第2話 マギオの民 1章 邂逅 5

「ところであなたをどうお呼びすればいいのかな?」

「タギ」

「タギ?タギ、それだけですか?もっと長い名前もありそうな気がするが・・」

「おまえがティオなら、私はタギだ」


 ティオがちゃんと本名を名乗れば自分も名乗ると匂わせた。先ほどから顔を真っ赤にしていたディディアヌスがとうとう我慢できなくなって噛みついた。


「・・ティオ様、何でこんなやつをつけあがらせるのですか?こちらが下手に出ればいい気になって、勝手放題を言いおって!」


 ディディアヌスが立ち上がろうとするのを制して、


「落ち着け、ディディアヌス。そんなにかりかりすると頭の血管が切れるぞ。タギ殿は命の恩人なのだ。礼儀を持って接するのも当然だろう」

「命の恩人?」


 期せずして、タギとディディアヌスの声がそろった。ディディアヌスは何とも納得いかない表情をしていた。


「そうだ、簡単に私の首を落とせる体勢になったのに、タギ殿はそれをせずに解放してくれた。命の恩人そのものではないか」


 タギがなるほどというように何度も頷いた。


「あんたとは気が合いそうだ。早まって首を落とさなくて良かった」

「是非、お近づきになりたいものですな。少なくとも酒を一緒に飲める」

「ア・・・ティオ様!申し訳ありませんが酒を飲まれたことは報告させていただきますぞ」

「何もいちいち断らなくてもいい。それがお前の役目だろう」


 ディディアヌスは処置なしと言いたげに首を振った。


「ディディアヌス、もう帰ってもいいぞ。今日はここで打ち止めだ。タギ殿との話が終われば私もまっすぐ帰るから」

「そうはいきません。最後までお供するようにとの命令です」

「酒も飲まない男にそばにくっつかれていても楽しくないんだがな」

「私もここにいて楽しいわけではありませんので、お互い様です」

「やれやれ、うまい酒にいい女、うまい料理があれば男というものは楽しくなるものだぞ」

「あんたの意見に賛成だな。ディディアヌス、何が楽しみで生きているんだ?」

「貴様にそんなことをいわれる覚えはない!ティオ様が止めなければ貴様ごとき叩きのめしてやるのに」


 少し挑発してみるか、何の目的で自分に近づいてきたのか分からないが、酒を飲むだけのためでないのは明らかだ。本人がとぼけているなら周りの人間からつついてみよう。


「できもしないことを大言するものじゃない。怪我をするぞ」


 ディディアヌスの顔が真っ赤になった。目から炎を吹き出しそうだ。


「貴様!表へ出ろ。叩きのめしてやる!」


 簡単に乗ってきた。タギはアティウスをみた。アティウスは悠然と座ったままグラスを口に運んでいる。口元に面白がっている笑いを浮かべている。明らかに、タギが挑発していることを知っている表情だった。タギが立ち上がった。


「いいだろう、相手をしてやるよ」


 アティウスが口を挟んだ。


「怪我はさせないでください、何しろ重いから運んで帰るのが大変だ」

「アティウス様!何をおっしゃいます!私がこんなひょろひょろに負けるとでも思ってらっしゃるのですか?」


 思わずアティウスの本名を言ってしまったことにも気づかず、ディディアヌスは叫んだ。店の中が震えるような大声だった。店中の客と女たち、使用人がこちらを見ている。怖がっているのではなく、おもしろがっている表情だった。彼らにとってこんな諍いはちょうどいい見物になる。視線の中をタギは店の外へ出た。ディディアヌスもついてきた。

 コンドスでは刃傷沙汰も珍しくない。たちまちタギとディディアヌスを囲んで人垣ができた。剣を振るうくらいの空間が人垣の中にある。向かい合った二人を見てあちこちで賭けが始まった。声援が飛ぶ。ディディアヌスが剣を抜いた。人垣がざわめいて、最前列で見物しようとしていた人間たちが少し下がった。


「抜け!」


 ディディアヌスが喚いた。タギはすーっと姿勢を低くした。


「いつでもいいぞ」


 ディディアヌスが口を噛みしめた。憤怒の形相だった。長剣を振りかぶって切りかかる。体に似合わないすばやい動きだった。しかしタギの方がはるかに速かった。ディディアヌスが剣を振り下ろした瞬間、タギの体がディディアヌスの懐に飛び込んだ。手刀でディディアヌスの手首を打った。ディディアヌスの剣が落ちた。ディディアヌスは亜然として立ち尽くした。周りの観衆から歓声が上がった。ただしあっという間の出来事で、周囲が暗いこともあり、何が起こったか理解している人間は少なかった。


「どうした。終わりか?」


 タギに言われてわれに帰ったディディアヌスはあわてて剣を拾おうとした。ところが手に力が入らず取り落としてしまった。右手の肘から先が動かなかった。

 人垣からアティウスが出てきた。ディディアヌスの剣を拾ってやった。アティウスが剣の柄に手をかけた瞬間、タギは表情も姿勢も変えずに身構えた。アティウスはそのまま剣を取り上げてディディアヌスに渡した。わざとゆっくりとした動作だった。ディディアヌスは呆然としていたがそれでも左手で剣を受け取った。タギが身構えを解いた。

 アティウスがタギに向かって言った。


「今日はここまでにしておきましょう。失礼ですがタギ殿の分も払っておきました」

「それはお心遣い、痛み入る」

「なんの。ディディアヌスに怪我をさせずに済ませて頂きましたから。ところでまたお会いすることができますか?」


 タギは少し考えてから言った。


「私は『山海屋』という旅籠に泊まっている、アティウス ― 殿。昼間に会いたければそちらへ来ることだ」


 アティウスという名前をことさらに使って、相手の反応を見たのだが、アティウスは表情も変えなかった。


「そういたしましょう。ほらディディアヌス、行くぞ」


 アティウスはディディアヌスを促して、去っていった。タギはしばらく二人を見送っていた。周りを取り囲んでいた人々も、賭けの精算をしている男達を除いていなくなった。

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