第2話 マギオの民 1章 邂逅 2
天井の高い、広い部屋だった。毛足の長い豪華な絨毯が敷きつめてある。部屋の片隅に小さなろうそくが燃えている。真夜中の部屋の、それがたった一つの灯りだった。わずかな灯りがぼんやりと、椅子に座った男を浮かび上がらせていた。
タギに対してティオと名乗った男は、座り心地のいい椅子にゆったりと座って、首の長い薄いグラスを手に持っていた。ゆっくりと円を描くように回している。男の体温で温められ、小さな渦を巻いている酒から芳醇な香りが立ち上った。グラスを口に持ってきて、少し飲んでまたグラスを下ろした。そのまま彫像のように動かなくなった。姿勢を固定した男から生き物の気配が消えた。
部屋のドアが開いて、黒い人影が入ってきた。男のそばまで歩いていって片膝を付いて軽く頭を下げた。男が生き物に戻った。
「どうした?」
「見つけられませんでした。遠くへ行ったはずはないのですが・・・」
「やつめ、おまえの存在に気づいていたのだろう。意識しておまえをまいたのだ」
「そんな馬鹿な?私の気配はアティウス様の気配に隠れていたはずです」
アティウスがゆっくりと首を回して女を見た。片膝を付いた女は上下とも黒い服を着て柔らかい靴を履いている。闇に紛れてしまうと見分けが付かない。黒い髪に茶色の瞳、アティウスに比べると小柄に見えるが女としては大柄な方だった。
「そうかな?俺の隠形を見破るやつだぞ。シレーヌに気づくくらい簡単だと思うがな」
女が息をのんだ。思わず後ろを振り返った。
「そうだ。後をつけられたかもしれんな」
女は立ち上がってドアを開けた。
「誰かある?」
すぐに女の前に二人、人が現れた。
「屋敷の周りをあらためよ。怪しい者がいたら容赦するな!」
二人は無言のまま小さく頭を下げて引き下がった。シレーヌは男のそばに戻った。男が冗談のように軽く言った。
「シレーヌ、あまり部下を無駄遣いするものじゃない。本当にあいつとぶつかると危ないぞ、あの二人では」
シレーヌには軽く受け答えできなかった。いくらか憤然とした口調で反論した。
「アティウス様。ガルバ家に属されるあなたがそんなことを言われますか?我らが滅多なことで外の民に後れをとらないことくらいよくご存じではありませんか」
男の眼がいたずらを仕掛けた腕白小僧のようにきらきらときらめいた。
「あいつは強いぞ。ナイフを突きつけられた俺が言うのだから間違いない」
「あれはアティウス様のご油断ではありませんか。それにアティウス様ならあの体勢からも簡単に抜け出ることができたはずです」
「油断などしているものか。あいつがただ者でないことは店にいるときから分かっていたのだぞ。あいつめ、ひどく酔っぱらって吐きそうになったふりをしていたのだ。まさかあの体勢から七ヴィドゥーを一気に跳べるとは・・・。マギオの民でもあんなことができる人間はそういまい。それにあのナイフの使い方、芝居でなく冷や汗が出たぞ。生半可な言い訳では首を飛ばされていた。マギオの名を出さなければ納得させられなかったろうな」
女の目に驚愕の表情が浮かんだ。タギとのやりとりは男の芝居だとばかり思っていたのだ。事実女にそう思わせるだけの実力を男は持っていた。
「郎党たちに注意するよう申し伝えて参ります」
男は面白そうに女を見送って、グラスから酒を一口飲んだ。
「面白いやつがいたもんだ」
男は口辺だけで笑った。表情によって全く印象の変わる男だった。タギの前で装っていた人の良さそうな表情も、厳しい精悍な表情も、いま見せたいたずら小僧のような表情もほんの少し眼や口を動かすだけで作ってしまう。
タギはシレーヌを、その屋敷まで後をつけた。ネッセラルの裕福な商人たちが多く住んでいる地区にある、その中では目立たない大きさの屋敷だった。塀の中に背の高い大きな木がたくさん立っているのが他の屋敷と少し違った。塀のそばに身をかがめて屋敷の中の気配を窺った。さっきの男の気配がかすか浮かんできた。先ほどは特大の猫をかぶっていたことがよく分かる。気の大きさが全く違う。あれほど近くで知ったのでなければ別人と思っただろう。それに比べると女の方は本当にわかりやすい。気の大きさも形も全く変わらない。
屋敷の中が急に騒がしくなった。音が聞こえるのではない。しかしたくさんの人が動き始めたことが分かった。タギの姿がふっと消えた。
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