第7話 レリアンの市 1章 東ニア街道 1

 タギとランはレリアンへ続く東ニア街道をたどっていた。夏中アルヴォン飛脚として働いた。もう冬も間近になっていた。

 裏道をたどればニアを迂回してレリアンとネッセラルをつなぐことができる。しかし、以前より時間がかかるようになった。七日から八日で済んでいたのが十日以上かかるようになった。タギの足でもそうだった。

 もっとも、タギの場合はランを連れて歩くようになったことと、怪我の治療をあちらこちらで頼まれるようになったことが影響していた。レンティオの肩から弾を取り出したのが評判を呼んで、そうしたことの専門家と見なされるようになったのだ。補助脳に入っていた知識とその後の実地の経験である程度のことはできた。そしてその程度のことさえ、アルヴォンの山人のあいだでは貴重な医術だった。

 求めが多くなったとき、タギは知り合いの鍛冶屋に頼んで大小のピンセットとメスを作ってもらった。何本かの曲針も作った。タギの描いた図面を見て、首をひねりながらでも鍛冶屋は何とかそれらしい物を作ってくれた。

 手をきれいに洗って、煮沸消毒したメスとピンセットを使って傷口から異物を取り除き、傷口をきれいな水で洗ってから壊死組織を除去し、死腔が残らないように気を付けながら縫い合わせる。それだけだった。消毒薬も抗菌薬もなかったが、意外なほど感染を起こす例は少なかった。今までなら助からなかったけが人が助かった。タギの評判がその度に上がった。

 多いときには一回ニア街道をたどると四、五人の手当を頼まれた。時間がますます余計にかかるようになった。ランと一緒に歩くようになってから、タギはランにけがの手当の助手をさせるようになった。ランは必要な器具を渡したり、傷口を押さえて止血したり、手当の後の包帯を巻いたりすることにすぐに慣れた。ランを助手に使うことには、処置の手順がスムーズになること以外にもメリットがあった。ランは誰が見ても美少女だったから、男たちはランの前ではやせ我慢をして、かなりの痛みにも弱音を吐かなかったのだ。ランがタギの助手をしていると、男たちは歯を食いしばりながらでもできるだけ平気そうな顔をし、悲鳴を我慢した。あまり痛そうな顔をして体を動かされると、手当がしにくい。やせ我慢してくれるだけやりやすくなった。タギはすぐにその事情に感づいたが、ランには分からなかった。タギも手当を受けた男たちもそんなことはランには言わなかった。男たちのかわいらしい見栄だった。そんなことが重なってくると山人達もタギとランが一緒に行動していることを当然と見なすようになった。

 ランは意外なほど早く、山歩きに慣れた。元々アペロニアはアルヴォンの麓だったこともあり、ランは小さい頃から山道を歩くことになれていた。アペル伯爵家の令嬢といっても町育ちではなかった。ダシュール子爵家にいるときも努めて歩くようにしていた。嬉々としてタギについて山道をたどり、怪我の手当の助手を務めた。

 アルヴォン飛脚が運ぶのは手紙だけになった。足場が悪くなって大きくて重い荷物を持つのが難しくなったことと、飛脚の人数が減った所為だった。その中で時間がかかるようになったとはいっても、確実に仕事をこなすタギは重宝されていた。

 ランはすっかり山人の少年の格好だった。綿を入れた暖かそうな上着で着ぶくれていた。最初にアルヴォンに入ったときの上等な毛皮の上着より、ランには今の自分にはこの服の方がふさわしいような気がしていた。髪は切らずに帽子のしたにまとめてある。カーナヴィーを出たときの肩ひも付きの袋を背負っている。柔らかい皮で作った靴を履いている。服も靴もタギと一緒に歩くようになってから手に入れたものだった。

 もうネッセラルを出てから十三日目だった。山人とセシエ公の軍がアザニア盆地でまた小競り合いをしたため、カディスでけが人が待っていた。その手当に一日使って、裏道を抜けてアルカワンに着いたらまたけが人が待っていた。もう手遅れで傷口が化膿している男達もいた。抗菌薬がないから切断するよりない。それでも一人がタギの目の前で死んだ。死んだ男の家族や仲間達はタギに礼を言ったが、タギは暗い眼をしていた。抗菌薬があれば助けることができたことを知っている。だが現実にはどうしようもない。こういう状態というのは結構心にこたえるものだ。


「タギにはお医者様の方が似合うんじゃない?」


 ランが冗談めかして、しかし目には冗談だけではない光を浮かべてそう訊いたことがある。タギは笑いながら首を振った。外科医のまねごとはあくまで余技だった。料金も決めてなかった。ニアを占領されてから、アルヴォンの人々にとって現金収入は激減しているはずだった。カンディア街道を押さえられて、木工品、紙、毛皮などのアルヴォンの産物を外に運び出すのも不自由になっていた。アルヴォンを超える旅人や飛脚も減っていて、通行料や宿泊代も少なくなっていた。アルヴォンは元々貧しいところなのだ。現金収入がなくなるとそれに替わるものを見つけるのは難しかった。それでも彼らは何かのお礼をしたが、当てにできる収入ではなかった。アルヴォンの外で外科医のまねごとをする気はタギには今のところなかった。


 テッセの『青山亭』の女将カティーは宿を閉めて、実家に引っ込んでしまった。ウルススが死んでから、宿を続ける気力がなかったのだ。テッセを少し離れた所で小さな畑を耕していた。ターシャもカティーと一緒にテッセを離れた。アルヴォンを通る人々も確実に減っていた。どの町でも宿は一軒かせいぜい二軒に減った。

 ウルススの死体を運んできたとき、ターシャはなぜウルススが死んだのだと泣いた。タギにはそれが自分を責めているように聞こえた。ドナティオたちがいくら慰めても泣きやまなかった。さすがにカティーはそんなことはなかったが、すっかり落ち込んでしまって、ろくにタギにも口をきかなかった。その後飛脚を再開してテッセに立ち寄っても、タギがカティーとターシャに会うことはなかった。

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