、日陰には雪が残っていた。そんなところでも丈の低い草や、苔、灌木の茂みなどが続いている。それでも集落の周りには畑地があり、ジャガイモや雑穀を栽培し、家畜を飼っている。彼らは夏には広大な草地になる平原で放牧し、冬は集落の中に籠もって過ごす。羊の数が彼らの富を表すのだとヤードローが言った。

集落と集落をつなぐ道は狭く石ころだらけだった。ヤードローが持ってきた荷車はその道幅に合わせたものだった。その上に荷を満載して馬に引かせている。馬の疲れを貯めないため二頭の馬を交互に荷車に繋いでいた。荷車を引かない馬の背にも荷を山積みしていた。だから三人とも徒歩で道をたどっていた。

 風はまだ冷たかった。一年中風の強い土地だったが、この季節は概ね高い方―北方―から風が吹いた。高地の寒さをそのまま持ってくるような風だった。ランは帽子をしっかり被り、頸の周りを布で巻いた。肩ひもの付いた袋を背負い、その上にリュータンを載せた。軽いリュータンは強い風でともすれば飛ばされそうになって、ランの足下を不安定にした。それでもランはしっかりと足を踏みしめて歩いていた。常に風を遮るように風上をタギが歩いていた。大きな荷を背負っていながら軽い足取りだった。アルヴォンの山の中を歩くときでもランはいつも感心していた。一日中変わらぬペースで歩き続けて疲れた顔も見せない。タギの荷が軽い訳ではない。ランが持ってみようとするとランの力では持ち上げるのがやっとという重さだった。ランとタギで一頭、馬を引いている。ヤードローは馬に引かせた荷車を巧みに転がしている。大きな石に乗り上げないように、穴に車輪が落ちないように気を付けながら荷車を進めている。

 坂道を登ったり降りたり、道は決して平らではなかったが、高い山は見えなかった。太陽は地平線から昇り、地平線に沈んだ。




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