第4話 再会 1章 戦いの予徴 2

 ノックの音が聞こえて、ランは振り返った。ラン付きの女中が立っていた。軽く会釈をして、


「奥様がお呼びです。居間でお茶になさるそうです」

「分かりました。直ぐお伺いしますと伝えてください」


 ランは鏡を見て素早く服装を点検した。髪をなでつけて整える。タギに会ったときにはうなじのところまで短くしていた髪も背中まで伸びていた。鏡に映る自分の姿を点検してランは頷いた。叔母は服装にうるさかった。これなら顔をしかめられることもないだろう。

 階下の居間には叔母、ユーフェミア・ダシュールが待っていた。もう暑くなろうかという時期なのに、首のところまできっちり閉めた長袖のドレスを着ていた。お母様なら普段はもっと楽な格好をなさるのに、とランはいつも思う。膝を軽く曲げて挨拶をした。


「お待たせして申し訳ございません、叔母様」


 ユーフェミア叔母が頷くのを待ってその向かいに座った。直ぐに女中が香りの高いお茶と菓子を持ってきて、二人の前に置いた。女中の動作も無駄のない洗練されたものだった。カーナヴォン侯爵家の分家とはいってもダシュール子爵家はランディアナ王国でも由緒ある家柄なのです、と叔母は口癖のように言っている。家格の高さを使用人の躾や、調度の品の良さで示そうとするように、この方面に対する叔母の熱心さはたいしたものだった。


「近頃、屋敷の中が騒がしいことに気づいていると思いますが・・・」


 いかにも上品に茶を口に運びながら子爵夫人は言った。


「はい、気づいております」


 ランも一通りの躾は受けている。同じように品良くティーカップを口元に運びながら答えた。もっとも、もっと気安い雰囲気でお茶や食事をする方がおいしいとは思っていた。


「クローディアはアペル城でつらい思いをしているから、心配しているのではないかと思いますけれど、懸念にはおよびません」


 叔母様はこの話をするために私をお茶に呼ばれたのだわ、ランも上品に菓子をつまみながら、叔母の話を聞いていた。


「カーナヴィーはカーナヴォン侯爵家の本拠です。侯爵家は家人けにんも多く、カーナヴィーは堅固な城壁に囲まれています。ヴァドマリウス伯爵からの援軍も来るという話です。今度ばかりはセシエ公も勝手が違うことを思い知るでしょう。むしろセシエ公を押し返してカーナヴォン侯爵家の所領を増やす、いい機会かもしれないとオルシウスも言っています。ですからクローディア、心配する必要などないのですよ」


 オルシウスというのはユーフェミア叔母の夫でダシュール子爵家の当主だった。叔母より二十近く年上で、少なくなった頭髪を毎朝丁寧になでつけ、せり出した腹を気にしながら、腹一杯食べずにはいられないという男だった。しかし、細い目は鋭く、カーナヴォン侯爵家の分家の中でもさして重要な地位を占めていなかったダシュール家を、その右腕と言われるくらいに興隆させたのも、この男だった。


「お気遣いいただきましてありがとうございます、叔母様。カーナヴィーが堅固なことはよく分かります。心配などいたしておりません」


 いつの間にこんなもの言いを覚えたのだろう。笑顔の下に本心を隠して話すようになってずいぶん経つ。


「そう。大船に乗った気でいなさいとオルシウスも言っています。ここでセシエ公の勢いを挫くことができたらアペロニアを取り戻すことも夢ではありません。クローディア、そうなればあなたがアペル伯爵家を継ぐのですよ。もちろんしばらくはしかるべき後見人が必要でしょうけれどね」


 その後見人とはダシュール子爵のことだろう。おそらくランを嫁がせる相手も早々と見繕っているに違いない。それでも今のランは子爵の言うとおりに動くしかない。


「はい、叔母様。どうかよしなによろしくお願いいたします」


 ランが頭を下げてそう言うと、ユーフェミア・ダシュールは上機嫌に頷いた。アペロニアを実質上支配下におけば、ダシュール子爵家の領地は倍以上になる。カーナヴォン侯爵家には及ばなくても、王国内でも屈指の領主になることができる。それがオルシウスの見込みだった。セシエ公との戦で大功を立てればさらに領地が増える可能性もある。取らぬ狸の皮算用だったがオルシウス・ダシュールは本気だった。

 ランは疑問など口に出さず黙って聞いていた。叔母ほど楽観的にはなれなかった。父の兵も強かった。この都会で見る兵よりもずっと強そうだった。父は城などに籠もらずセシエ公の軍を打ち破りたかったのだ。それなのに野戦で負けて、籠城戦にせざるを得なかった。城が陥ちたのは裏切りの所為だが、マクセンティオが裏切らなくてもどれだけの期間守り通せたか分からない。父も兄たちも籠城戦の行く末に決して楽観的ではなかった。

 カーナヴィーが破れたら、もう行くところはない、父と母と兄たちのところ以外には。それでも構わないわ、本当なら一年八ヶ月も前に行くはずだったのだもの、ユーフェミアに見せている笑顔の下でランはそう考えていた。

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