インテルメッツォ 3
その子供を見つけたのは、アグララ様の神殿を掃除に来た女達だった。子供は神殿の入り口に立っていた。茶色の目はまっすぐ前を見ていたがどこにも焦点が合っていなかった。口は閉じられ、顔には何の表情も浮かんでいなかった。女達には見慣れない奇妙な服を着ていたが、その服はずたずたに裂けていた。十をいくつもすぎてはいないようだったが、痩せていて、破れた服の下の皮膚には擦り傷や切り傷がたくさんあり、乾いた血がこびりついていた。黒い髪は櫛も入っていないようでぼさぼさだった。
女達に話しかけられても、子供は何も答えなかった。表情もまったく動かなかった。まっすぐ前を向いたまま、回りの様子にまったく興味を示さなかった。
村長の目の前で村役人に質問されても、子供は反応しなかった。何を言っても答えない子供に村役人は声を荒げたが、結果は同じだった。余りの反応のなさに質問した村役人の方が気味悪く感じるほどだった。
村長は村役人に命じて事情を調べさせた。アグララ様の神殿は村のほぼ中央にある。そこでこの子供が見つかったというのなら、神殿まで歩いていく子供を見かけた村人がいるはずだった。あるいは村人の誰かの知り合いかもしれない。しかし、この子供を知っている村人は一人もいなかった。神殿で見つかる前に見かけた村人もいなかった。前の日に神殿の掃除をした女達は子供を見ていなかった。つまり子供はその朝になって急に、どこからともなくアグララ様の神殿に現れたのだ。
ここしばらく豊作の年が続いていたのが子供に幸いした。アグララ様は農業と天候の神で、しばらく恵みの年を続けた後には、人々を試すと言われていた。それ以上の幸運を与え続けるかどうか、人間を試して決めるのだと。そしてそのやり方はいつも違うのだ。村の長老の一人が、この子供はアグララ様の遣いではないかと言った。子供はアグララ様の神殿で見つかったし、神殿までの足取りがまったくわからないし、アグララ様と関係があるとしか思えないと。
一度その可能性が指摘されると、無視することは出来なかった。疎略に扱うことも出来なかった。とりあえず神殿に付属した、祭りの道具などを入れておく小屋で面倒を見ることに決まった。子供が持っていたナイフとベルト、奇妙な道具は村庁で預かった。
女達が古着を持ってきて服を着替えさせた。体を拭いてこびりついた血を落としてやった。自分の血のようだった。ふさがったばかりの生々しい傷がその下から出てきた。何をされても子供はじっと立っているだけだった。目の前に食べ物を持ってきてやっても反応しなかったが、口に入れてやると咀嚼して飲み込んだ。水も同じ事だった。放っておくとじっと立っているだけで、手を添えて座らせたり、寝かせたりしなければ、姿勢を変えることもなかった。眠りから覚めるとまた立ち上がっているのだった。
何年か続いた豊作の所為で村には余裕があった。子供一人の負担増など何でもなかった。村の有力者の家が交代で子供に食事を運んだ。もしアグララ様の機嫌を損ねて、日照りや洪水の年があればそんな余裕など一、二年で吹き飛ぶ。子供の世話を怠りなくするだけでそんな事態を避けられるなら安いものだった。
一ヶ月も経たないうちに子供の存在は村にとって、当たり前のことになった。神殿の掃除を交代でするように、子供の世話にも村の女達が交代であたった。しかし一ヶ月経っても子供の様子は変わらなかった。
子供はよくみると整った顔つきをしていた。ほっそりした手足が長く、指も長くきれいだった。きちんと食べて、痩せた体に少し肉が付いてきて、けがが治るとなめらかなきれいな肌をしているのが分かった。同年代の少年達のように、言うことも聞かずに騒ぎ回ることもないだけ、まるで人形をかわいがるように女達がかわいがった。アギーさんと女達は子供を呼んだ。アグララ様を縮めた愛称だった。
同じ年頃の少年達にとって、いきなり村に現れて女達にかわいがられている子供の存在がおもしろいはずがなかった。ある日子供の世話をする女達のいない時間をねらって、アグララ様の神殿を襲った。
子供はいつもと同じように神殿の入り口に立っていた。少年達は―全部で十一人だったが―子供を取り囲んだ。ガキ大将格のひときわ体の大きな少年が子供の前に立った。皆十一、二までの少年だったが、―それ以上年長の少年達はもう大人に混じって仕事をしなければならなかったから、こんな事に時間を使うわけにはいかなかった―特にガキ大将格の少年は子供に比べてずっとたくましい体格をしていた。小柄な子供を上から見下ろすように睨み付けて、精一杯低い声で凄んだ。
「おい、おまえ」
ガキ大将に呼びかけられても子供は反応しなかった。
「何とか言えよ、可愛ぶりやがって、いい気になるんじゃないぞ!」
ガキ大将は手に持っていた木の棒で子供の肩を突こうとした。本気ではなく脅しのつもりだった。それまで何を言われても、何をされても反応しなかった子供が、すっと横に動いた。横に平行移動したとしか思えないなめらかな動きだった。木の棒は子供に当たらず空を切った。ガキ大将は不審そうな表情になった。
「おまえ?」
ガキ大将はもう一度子供の肩を突こうとした。今度はもっと力を入れて、突くスピードを上げた。結果は同じだった。ほんの少し動くだけで子供は木の棒の攻撃をかわした。信じられないという顔をしたガキ大将は顔を真っ赤にして、闇雲に棒を振り回して、子供を打とうとした。子供は最小限の動きでそれをかわした。ガキ大将がどんなに力一杯振り回しても、棒は子供の体をかすりもしなかった。
「こいつを捕まえろ!」
息を切らしたガキ大将が回りを取り囲んでいる少年達に命令した。ガキ大将は体も大きく、力も強く少年達に対して強い支配力を持っていた。遠巻きにしていた少年達は互いに顔を見合わせたが、それでも子供を捕まえようと手を出した。しかし、少年達が嫌々手を出した所為もあったが、子供は少年達の手をくぐり抜け、さわらせもしなかった。少年達にとっては、思いも掛けないような敏捷さだった。
気味の悪そうな顔をした少年達は、直ぐに子供を捕まえようとする努力をやめた。じりじりと後ずさりすると一斉に後ろを向いて逃げ出した。皆おびえた顔をして、中には泣いている少年もいた。一人残ったガキ大将も、逃げ出していく仲間を情けなさそうな顔で見ていたが、子供が自分を見つめているのに気づくとびくんと体を震わせて、後も見ずに逃げ出した。自分が得体の知れないものを相手にしていたことにやっと気づいていた。
女達が食事を持って神殿に来たときにはもう全ては終わっていたし、子供の様子も変わりはなかった。少年達もガキ大将も、自分たちにとって不面目な事を大人や年長の少年達に言うはずもなく、この事件は他の村人に知られずに済んだ。
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