第4話 再会 2章 タナイズス川の闘い

 タギは高い木のてっぺんにいた。緩やかな起伏が続く、グルザール平原でも有数の牧畜地帯で広大な牧草地が広がっていた。放牧場のはずれにちょっとした小高い丘と森があり、その森の中で一番高い木にタギは登っていた。タギの双眼鏡を通して、四里ほど離れたところに展開している軍勢が見えた。ファビア街道の北で、広いがこの時期には水量が少なく浅いタナイズス川を挟んで、西にカーナヴォン侯爵、ヴァドマリウス伯爵連合軍、東にセシエ公の軍が布陣していた。タナイズス川の西側からカーナヴォン侯爵の領地がはじまる。これ以上セシエ公の軍勢を西に進ませたくないというカーナヴォン侯爵の意識がここを戦場に選ばせたように見えた。連合軍が騎兵一万、歩兵一万二千、セシエ公の軍が騎兵四千、歩兵八千で計一万二千、とタギは見た。連合軍の騎兵は破壊力に主点をおいた重装騎兵、セシエ公の騎兵は機動力に重点を置いた軽装騎兵だった。セシエ公の軍は連合軍の半分強だったが歩兵の半分、四千が銃兵でこれはセシエ公が本陣を構えている丘の後ろに配備され、最前線にいる歩兵は連合軍に比べるとさらに貧弱に見えた。

 タナイズス川の東側は川の土手でいったん高くなった後、もう一度低くなって、さらにまた高くなるという地形をしていた。かって水が流れて涸れた後だった。二つ目の高みの上にセシエ公の本陣があった。土手の後ろの下り坂の途中に先を鋭くとがらせた逆茂木が地面に固定してあった。ちょうど馬の腹の高さに二重~三重の杭が立っていた。


 嫌らしい-とタギは思った。土手に邪魔されて連合軍からは逆茂木は見えない、もちろん逆茂木だけで破壊力抜群の重装騎兵の突進を止めることなど出来ない。しかし逆茂木に気づいた騎兵はスピードを緩めるかもしれないし、そのまま突っ込んで来るかもしれない、スピードを緩める騎兵がいればそこで足並みが乱れる。それは銃兵がつけいるすきになるだろう。両軍が布陣したのは昨日の午後だった。おそらく連合軍はこの逆茂木の存在を知らない。


 最前線では両軍が戦機を伺っていた。日も高くなり始めたころ、セシエ公の陣から矢が放たれた。それに呼応するように連合軍からも矢が飛んだ。配置されている歩兵の数が違うため矢数は圧倒的に連合軍の方が多かった。セシエ公の軍がひるんだように見えた。それを見た連合軍の騎兵が喚声を上げて突っ込んできた。重装騎兵の突進を受けたセシエ公の騎兵は多少の抵抗をした後、脆くも崩れた。セシエ公の本陣への道が開けたように見えた。連合軍の重装騎兵は抵抗を止めたセシエ公の騎兵追うことなく、セシエ公の本陣めがけて突撃を開始した。セシエ公を仕留めればこの戦は勝ち戦に終わるのだ。


 うまい、タギは感心していた。実にうまく逆茂木に向かって敵を誘導している。セシエ公の騎兵は連合軍の騎兵の攻撃を受けて一見排除されたように見える。しかし全体を遠望していると、その行動はあらかじめ予定されていたものであることが分かる。損害はほとんど受けずに勢力は温存されている。実によく訓練された軍だった。


 連合軍の騎兵は土手を上りきって、下りになるところでさらに勢いを付けて突進しようとしていたところで逆茂木に気づいた。慌てて止まろうとする騎兵とそのままの勢いで突撃しようとする騎兵で混乱が起きた。突っ込んでいった騎兵は鋭くとがらせた逆茂木で馬を傷つけられた。止まろうとする騎兵、そのまま突撃して馬を傷つけられた騎兵、なんとかうまく逆茂木を超えられた騎兵、さらに後ろから突進してくる騎兵、そこには名状しがたい混乱がおこった。


