第13話 ダングランの戦い 1章 王都にて 2

 内城壁の中には巨大で複雑な形をした内宮しかない。十分に様子を知っているその者は、内宮の側扉の一つにとりついた。外からは開かぬはずの扉が簡単に開いた。するりと内宮の中に入った。扉を出るときに細工しておいた鍵を元に戻すと、複雑な形の廊下をたどり始めた。他人と出会わぬように気を付け、警備の兵の気配があるときには身を潜めてやり過ごし、いくつもの階段を上り下りし、目的の部屋へたどり着いた。その夜初めて気を緩めたのは、王女の侍女として与えられている自分の部屋に戻ったときだった。

 顔を覆っていた布を外し、髪をとめていた紐を解いた。頭を一振りした。長い、艶のある黒い髪がふわっと揺れた。腰に差していた短剣を外し懐から手裏剣を取りだし、着ていた服を脱ぎ丁寧にたたんでまとめると、侍女のお仕着せに着替えた。王女の朝は遅いが侍女が同じように遅くまで寝ていられるわけではない。手早く控えめな化粧をして、鏡に映った自分の姿を確かめると、徹夜の疲れも見せず、ミランダは朝の仕事をするために部屋を出て行った。


 セルフィオーナ王女の朝食はもう陽も高くなってから、というのが普通だった。その日もほとんど昼に近い時刻に、南向きのサンルームのような部屋で朝食を摂っていた。絞りたての牛乳、新鮮な果汁、香ばしい香りのする焼きたてのパン、熟成したチーズ、軽く火を通したハム、半熟の卵、取り入れたばかりの野菜、品目は質素に見えるが、どれもこの時間にきちんと揃えるには結構手間の掛かるものばかりだった。それを王女は若い女性の健啖さを発揮して食べていた。開け放たれた窓から初夏のさわやかな風が、かすかな塩気を含んで入ってきていた。

 丁度食べ終わるころに熱いハーブティーが王女の目の前に置かれた。サーブしているのはサンディーヌとミランダだった。王女が食べている間二人はその後ろに控えていた。王女はどんな食事どきも一人きりになることはない。他人の視線の中で食べるのはその身分からしてごく普通のことだった。

 セルフィオーナ王女はハーブティーに手を伸ばして、一口飲み、軽くため息をついた。


「夜更かしはやはり応えるわね。紅ののりが悪いわ。ねえそう思わない、ミランダ?」


 昨夜も王女はパーティに出席していた。それほど遅くなったわけではないが、このところ連夜のパーティだった。ミランダが行動を起こしたのは王女が寝室に引き取った後だった。若い、健やかな寝息を確かめてから王女の寝室を出たのだ。


「はい。でも姫様はいつもと変わらずおきれいです」

「口が上手になったわね、ミランダ。おまえも若いからといって、夜更かしばかりしていると肌が荒れるわよ」

「姫様?」

「今日は化粧がおまえの肌になじんでないわ。夜更かししているのではない?」

「いえ、いつも部屋に下がるとすぐに寝ませて貰っております。私の肌は姫様ほどきめ細かくございませんので、そのように姫様の目から見えるのだと存じます」


 ミランダの応えにセルフィオーナ王女は少し首をかしげて、改めてミランダを見つめた。ミランダにとっては居心地悪いことこの上なかった。


「そう?おまえがそう言うのならそうなのでしょうね」


 ミランダは軽く頭を下げて、その通りだと告げた。この話はこれで終わりだというようにセルフィオーナ王女はサンディーヌの方を見た。


「サンディーヌ、もう一杯お茶をちょうだい、これではなく、一昨日タグレイディアから献上されたのがあったでしょう?あれがいいわ」

「かしこまりました」


 サンディーヌは頭を下げてから、新しい茶の用意に部屋を出て行った。サンディーヌが部屋を出て行くのを待って、


「ミランダ、今日はセシエ公の屋敷に行くのでしょう?」

「いえ、姫様?そんなつもりはございません」


 ミランダは慌てて否定した。実のところ、その予定で、朝食後に半日の暇を願い出るつもりだったのだ。急に思いがけないことを言われて反射的に否定しただけだった。


「あら、そろそろそんな時期でしょう?定期的に報告をすることになっているのではないの?遠慮はいらないわよ、行ってらっしゃい」


 ミランダは少し混乱していた。夜更かしのことにことさら言及したことといい、セシエ公の屋敷に行けと言い出したことといい、まるで昨日のミランダの行動を知っているような口ぶりだった。

 ―そんなはずはない、セルフィオーナ王女は完全に寝入っていたし、誰かに付けられていた覚えもない。部屋に戻ったとき留守中に誰かが入った様子もなかった。それは部屋の扉に軽く結びつけてある切れやすい糸がそのまま残っていたことでも確かだった。私がセシエ公の意志でセルフィオーナ王女に付けられたことはその通りなのだから、かまをかけているのだ、とミランダは思った。そう思いこもうとした。

 セルフィオーナ王女が念を押すように再度言った。


「定期的な報告が必要でしょう?行ってらっしゃい。私もアンタール・フィリップ様がいつランドベリにみえる予定なのか聞いてきて欲しいから」






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