第1話 アルヴォン飛脚1章 ラン3
夜明け前が一番冷える。ランは寝ていることができなくて目を覚ました。地面に着いていた半身が冷たかった。ちらちら燃えている火の向こうでタギが自分を見ているのに気づいた。火を反射してタギの眼がきらっと光るのを見た。まるで野生の獣みたいだ。ランがぶるっと震えたのは寒さのせいだけではなかった。もう一度目を凝らして見ても、タギの眼はもう光らなかった。ランは身を起こした。地面に着いていて冷えた方の体を火に向けた。タギが起きあがったランに声をかけた。ああ、やはりこの人は人間だった。ランは内心、ひそかに安心した。
「起きたのか?もう空が白みはじめているから、すぐに明るくなる。そうしたら出発しよう。暗いうちは足下が見えないから」
自分一人なら平気だけど、とはタギは付け加えなかった。夜明けとともに出発すれば朝早いうちにニアに着ける。そうすれば朝食にありつけるだろう。
陽が稜線から顔を出すとあたりは急速に明るくなった。タギはたき火を消して、荷を背負った。食料は何も残っていない。水筒の中の水を飲んだ。それからランに水筒を差し出した。
「飲むか?」
「いただきます」
ランは直接水筒に口を付けて、それでも両手で水筒を支え、いかにも上品に水を飲んだ。水の残りも少なくなっていた。
歩き始めてしばらくして、崖から小さな水流が落ちているところへ行き当たった。タギは水筒を一旦空にしてからその水流の水で満たした。ランに言い聞かせるように、
「ここの水は飲める。だけどアルヴォンの中の水が全部飲めるとは限らないから、注意した方がいい」
何度もアルヴォンを往復しているとそんな事情にも詳しくなる。
道をたどりながら、タギはランに訊いた。
「ニア街道を通ってどこへ行くつもりだったんだ?今は西へ向かっているけれど、それでいいのか?」
「カーナヴィーへ行きたかったの」
「カーナヴィー?」
「はい」
カーナヴィーはニア街道を西へ向かって、街道が終わる少し前で南に折れて行く町だった。子供の足ならここからでも七日以上かかるだろう。とりあえず方向が同じなのは好都合だった。
「ラン一人じゃなかったんだろう?」
あの戦闘の後は、ランと一緒にいた者達と誰かが戦ったからだと思っていた。
「はい、昨日まで三人一緒だったの。でも・・・・。あそこまで来たときいきなり鉄砲で撃たれて、それでカニニウスもゼリも怪我をして、わ・・僕を馬に乗せて、先に行けって。それで後ろを振り返り振り返りして馬を走らせたんだけれど、追いかけられて、道が悪くて、あそこで足を滑らせて・・・」
「馬ごと落ちたの?」
「はい。途中で木に馬が引っかかったので、夢中で枝にしがみついたの。そのあと馬は落ちてしまって・・・」
馬が一度クッションの役を果たしたのだ。だからあの高さを落ちてもたいした怪我もなくて済んだのだ。
「誰かに追われているの?」
ランは唇をかんで俯いた。二、三度頷いて顔を上げた。
「はい、父の仇です。でも僕や、僕に味方してくれる人たちの力が足りない間はまず逃げなければいけないから・・・。タギ、カーナヴィーまで連れて行ってくれませんか?今はお礼もできないけれど、カーナヴィーまで行けば叔母様がいらっしゃるから、十分お礼ができます。僕に味方してくれる人たちもいます。でも今僕は一人で、一人ではアルヴォンを超えることは無理だと思うし、どうしても助けが必要なんです」
ランは必死だった。一人ではとてもカーナヴィーにたどり着く自信はないし、他には何も当てがない。今自分を保護し、守ってくれる可能性のある大人は、目の前にいるタギだけだった。この人は悪い人ではない。でもこの人にはこの人の都合があるだろう。その都合を自分のために曲げてくれるだろうか?自分のことをそんなに重く考えてくれるだろうか?必死に頼む以外にランにできることはなかった。
「私は先ずネッセラルへ行かなければならない。この」
タギは背負っている荷物を指さした。
「荷をネッセラルへ運ばなければならないから。その後でよければカーナヴィーへ行ってもいい。それほど遠くないから平地をたどればネッセラルから一日、二日で着くだろう」
ランはこくっと頷いた。安心した。まっすぐにというわけにはいかないが、ともかくもカーナヴィーへ連れて行くと言ってくれた。時々タギについて行くのに小走りになりながらランは少しだけ気持ちが明るくなった。
自分の足に、ランがついてくるのに難渋しているのに気づいてタギが訊いた。
「ラン、おまえいくつだ?」
「十三になったばかり」
体格からみてもう少し年若かと思っていた。少しでも早くニアへ着きたい気持ちが、タギの足を速めていた。でももう少しゆっくり歩こう。
子供の足ではやはりタギの思い通りの速度で歩くことはできなかった。途中ニア街道を東に向かう旅人達とすれ違った。昨夜ニアに泊まった人たちだった。彼らは不思議そうな顔をして二人を見ていた。この時間に、この場所を、この方向に、ニア街道をたどる人間は普通はいないからだ。彼らが隣の宿場を朝出発した人たちと出会うのは、普通、二つの町の中間辺りで、昼頃のはずだった。
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