第2話 マギオの民 1章 邂逅 4

 タギは三日かけてその屋敷を探った。屋敷には十人の人間がいた。男が七人、女が三人だった。十人ともマギオの民だった。一度その気配を知ってしまえば追跡するのは難しくなかった。タギは物陰に隠れて、あるいは何気なく近づいて、屋敷の人間の気配を追った。一度知ってしまえば、人それぞれの姿形が違うように、声が違うように、気配を見分けることができた。その中で一番最初に会った男の気配がいちばん掴みにくかった。よく知っている気配なのにときに恐ろしく微弱になってしまうのだ。男以外には警戒すべき人間はいないようだった。タギが三日間も屋敷の周りをうろうろしているのに、誰も気づかない。ひょっとしたらあの男は気づいているのかもしれないが、気にもしていないらしい。

 それにしても、とタギは思った。彼らは確かにマギオの民だが、本当にかつて接触したことのあるあの人間たちと同じ民だろうか。ウルバヌスたちだったら、三日もタギに探られて気づかないはずがなかった。タギにしてももっと用心に用心を重ねただろう。この屋敷の連中は、あの男以外は、目の前に現れて、ここに不審者がいるぞと言ってやらなければ気づかないらしい。


 あまり警戒しすぎたらしいことにばかばかしくなって、三日でタギは探索を打ち切った。しばらくコンドスへも出かけなかったが、七日目の夜タギはザンガッロの店へ出かけた。

 店の入り口をくぐったとたん、嬌声とともに女たちも飛んでくる。


「いらっしゃい!ずいぶんお見限りだったじゃない?」


 タギの腕をとってぶら下がるように引っ張って席へ連れて行ったのは、タギが店に来るたびに横に侍るなじみの女だった。小柄な女で濃い茶色の髪をいつもきっちり結い上げている。大きな胸が半分こぼれ落ちそうな服を着ている。灰色の大きな目をしていて、丸い愛嬌のある鼻をしている。一見幼く見えるがもちろん水商売の朱に染まった女だった。


「いよーユリア、元気か?」

「七日も放っておかれて元気なはずないでしょう!」


 商売っ気たっぷりに体をすり寄せた。


「えっ、もう七日にもなるのか?忙しくて日にちの勘定も忘れてたよ」

「未だ冬よ。あんたは冬眠中でしょう。いったいなんで忙しかったんだか。どこかのかわい子ちゃんの尻でも追いかけていたんでしょうよ!」

「信用ねえな、俺も。ちゃんと仕事をしてたんだぜ。七日間ずいぶん色んなことをしてたんだから」


 女はタギにしなだれかかった。目の前に置かれた料理を取り分けてタギの口元に運んでやる。タギが片手にグラスを持ちながら、空いた手で女の体をさわっていた。ほかの女たちもタギの横に座って媚びを売っていた。タギは金離れのいい上客だった。タギは機嫌良く酒を飲み、料理に舌鼓を打った。この店は酒と女だけでなく料理も上等だった。


「上へ行く?」


 ユリアが訊いた。階上は個室になっていて、気に入った女と使うことができた。ユリアの指がタギの股間をまさぐっていた。女が上目遣いにタギを見つめた。


「いい考えだ」


 ユリアを抱えて腰を浮かせかけたタギの目が急に鋭くなった。もう一度腰を下ろした。女が不審そうな顔でタギを見た。言い聞かせるようにタギが言った。


「用事ができた。少し待ちな」


 店の入り口が開いた。新しい客がきたことに気づいて、女たちが急いで迎えに出た。入ってきたのはアティウスだった。男が一人付いてきている。アティウスより背は低いが横幅はずっと大きく、いかにも闘士というタイプの男だった。マギオスの法よりも剣を使うことの方が得意そうだった。周りで騒いでいる女達と適当に戯れながらアティウスは店の中を見回した。タギに気づくと口元をほころばせた。そちらへ行っていいかと目で訊いている。タギは頷いた。女達との会話からは、何度かこの店へ来たことがあるらしい。

 男が近づいてきて、タギと同じテーブルに座った。お供の男もその横に座った。女も二人ほど付いてきた。


「ユリア、悪いな。ちょっと席を外してくれ」


 ユリアは体をくねらせて、口を尖らせた。タギがまた後でというようにユリアの胸を叩いた。銀貨を一つ、胸の谷間に落としてやる。ユリアはタギに流し目を送って離れていった。アティウスも身振りで付いてきた女達を遠ざけた。


「忙しいところを恐れ入る」


 とぼけてアティウスがタギに言った。離れていくユリアの後ろ姿をちらっと見た。


「あなたの好みなのかな?ああいう女が」


 タギは苦笑した。アティウスの態度と言葉遣いが先日と全く変わっていることにも気づいた。これがこの男の本性なのだろう。


「別にそういうわけでもないが、なつかれると悪い気はしない。だが先日おまえが連れていた女だったら私の好みには少し堅すぎるようだ」


 タギもとぼけて、先の夜にアティウスが一人ではなかったことを指摘した。

 アティウスをおまえ呼ばわりされて、連れの男が剣呑な気を吹き出した。思わず剣に手をやって腰を浮かせそうになるのをアティウスが押さえた。タギは表情も変えなかった。この男の気配なら屋敷の中に感じていた。屋敷の中ではできる方のようだったが、特に警戒を要するレベルでもない。


「おとなしくしていろ。ディディアヌス。私は話をしに来たのだぞ」


 アティウスは合図をして店の使用人を呼ぶと自分用の酒を注文した。運ばれてきた酒をグラスに注ぐと目の高さに持ってきた。


「もう一度あなたに会えたことに」


 グラスを目の高さから少し持ち上げて、それからおもむろに一口飲んだ。タギも無言でグラスを掲げると一口飲んだ。アティウスが横でかしこまっている男に言った。


「ディディアヌス、おまえも一杯どうだ?いつも堅苦しいばかりでは詰まるまい」

「酒などとんでもない!体をむしばむ毒ではありませんか」


 タギが吹き出した。ディディアヌスが憤怒の表情でタギを睨みつけた。


「いや失礼した。いかにも豪傑ふうでいくらでも酒が入りそうな体に似合わぬことを聞いたものだから。そう言えば確かに、おまえたちの民には酒は許されぬものだったな」

「さすがに詳しいようですね」

「以前に少しだけおまえの同族と付き合ったことがある。ひどく堅苦しい連中だった。だがおまえは酒を飲んでも構わないのか?」

「私ははぐれものなのですよ。掟破りばかりしている。上の方々にはいつも叱られてばかりいますがね、最近はそれでもあきらめられたようですが」


 それだけではあるまい、おまえの身分が、高いからだろう、タギはそう思ったがもちろん口には出さなかった。この男はマギオの民の中で、少々の掟破りをしても罰せられないほどの立場にいるのだろう。

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