第8話 蛮地へ 1章 ヤードローとラン 2
ヤードローは納得せざるを得なかった。アルヴォンの山中を歩き慣れているというのは嘘ではないらしい。自分でちゃんと歩いてくれるならまあいいだろう。それ以外にもいろいろ危ないことはあるが、アルヴォンを歩く以上の危険はそんなにないだろう。
それでも素直に認めるのは
「分かった。そのガキをシス・ペイロスへ連れて行っても途中でもう歩くのはいやだなんてぐずり出したりはしないようだな。だが歩きなれてるってだけで、大丈夫ってほど甘い所じゃないんだぞ、あそこは。それも分かってんならいっしょに連れていってやらあ」
「ランの安全には私が責任を持つ。そこまであんたに負担を掛けるつもりはないよ」
タギが軽く受け流して、ヤードローは鼻を鳴らした。
「小屋へ戻るぞ、付いて来い」
さんざん森の中をランとタギを引き回したが、そこは小屋からそれほど離れていないところだった。小屋の周りを大きくぐるっと回るようにヤードローは動いていた。少し歩くだけですぐに小屋が見えた。ランがびっくりしたように小屋を見つめた。ずっと森の奥へ入り込んだと思っていたのだ。タギには自分たちがどの辺りにいるのか分かっていた。小屋を見てくすっと笑った。ヤードローも怒ってはいても、方向も考えずに自分たちを引き回すほど我を忘れていた訳ではない。
小屋へ入ってヤードローはすぐにストーブに火を入れた。
「ほれ、濡れた服を乾かしな。付いてくるなら風邪など引かれては迷惑だからな」
ヤードローは、小屋の中の余りの散らかりように目を丸くしているランに声を掛けた。ランは素直にストーブのそばに寄った。散らかったものを少しずつ脇へどけて、ストーブのそばに自分の居場所を作った。
「おまえ、名前はなんてんだ?」
「さっき言ったぞ。聞いてなかったのか?」
「忘れたよ、あんまり突拍子もないことをあんたが言うからな」
「ランといいます。よろしくお願いします」
ランがヤードローに向かってぺこりと頭を下げた。最初に紹介されたときから(そのときには名前を覚えてもらえなかったようだが)、頭を下げたのはこれで四回目だった。その拍子に帽子がずれた。ランは帽子を脱いで被りなおそうとした。帽子の中に押し込まれていた髪がストーブの光を受けてきらきらと輝き、ランの顔の周りで柔らかくゆれた。
ヤードローがあんぐりと口を開けた。それからあわててタギの方を向いて、
「おい、まさかこのガキ、女じゃないんだろうな?」
「女の子だよ、見ての通り」
しれっとしたタギの返事に、ヤードローの小鼻がふくれた。また顔が真っ赤になった。もう一度喚き散らそうとしたときに、横からまたタギが言った。
「シス・ペイロスにだって女は住んでいるんだろう?そうでなきゃいくら蛮族でもずっと住み続けることはできないだろうからな。それにランが女でも、その足の達者なことはさっき確かめたばかりだろう」
ヤードローは気を殺がれて、ため息をついた。最初にあったときからこいつには常識を期待してはいけなかったのだ。マギオの民三人を相手にあんな風に渡り合えるんだから。遅まきながらしみじみとそれに気付かされた。
シス・ペイロスへ出かける日が迫っていた。タギはその打ち合わせに来たのだった。ランを紹介したのはそのついでだった。そちらの方にずいぶん時間を取られたが、やっと本筋の用事にはいることが出来た。
「馬を一頭、手に入れた。食料も保存が利くのを中心にかなりの量、手に入れた。その他の細々したものもな」
荷物は『蒼い子馬亭』の部屋においてある。馬の世話はランがやっている。
「もう一頭手に入れてくれ、三人に増えたのならな。それに荷車もあった方が良さそうだ。昔使ってたやつを、そう思って手入れしておいた。やつらに売りつける品の最後の仕入れに明日レリアンに行くとして、三日後くらいかな、出られるのは。川を渡して貰う手配もいるしな」
「三日後に来ればいいのか?ここへもう一度」
「そうだ」
「仕入れの金は足りるのか?」
「やつらにあまり上等のものを持っていっても仕様がない。この前の金貨で十分さ。それにマギオの民からも銅貨が五十枚だぜ、あんなに気前がいいとは知らなかったな」
「やつらどうしたかな」
「冬の間、おとなしくしてたかってことか?」
「考えても仕方のないことだがな」
「そうだ。この冬は特に厳しくもなく、特に優しくもなかった。普通の冬でもシス・ペイロスの冬は俺たちに耐えられる冬じゃない。マギオの民でも同じだと思うぜ。蛮族たちでも冬の間はひたすら雪解けを待っているだけだからな」
「そうだな」
タギは首を振った。考えても結論の出ることではない。シス・ペイロスでマギオの民にまた会うだろう。目的が同じなのだから、あの広い荒野でもその可能性が高い。
「あんまり待つとオービ川を渡るのが難しくなる。源流近くの雪解けの所為で増水するから。そうなったら川漁師も舟など出しては呉れない。この時期に向こうに行くのは平地が雪解けして、山の雪がまだ融けない今のうちでなければならない。そんなことはマギオの民でも知ってるだろうから、向こうでまた会うことになりそうだな。あんまり度々は会いたいやつらじゃないが」
ヤードローも同じことを考えている。マギオの民と向こうでどんな関係を持つことになるか、不確定要素が多すぎる。ただ、マギオの民の中でもウルバヌスが相手なら、多少の理屈は通るのではないか、タギはそう思っていた。
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