 そして、闘いはここからが本番だった。本陣の後ろに控えていた銃兵が現れた。セシエ公は鉄砲隊を四人一組にして使っていた。鉄砲を撃つのは一人、他の三人は弾を込める役だった。次々に弾を込めた鉄砲を銃手に渡し、銃手は撃ち終わった鉄砲を装填手に渡す。先込めの単発銃でも絶え間なく弾を撃てるようにする工夫だった。最初に一斉射撃の音が四回聞こえた後、間断ない射撃が続いた。

 撃たれる方からしたら絶えず弾が飛んでくる様に感じられただろう。たちまち死傷者が山になった。どうにも収拾がつかなくなって、何とか騎兵をまとめて退却しようと指揮官たちがあせっているところへ横からいったん蹴散らされたように見えたセシエ公の騎兵が突っ込んできた。カーナヴォン侯爵、ヴァドマリウス伯爵連合軍の組織だった抵抗が打ち砕かれた。


 タギは双眼鏡を手にしたまま感心して眺めていた。双眼鏡では視野が狭くなるので、戦端が開かれてからは肉眼で見ていた。戦闘集団としての訓練、動きが全く違った。セシエ公の軍は一つの意志の元に見事に統制されていた。軍全体が一匹の獣の動きを見るようにスムーズに動いていた。それに対して、連合軍は指揮系統がバラバラで、命令の伝達もスムーズではなかった。人数は多くても、カーナヴォン侯爵軍とヴァドマリウス伯爵軍が別々の命令で動いており、その命令さえ徹底できず、十人、二十人の小さな単位での抵抗だけになっていた。


 勝負はあっけなかった。連合軍は大混乱のままてんでばらばらに退却していった。セシエ公の軍は直ぐに追撃戦に移った。タナイズス川に退却の速度を落とされた連合軍にセシエ公の軍勢が襲いかかる。たちまち河の水が真っ赤に染まった。それでも何とか川を渡りきった敗軍の主力はカーナヴィーに向けて退却している。当然追撃するセシエ公の軍もカーナヴィーへ向かった。どれほどの戦力がカーナヴィーに残されるだろう。動員されただけの兵士達は追跡されることが分かり切っている方向へは逃げない。少しでも危険の少ない所へと走る。カーナヴィーに向かうのは貴族と騎士とその直属の部下だけだろう。セシエ公のことだ、一気呵成に始末を付けるだろう。カーナヴィーの城壁が何日攻撃を防げるだろう?ニアの例を見てもほんの数日しかもつまい。

 それにしても、とタギは思った。対陣してから一日近く経っているのだ。その間、カーナヴォン侯もヴァドマリウス伯も、セシエ公の軍が何をしているのか偵察しなかったのだろうか?相手のことも知らずに重装騎兵を突撃させたのだろうか?それとも知っていてなお気にしなかったのだろうか?

 セシエ公は五万以上の軍を動員できる。東を空っぽにする訳にはいかないだろうし、占領したニアにも人数を置いておかなければならない。未だアルヴォン同盟との小競り合いは続いていた。それでも三万以上は連れて来ることができたはずだった。その半数以下しか戦場にはいない。そしてその人数で完勝してしまった。最初からそういう計算だったのだろうか?恐ろしい人だ、セシエ公というのは。

 

 これで戦場はカーナヴィーにうつる。セシエ公にとっては主戦の後始末だろう。カーナヴォン侯爵の一族にとっての悪夢が始まる。ダシュール子爵家とその保護下にあるランにとっても。

 ラン、そうだ、ラン。タギは思った。おまえは未だカーナヴィーにいるのだろうか?私にどうしてほしい?私に助けてほしいのだろうか?それともランではなくクローディア・アペルとして生き、死にたいのだろうか?

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