第15話 バルダッシュ攻防 3章 二回目の戦い 5

「公爵様!」


 ウルバヌスが絶望的な叫びを上げながら、倒れたセシエ公に駆け寄ろうとしたとき、屋根の上から黒い影が飛び降りてきた。その影が巨大獣の鞭毛と交錯した瞬間、セシエ公を強く引きずろうとしていた力が消えた。セシエ公の体の傍らで、絶ち切られた鞭毛がぱたんぱたんと地面を叩いていた。


「タギ・・・」


 呆然と佇むウルバヌスの目の前にタギが立っていた。タギはウルバヌスの方を見もせずに、セシエ公に向かって、


「火を付けるのです。巨大獣に油を掛けて、火を付けるのです」


 タギは思い出していた。炎に包まれて崩れ落ちる建物に巻き込まれて巨大獣が燃えているのを見たことがある。皮下に分厚い脂肪層があるのだ。それを燃やすことができればなんとかなるかもしれない。


「なに?」


 セシエ公が倒れたままタギを見上げた。


「何を言った?」


 その言葉に応えもせずに、セシエ公の目の前からふっとタギが消えた。


「公爵様」


 ウルバヌスが駆け寄って、セシエ公に手を貸して立ち上がらせた。


「まだここは危険です、早く向こうへ!」


 頷いて、セシエ公が走り始めた。その背後を警戒するようにウルバヌスが駈けた。


 サヴィニアーノに指揮された部隊が、巨大獣がセシエ公とその直衛を攻撃していることに気づいた。彼らは巨大獣に対して鉄砲、弓を撃ちかけた。巨大獣は小うるさく攻撃してくる部隊に向き直って、前肢を振り上げた。

 タギが感覚柄を潰した巨大獣だった。背中に乗ってコントロールしていたアラクノイを失って周りの情報を知る手段を無くしていた。皮膚に当たる弾や矢の方向へ、文字通りめくらめっぽう前肢を振り回し、鞭毛を伸ばしているだけだった。周りの様子が分からないままの突進は建物にぶつかった。手当たり次第に振り回す前肢も鞭毛も、建物に当たればそれを崩し、人や馬に当たれば引き裂き、弾きとばし、からみついて投げ飛ばした。サヴィニアーノの部隊は大混乱に陥った。兵士や馬は突進してきた巨大獣に踏みつぶされ、崩れてきた瓦礫に埋まり、前肢や鞭毛に弾きとばされて壁や地面にたたきつけられた。巨大獣から少しでも離れようと逃げ出す兵士と、それでも踏みとどまって鉄砲や矢を射掛けようとする兵士がもみ合った。その上にさらに瓦礫が降ってきた。

 

 やっと安全な距離まで離れたセシエ公が周りに集まってきた兵士達に命じた。


「油を持ってこい、酒瓶か何かに入れて小分けするのだ。それを巨大獣にぶつけて火矢を射掛けるのだ!」


 有無を言わさないセシエ公の命令に、兵士達が駈けだしていった。セシエ公の軍勢は、明かりを採るためや料理に使うためにかなりの量の油を持ってきていた。兵士達はそれぞれ心当たりの油を置いてある場所に駆けつけ、命じられた通り小分けした。

 短い時間の間にセシエ公の周囲にたくさんの小分けされた油が集められた。


「ウルバヌス、指揮を執れ!さっきの奴が言ったように油を巨大獣にかけて火を付けろ」

「かしこまりました」


 ウルバヌスは小さく頭を下げて


「ついてこい!」


 ウルバヌスの後に油を入れた瓶を持った兵士と、弓を小脇に抱えた兵士が続いた。彼らは声を上げずにできるだけ巨大獣に近寄った。巨大獣はサヴィニアーノの部隊を攻撃するのに夢中でウルバヌスに率いられた兵達が近づいてくるのに気づかなかった。

 油の入った瓶を手で投げつけて巨大獣に当てるためには、できるだけ近づかなければならなかった。ウルバヌスに率いられた百人あまりの兵は、暴れ回っている巨大獣の後ろから、三十ヴィドゥーの距離まで近づいた。その後ろには火矢を用意した兵士達が控えていた。


 ウルバヌスが手を挙げた。油の瓶を持った兵士達が、一斉に投げる動作に入った。弓を持った兵士達が火矢をつがえた。ウルバヌスが手を下ろした。百あまりの瓶が宙を飛んだ。瓶は巨大獣の体に当たって砕け、中の油を巨大獣の体にぶちまけた。同時に火矢が放たれた。火矢は次々に油を被った巨大獣に当たった。巨大獣の体がその形のまま火の塊になった。巨大獣が首を反らした。ばおおぉ~んという咆吼が響いた。複数の瓶を持っていた兵士達が、続いて二本目、三本目の瓶を投げた。巨大獣の体を包む炎がますます大きくなった。炎に包まれて、巨大獣はまるで舞踏を踊るように首を振り、前後左右に動いた。巨大獣がぶち当たった建物が崩れ、逃げ遅れた兵士が建物の下敷きになったり、踏みつぶされたりした。それは断末魔の動きだった。

 炎に包まれて断末魔に苦しむ巨大獣を遠巻きにしていた兵士達から、歓声が上がった。彼らにはどうしていいか解らなかった巨大獣を見事にしとめたセシエ公に対する、それは賞賛の声だった。彼らは手を挙げ、剣を打ち鳴らし、声を限りに『アンタール・フィリップ様万歳』を叫んだ。



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