第1話 アルヴォン飛脚 1章 ラン2


 もう陽が落ちかけて辺りは薄暗くなっていた。ランを助け上げるのにやはり時間がかかった。ニアまであと三~四里だったが、とても日没までには着かない。タギ一人で行くにしても少し無理な距離になっていたし、まして子供の足では着いた頃には真っ暗だろう。そのころにはニアの市門はとっくに閉まっている。どんな事情があっても日が昇るまでは開けてくれない。

早めに野宿の準備を始めた方がいい。そう考えを決めるとタギはランを促して立たせ、街道をもう少し西に進んで、大きな木が道の上に覆い被さっている所を野宿の場所に選んだ。周囲を見回してその様子を頭に入れ、それからランの方を向いて、


「ラン、日暮れまでに次の宿場に着くのはもう無理だから、ここで野宿をする。ところでランは何か食べ物を持っている?」


 ランは首を振った。そうだろう、山中の街道をたどるのに自分の身体を運んでくれれば上等という年齢だ。荷物は同行していた大人が運んでいたのだろう。


「周りを探して、できるだけたくさん木ぎれを集めて。火を焚くから。」

「はい」


 ランは素直に頷いて、周囲の木ぎれを拾い集め始めた。両手にいっぱいになるたびにタギのところへ持ってきた。

 タギは荷物を下ろして、手頃な大きさの石を小さな輪を描くように並べた。そこにランが集めてきた木ぎれを適当な隙間があくように組んで並べた。タギも周りを探して木ぎれを集めた。一晩火を絶やさないくらいの量が必要だった。落ちている分だけでは足りそうもないのでナイフを出して、街道の上に張り出している木の枝を何本か切り落とした。一振りで大きな枝が落ちる。鮮やかな手並みだった。


暗くなった街道の上で、タギの焚いた火だけが暖かい灯を放っていた。火をはさんでタギとランは適当な大きさの石を椅子代わりにして座っていた。風が吹いて火を揺らせると、影も揺れる。影の大きさも変わる。互いの表情も変わるように見えた。

 タギは荷物の中から、干した肉とチーズ、それに堅く焼いたパンを取りだした。アルヴォンに入るときには、一食分くらいの食料を余分に持っていくことにしている。それが役に立ったわけだ。二人分には少し足りないが、もう一人は子供だった。何とかなるだろう。タギはナイフで肉と、チーズとパンを三分の一くらい切り分けた。それをまとめてランの方へ差し出した。


「ほら、ラン、おまえの分だ」


 ランが目を丸くした。


「わ・・僕にくれるの?」

「そうだ。ランは食べ物を持ってない。私は持っている。だからこれはおまえの分だ」

「・・・ありがとう、・・助けてもらったこともまだお礼を言ってなかったけれど、ありがとうございました」


 ランは、思いがけないほど礼儀正しく一旦立ち上がって、頭を下げた。かえってタギの方がどぎまぎした。


「あっ、いや、なに、―そんな大げさに礼を言われるようなことじゃない」

「いただきます」


 ランは差し出されていた食料を取って、もう一度座った。


「飲むものは水しかないけれどね」


 タギが羊の膀胱で作った水筒をかざして見せた。そして予定よりも小さくなった食べ物をゆっくり咀嚼しながら食べ始めた。


ランは行儀良く、もらった食べ物を小さくちぎって口に運びながら、時々タギの方を窺っていた。不審そうな表情が見え隠れする。そして食べ終わったとき、とうとう我慢できなくなったようにタギに話しかけた。


「タギは何にも訊かないんだね。・・僕が何者かとか、一人でなぜあんなところにいたんだとか」


 この言葉にはタギの方がびっくりした。幼い子供が尋ねるようなことではなかった。


「ん?別に興味がないわけではないぞ。でもランは今日ひどい経験をしたんじゃないのか?思い出したくもないような。それなら無理矢理今すぐ思い出す必要はなかろう?」


 もう一度ランは目を丸くした。


「僕のことを思いやってくれていたの?それでタギは好奇心を抑えていたの?だって普通あんなところに子供がいるなんてことはないし、あんな苦労して助けたんだし、食べ物だって分けてくれたし、いっぱい訊きたいことがあっても不思議じゃないのに、何にも訊かないから・・・」

「少し落ち着いたら話してもらうさ。ランが話したいことだけでいいけれどね」


 助けなければいけない状況だったから助けただけだ。それ以上の介入をするつもりはなかった。ランの事情がどうあれ、ランの目的地、あるいは目的地の近くまで連れて行けばそれで終わりのつもりだった。こんな子供がわざわざアルヴォンを越えようとしていること、それにあの戦闘の跡を見ればかなりの事情があるらしいことは容易に分かるが、詳しい事情を詮索するつもりはそのときはなかった。

ランが俯いた。肩が震えている。両手で膝を強く掴んだ。嗚咽がもれはじめた。


「ラン?」


 ランが顔を上げた。人差し指の甲で涙をはじいた。唇を噛んでタギを見つめている。あとから出てきた涙を同じ動作ではじいた。涙の筋が幾つも頬についた。


「ご・・・ごめんね、タギ。明日になったら話すから・・」

「ああ」


 タギが荷物の中から乾いた布の小切れを出した。ランはその布きれで涙を拭いて、洟をかんだ。濡れた方を内側にしてたたんでタギに返した。


「ありがとう、タギ。後で洗うから」


 タギが木を火にくべた。生乾きの木は火の中でぱちぱちとはぜた。炎が一旦小さくなって、また大きくなった。二人の影が揺れた。

 タギは一晩中起きていた。絶やさないように気を付けている火の向こうで、ランは身体を丸くして寝ていた。タギの荷物の中から適当な大きさの箱を取りだして布をかけたものを枕にしていた。寝顔は本当に幼く見えた。拭ききれなかった涙のあとが目尻から続いていた。アルヴォンの秋の終わりは夜になると冷える。何かランの身体にかけてやりたかったが、何ももってはいなかった。


 時々タギの結界に何かが触れた。夜の山中を徘徊するものはしかし、タギの漂わせている気配に敏感だった。不用意に結界に侵入するとどんなことになるか、それらの生き物は感じることができた。

だからタギが起きている限り、結界に侵入しようとはしなかった。

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