第2話 マギオの民 1章 邂逅 3

 女がまた部屋に入ってきた。


「屋敷の周囲には異常はありません」

「そうか」

「アティウス様の思い過ごしではございませんか?周囲をくまなく調べましたが、怪しい人間もその気配も見つかりません」

「そうだといいがな。あいつなら屋敷の中が騒がしくなったことをさっさと察して消えるくらいのことはやるだろう」

「警戒を強めるよう申しておきましょう。それでアティウス様の気が済まれるなら。それよりなぜアティウス様があの男に目を付けられたのか、お教え願えませんか?」


 気が済む、済まないの問題ではないのだ。マギオの民はいつも最悪の事態を想定して動いていたはずだった。後を付けられ、屋敷を突き止められた可能性がほんの少しでもあるなら、それを前提に以後の行動を計画しなければならない。町中まちなかに長く住んでいるとそういう感覚が鈍るらしい。一つ一つの行動全てに命が掛かる、そんなひりひりするような緊張感を常に持つことがなくなるからだ。仕方のないことだと、多くのマギオの民はそう思っていた。


「おまえも一緒にあの店に入ってみればよかったのだ。そうすればよく分かったのに」

「あんな裸に近い格好をした女たちが屯して、酒を飲ませるようなところに入りたくはございません!」


 男が、憤然としてそう答えた女を見ながらにやにや笑った。


「シレーヌならあの中にいても一番の器量よしだ、きっと売れっ子になるぞ」


 女が真っ赤になった。


「冗談ばかり言わないでください!」

「だからシレーヌが直々に付いてくることはなかったのだ。ディディアヌスにでも任せればよかったのに」

「ディディアヌスではアティウス様に簡単に丸め込まれてしまいます」

「それはそうだな。あいつなら簡単に丸め込める。そうすれば一人で行動できるのに」


 男は傍らに立っている女を見上げた。


「シレーヌにはそうもいかないだろう。俺から目を離すなと命令されているはずだから。ハニバリウス本家から」

「アティウス様。確かにご本家からそういう命令がきております。でもそれはアティウス様がご本家の意向を逆なでするようなことをされるからです。アティウス様、お願いです、おもしろ半分でご本家に逆らうのはおよしください。アティウス様に好意を持っている民も多いのです。アティウス様がおもしろ半分ではそれらのものも真剣にあなたのお味方をしようという気にはなれません」

「そうかな?そうだな。でもおもしろ半分でなければ、おまえたちは俺を支持するのか?」

「はい。アティウス様が本気であれば」


 男は真剣に考え込むふりをした。しかしすぐに口元ににやにやした笑いを浮かべた。


「駄目だな。俺はまじめに考えていけないと教え込まれてきたからな。本気で行動してはならないと。『習い、性となる』だな、自分が考えていることが本気なのか冗談なのか自分でも分からなくなっている」


 女は痛ましそうな顔になった。この男はもう何年も人に本音を漏らさないで生きてきた、たとえ味方だという人々に対しても。


「アティウス様。さっきの質問に未だお答えをいただいていません」

「なんと言えばいいかな?おまえに分かるように言えば、あいつはあの店の中が全部見えていたのだ。あの暗さでな。俺はあいつの真横と言っていい位置にいた。それなのにあいつの視線を感じた。そのときあいつは首を動かしてなんかいなかったぞ。おまえも知っているとおり俺は見られることに過敏だ。自分が見られていれば、ましてあんな近くであればそれが分かる。それだけでなく空気の触手とでも言っていいのかな、あいつが俺に触れてくるのを感じた。もっとも俺がそれを感じたとたん、あいつはその触手を引っ込めたが。あいつは多分自分の周りを隈無く調べてからでなくては安心できない質なのだろうな」


 それは不思議な感覚だった。少し離れて座っていたあの男に自分が探られているのが分かった。見られているのではない、まして触られているのでもない、それなのにそいつから自分が隈無く探知されているのが感じられた。


「私でも分かったでしょうか?」

「分かったと思うぞ、マギオの民ならな。だからあの男も俺がマギオの民だと気づいたのだろう。だが、そうだとするとあの男、我々についてかなり詳しいことになるな」


 男はそう気づいていぶかしげな表情になった。あいつはどこでマギオの民と接触したのだろう。俺のことをすぐにマギオの民と見抜くほどマギオの民を身近に知っている。あんなのとコンタクトが有れば支配一族に報告があるはずだが、アティウスにはそんな報告を見た記憶がなかった。


「郎党たちに探させましょう。いずれにせよ放っておく訳にもいかないでしょう」

「あの男を怒らせないようにしろよ。郎党たちの命が惜しければな」


女が嫌な顔をした。


「ご忠告、肝に銘じておきます」


 女が部屋を出て行って、なにがおかしいのか男はくつくつ笑い出した。低い笑い声は部屋の中に響き、長い間続いた。

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