第2話 マギオの民 1章 邂逅1

 女たちの嬌声に送られて、タギはザンガッロの店を出た。真夜中に近い。ザンガッロの店はネッセラルの歓楽街、コンドスの中にあった。女と酒が自慢の店だった。コンドスは不夜城と言われるだけあって店の前にも、路上にもたくさんのかがり火がたかれていた。冬も終わろうとしている季節でも風は冷たく、かがり火の周りには暖をとろうと集まっている人たちも多かった。火に手をかざし、酒を口に運びながら大声で話をしている男達や、寒さに襟元を合わせながら男達を誘っている女達がいた。この時間になってもまだ人通りが多く、周りの店からは酔っぱらいの喧噪が聞こえた。かがり火の灯りも、建物の壁に掛かっている掛燭の灯りも、近づいてやっと人の顔が分かる程度の明るさだった。しかし灯りを採るろうそくも油も高価だったから、王や貴族の館ででもなければ、日が暮れてから盛大に灯りをつけることはなかった。だからその程度の明るさでも、普段をつましく過ごしている人々にはとても贅沢なものだった。

 タギは足をふらつかせながらコンドスを出た。コンドスを出るともう灯りはない。半分ほど欠けた月があたりを照らしていて、やっと足下が見えるほどの明るさしかなかった。

 足下もおぼつかないほどふらふらと歩いていたタギは、道の横によって上体を折った。苦しそうにえづきをあげる。その場にしゃがみ込んだ。肩が苦しそうに上下する。どこにでもいる酔っぱらいの格好だった。


 ―転瞬―、タギの体が反転し、七ヴィドゥーの距離を一気に跳んだ。次の瞬間タギの後ろの暗がりに佇んでいた男の首にナイフを擬した。


「動くな」


 首にナイフを突きつけられた男は驚愕に目を丸くして、体を固くしていた。茶色い髪をしたまだ若い、二十歳前後に見える男で、人の良さそうな少しだらしない口元をしている。かなりの長身でタギより頭ひとつ背が高い。


「なぜ私の跡をつける?」

「そんな!あたしはたまたま旦那と同じ方向に歩いてただけで・・・」


 タギが男の首に当てていたナイフを少し動かした。男の皮膚がわずかに切れて、血玉ができた。タギの眼に物騒な光が浮かんだ。無言で、おまえの首を落とすくらい簡単なんだぞと脅した。ナイフを持つ手に力を入れた。


「なぜ私の跡をつける?」


 男の表情に恐怖が加わった。冷や汗が浮いた。


「おまえは何者だ?」

「あっ、あたしはつまり・・・」

「マギオの民か?」


 男の顔に一瞬驚愕の表情が走った。信じられないことを聞いたように目を見開いてタギを下目使いにみた。


「あ、あたしは・・・」

「マギオの民だな?」


 男は観念したように目をつぶった。


「へえ、その通りで・・」

「なぜマギオの民が私をつける?」

「あたしはマギオの民でも、まだ駆け出しの下っ端なんですが、旦那がなんか普通の人間じゃないみたいで、それでつまり興味をかき立てられたわけで・・・」

「どういうことだ?」

「旦那はあたしたちに近いんじゃないかって、あたしの感覚にびんびん響いてくるんでさ」

「おまえの師匠は余計な好奇心は命取りだと教えなかったのか?マギオスの法を使うときには十分注意しろと」


 男は冷や汗をかきながら頷こうとしたが、あごの下のナイフが邪魔でまたあわてて頭を上げた。


「旦那、ナイフをどけてもらえませんか?心臓に悪い」

「駄目だな、おまえがマギオの民なら私の優位を落とすわけにはいかない。それにおまえが言うように駆け出しだとは思えない」

「旦那~、勘弁してくださいよ。旦那があたしなんかの手に負えない人だってことは重々分かりやしたから」


 男はナイフにあごを持ち上げられ、下目使いに自分よりも背の低いタギを見ていた。


「おまえを殺しておくのが、私にとって一番安全なんだぞ。特におまえのような正直でないマギオの民はな。全く私も優しくなったものだ。言葉を交わしてしまえば殺しにくくて仕方がない」

「旦那、ご冗談を!」

「冗談に聞こえるのか?」

「旦那、お願いですから勘弁してくだせえ。もう二度とこんなことはしやしませんから」


 男は必死に頼んでいるように見えた。とぼけた口調だったが、こんなところで殺されてはたまらないという思いを懸命にその言葉に込めた。


「本当に個人的に興味を持っただけというのか?」

「その通りでさ。個人的な興味で後をつけたんで、あの程度の隠行だったんでさ。仕事だったらもっと念入りに気配を消しまさ。それに事前に旦那のことを調べて気をつけますぜ」

「おまえの名前は?」

「ティオといいやす」

「師匠の名前は?」

「それも言わなきゃいけませんか?師匠に殺されっちまう!」

「今殺された方がいいのか?」

「・・・アッ、アティウスってんで」

「アティウス?」


 タギの口元に皮肉な笑いが浮かんだ。ティオと名乗った男ののど元からすっとナイフを引いた。アティウスという名前はこの男にぴったりくる。ティオはほっとした顔でため息をついた。


「私をつけてきた道をそのまま戻るんだ。後ろを振り向いてはいけない。いいな?」

「へっ」


 ティオは後ろを振り向くとぎくしゃくと手足を動かして、タギから離れていった。タギが油断のない眼でそれを追っていた。ティオはコンドスの方へ角を曲がった。

 とたんにティオの表情が変わった。それまで口元に貼り付けていた人の良さそうなだらしなさがぬぐったように消えた。精悍な顔つきになり、眼に鋭い光が宿った。年齢も二十歳を五、六歳過ぎているように見えた。そばにすっと黒い人影が立った。


「つけますか?」


 女の声だった。まだ若いようだ。

 ティオが眼で頷いた。ささやくような低い声で、


「二十ヴィドゥー以内には近づくな。どんなことがあっても十ヴィドゥー以内に入ってはいけない」

「はい」


 黒い影がティオから離れて走り始めた。

 タギは男が角を曲がったのを見届けてから身を低くして走った。百ヴィドゥーほど離れると建物の屋根に飛び上がった。建物の玄関の上に張り出している屋根だったが、通常の一階より高いところにあった。身を伏せて気配を殺す。タギの眼の下を黒い影が通り過ぎた。タギは音もなく飛び降りて影の後をつけ始めた。

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