インテルメッツォ 4

 村を襲った災難は、やはり神の気まぐれによるものだったが、気まぐれを起こした神は天候と豊穣の神、アグララ様ではなく、戦の神、マールズだった。

 村を領有する貴族の内紛―領主が死んだ後の旧領主の従兄の息子と妾腹の弟の間の主導権争い―がこじれて村のそばで生き残りを賭けた衝突が起こった。セシエ公や他の大貴族の戦に比べると両方ともせいぜいが五百に満たない軍勢を動員できるだけの小戦こいくさだったが、局面での戦闘の激しさはひけを取るものではなく、一日にわたる闘いの後、弟の軍が敗れた。

 村人達は三里も離れていないところで起こっている戦に首をすくめて、とばっちりを食わないように祈りながら、思いも掛けず降りかかってきた厄災が通り過ぎるのを待っていた。もちろん村長むらおさは戦がどう転ぶか、見届けるための人数を出していた。彼らが村へ戻って、戦の帰趨を告げ、どちらも遠くから遠征してきた軍ではないため、戦の後始末が終わればさっさと引き上げていくだろうとの村長の予測で村人たちがほっとしたときに、敗残の兵が五人、村に入り込んできた。もう辺りがほの暗くなる頃合いだった。

 五人とも傭兵だった。降伏すれば許される可能性のある、同じ一族の家人けにんではなかった。領内で劣勢だった弟の側が強気に出た理由が傭兵の存在だっただけに、負け戦の後、傭兵達が勝者に捕らえられでもしたら、見せしめにどんな酷い目に遭うか、想像力のない男達にも十分に分かっていた。

 しかしそんな事情は末端の村までは知られてなかった。村長であってもそれは同じだった。傭兵がいると知っていたらもっと警戒していただろう。

 傭兵達は村庁むらやくばに入り込んだ。正面の扉を開けたところにあるホールで村長に剣を突きつけて食料と馬を要求していたときに、たまたま子供が二人の女に連れられて入ってきた。

 そのころ女達は子供を自分たちの仕事に連れて行くようになっていた。農作業や、家畜の世話を子供は命じられれば手伝った。体は小さかったが結構力があり、仕事の要領もよかった。言葉こそ発しなかったが、女達の言うことは理解するようになっていた。その日は牧場の仕事を終わらせてアグララ様の神殿に帰る途中に村庁に寄ったのだ。

 傭兵達は入ってきた女達と、子供にも剣を突きつけた。どの男の目も血走っていた。皮鎧のあちこちに返り血をつけた傭兵に剣を突きつけられて女の一人が悲鳴を上げた。


「静かにしろ!」


 傭兵達のリーダー格の男が凄みをきかせて命じても悲鳴は止まらなかった。強いおびえが女の正常な判断力を奪っていた。傭兵達も焦っていた。たった五人なのだ、多数の村人達が集まってきたらどうしようもない。敗残兵狩りの追っ手に気づかれるかもしれない。

 リーダー格の男が合図した。悲鳴を上げ続けている女に剣を突きつけていた男が剣を少し引いて女を刺そうとした。

 ―その瞬間、子供が動いた。

 自分に剣を突きつけていた男を突き飛ばし、その剣を奪った。剣を構えて、女を刺そうとした男に体ごとぶつかっていった。

 ―すべてが一瞬の出来事だった。


 気が付くとタギの前に血を流して倒れている男達がいた。五人の傭兵の全員が一太刀で致命傷を負わされていた。胸を突かれ、首の動脈を刎ね切られて男達は倒れ伏していた。タギは返り血も浴びてなかった。

 それはタギにとって新しい感覚だった。“敵”にナイフを振るったときのような、袋に詰めた泥を切るような感覚ではなかった。肉を裂き、骨を断つ感覚が手に残っていた。倒れた男達は“敵”のようにぐずぐずと崩れてはいかなかった。そのままの形を保ったままタギの足下で血を流していた。驚愕に眼を見開いて自分の身に起こったことを理解できないまま死んでいた。

 呆然と男達を見下ろしているタギののど元に堅い球体がせり上がってきた。息ができず、目の前が暗くなって、手をついて四つんばいになった。手を離れた剣が床に落ちて音を立てた。強烈なえづきがこみ上げてきた。胃の中のものを全部吐いても、えづきは止まらなかった。胃液を吐き、吐くものがなくなっても、涙と吐物で顔をぐしゃぐしゃにして、タギは四つんばいの姿勢を続けていた。

 人間を攻撃したのは初めてだった。死体など見飽きるほど見たが、自分の手で殺した人間を見るのは初めてだった。“敵”がいなくても戦わなければならないと思い知らされたのも初めてだった。

 長い間四つんばいでいたような気がした。しかしそんな長い間でなかったことは、タギが立ち上がったとき、まだ周囲に村長やタギと一緒にいた女達が身動きもできず立っていたことで、分かった。

 タギが立ち上がると三人は後ずさった。その眼に恐怖があった。小さな男の子が屈強な、戦いを生業としている男達を五人、一瞬と言っていい間に倒してしまった。村長にも女達にもタギの動きを追うことができなかった。それは部屋が薄暗かったせいだけではなかった。タギの動きは彼らの理解を超えることだった。

 村長の方に一歩踏み出すと村長はあわてて二、三歩タギから離れた。


「ば・・化け物!近寄るな!」


 化け物と呼ばれて、タギの足が止まった。眼を見開いて村長を見、続いて女達を見た。牧場であれほど親切にタギの世話をしてくれた女達が、ばたばたと足をもつれさせながら逃げていった。


「ナイフを」


 タギはそれ以上村長に近づかずに言った。


「ナイフを返してください。それからベルトと双眼鏡も」


 村長は体をがくがくさせながら、ホールの向こうにある物入れを指さした。


「し、下から二番目の引き出しだ、左側だ」


 タギは引き出しを開けてナイフとベルト、双眼鏡を取りだした。自分のものだ。もう長い間忘れていたが、これらは自分のものだ。

タギはもうこの村にいられないことが分かっていた。ベルトを締めナイフを腰に差し、双眼鏡をベルトに留めて村長にペコリと頭を下げた。


「長い間お世話になりました。ありがとうございました」


 村庁の扉を開けて外へ出たとき辺りはすっかり暗くなっていた。何人かの村人達が村庁の周りに集まっていた。タギを遠巻きにして、タギが近づくと後ずさりした。

 暗くて顔がよく見えないことがタギにはありがたかった。人垣にあいた隙間を通って村人達から離れたタギは、村人に対して一度振り返って頭を下げた。離れていくタギに声を掛ける人もいなかったし、後を追いかける人もいなかった。

 村はずれの小川でタギは口をすすぎ、顔を洗った。何度も何度も水をすくって顔を洗った。わずかな月明かりの下で自分の手を見つめた。もやがかかっていたような頭の中が今ははっきりしていた。腰のナイフを抜いた。手にしっくりとなじむナイフだった。最後にナイフを握りしめて戦ったときのことを想いだした。想いださないままあの村で暮らせたらどんなに幸せだったろう。


 ナイフを鞘に収めてタギは歩き始めた。








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