第3話 侵攻 5章 アティウス

 農機具を納めておくための粗末な納屋だった。本来の入れておく物を乱暴に横に片づけて、二十人ほどの人間が、そのうち五、六人は女だったが、中にいた。一人の男を上座において、他の全員がその前にかしこまっている。上座にいるのはアティウスだった。

 アティウスの前にかしこまっている人間たちの中から一人が進み出て、アティウスの前に何かを置いた。細くて短い鉄の棒だった。先が鋭く尖っている。黒くこびりついているのは血痕だった


「アザニア湖の北の森を東から捜索に行った隊が全滅しておりました。正規兵のみではなく、ガンゼロスたちも森の中でやられていました。そしてガンゼロスの後頭部にこれが刺さっておりました」


 アティウスが鉄の棒を取り上げた。珍しいものでも見るようにしげしげと見つめた。小指ほどの太さで手のひらをいっぱいに広げたほどに長さがあった。尖った先端が禍々しい。


「何の変哲もない鉄の棒に見えるが、武器としては珍しいものだな。セゼロ、おまえはどうだ?こんな武器を見たことがあるか?」

「いいえ、ございません。アティウス様」

山人やまびとが使う武器か?」

「聞いたことがありません」

「新しい敵だな。私に心当たりがありそうだ」

「はっ?」

「黒い髪で、瞳は茶色、小柄で痩せている。恐ろしく敏捷で、ナイフを使うのがうまい」


 アティウスが一同を見回した。


「戦闘中にそんなやつを見なかったか?」


皆、首を振った。セゼロと呼ばれた男が言った。


「そのような男は見ておりませんが、ルゴゥの傷はナイフによると思われました」

「じゃあ決まりだ。あいつだ」


 そこにいた全員が一斉に目を上げてアティウスを見た。全員の目に殺気が籠もっていた。


「駄目だ、駄目だ。未だ言わないぞ、証拠がないんだからな」

「アティウス様。マギオの民の間では証拠など必要ありません!アティウス様がそうだとおっしゃるなら、我らが始末を付けます!」


 アティウスはにやっと笑った。


「それは困る。あいつは私が相手をする。だがあいつがこのニア攻略戦に最初から係わっていたわけではなさそうだな。最初からいたらおまえたちの目にとまらないはずがないからな、もうこの近くにはいないかもしれない」


 逃げた捕虜を追跡するから加われという命令を受けたのだ。それで四組の追跡隊に三人ずつ付けて送り出した。そのうちガンゼロスたちがいつまで待っても帰ってこなかった。それでガンゼロスたちが行った方向を探させたら全員が死んでいたというのだ。マギオの民同士で戦ったようなやられ方だった。だが今アルヴォン側に付いている民はいない。マギオの民以外でこんなふうに戦うことができる人間がそうそういるわけはない。タギだとアティウスは確信していた。ガンゼロスは民の中でも指折りの腕利きだった。それが手もなく、二人の部下を連れていてやられている。自分だとどれくらい戦えるだろう。アティウスは自分が柄にもなくわくわくしているのを感じていた。

 アティウスは座っていた床几から立ち上がった。前にいるマギオの民が頭を下げた。


「解散する。もう我々の出番も終わりのようだから、引き上げる準備をしろ。そうだ、シレーヌは残れ」


 全員が立ち上がって納屋を出て行った。シレーヌだけがそこに残っていた。明らかに不審の表情を浮かべていた。


「アティウス様」

「シレーヌ、分かっているだろうな?タギのことは口外無用だぞ」

「本当にそれでよろしいのですか?ガンゼロスやルゴゥをまとめて倒すような男ですよ。今のうちに始末しておいた方がよろしいのではありませんか?」


 アティウスはその問いに直接は答えず、ついてこいと言うようにあごで示して、納屋を出た。後からシレーヌも続いた。納屋の後ろの小高い丘に登った。

 丘からニアの市壁が見えた。外から見る限り、市壁の姿は何も変わらないように見えた。アティウスはじっと市壁を見つめていた。その後ろでシレーヌは市壁と、アティウスを交互に見ていた。アティウスが口を開いた。


「あの堅固そうな市壁を突破するのにわずか二日だ。内から手引きしたわけではないんだぞ。カンガと違ってな。マギオの民もやり方を変えないといけないかもしれないな。鉄砲なんて武器が出てきては」

「だからもう我々は用無しというわけですか?サヴィニアーノに呼ばれたのはそのことだったのでしょう。我々が十年以上前からカンガに住み込んで手引きをしたことを、もはや評価しないというのですか?」

「そうだ。いろいろ持って回った言い方をしていたが、とどのつまりはそういうことだ」

「そんな!我々を利用するだけ利用しておいて、今さらもう必要はないなんて!」

「権力者ってのはそういうもんさ」

「・・・・・」

「だから、我々のようなものは権力者べったりになってはいけないんだ。ハニバリウス本家と私の意見の違いだな」


 マギオの民は挙げてセシエ公に付いている。ハニバリウス本家の方針だった。そしてそれに対してアティウスが批判的だというのは、マギオの民の間では知られたことだった。


「アティウス様、私には難しいことは分かりません。でもカシェオの一族は常にガルバのご一族を支持しておりました。私もカシェオの一族に連なる者、アティウス様のご命令に従います」

「はは、そうしゃちほこばるんじゃない。ガルバのご一族と言っても今は私一人だ。今すぐ何かをする気はない。それにな、シレーヌ。私は鉄砲のことをもっと知りたい。どれほどの威力があるのか、どんな使い方ができるのか。マギオスの法にどんな影響を与えるのか」


 なによりマギオの民にどんな影響を与えるのか。


「アティウス様?」

「鉄砲を手に入れよう、シレーヌ。手に持って、使ってみて。そうすれば色んなことが分かってくると思うのだ」


 陽は傾きかけていた。マギオの民は納屋を中心に野営している。正規軍のように、幕舎をたてたりはしない。灌木の陰や木の下にもぐり込んで目立たないように眠る。料理するための火を焚くこともない。今から眠って暗いうちに起きて出発することになる。

 何も知らない者が納屋の側を通りかかってもそこに二十人を超す人がいることなど気づきもしないだろう。闇の中ならなおのことだ。闇の底に住む者、人の心の一番汚いところを餌に生きる者、いろいろな名で呼ばれる民だった。鉄砲はひょっとしたら、民を明るい陽の下でも生きられる者にするかもしれない。タギの手並みが見られるかもしれないと思って出てきた戦だった。思いもかけず鉄砲という新しい武器を、そしてその武器をセシエ公の軍がどういうふうに使うかを見て、アティウスは心の中の壁の一部が崩れていくのを感じていた。鉄砲がマギオの民の生き方を変えるかもしれない。そうであれば、これまでハニバリウス本家に飼い殺しにされてもいいと思っていた生き方を変えてもいい。

 未だ何も手を付けていないうちにそんなことを考えている自分に気づいて、アティウスは苦笑した。

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