第16話 レリアンへ 7
宿の亭主が近寄ってきた。食事が済んだなら灯りを消したいというのだ。このところ客も少なく稼ぎも悪いので、貴重な蝋燭を無駄にしたくないと、直接口には出さなくてもそんな思いが伝わってきた。丁度いい潮時だったかもしれない。四人は黙って席を立ってそれぞれの部屋へ引き上げた。シレーヌとクリオスはアティウスに向かって就寝の挨拶をしたが、タギは三人に何も挨拶をせずに部屋に入った。
レリアンまで馬で四日行程だった。セシエ公と対立しているレリアーノ伯爵の勢力範囲との境界には、当然関所が設けられている。どうやってそこを抜けるつもりかとタギが思っていると、境界まで一日という辺りになって先導するアティウスが横道にそれた。アティウスは、細く曲がりくねり、途中で幾筋にも分かれる道を迷いもせずに進んだ。森を抜け、小山の麓を迂回し橋の架かっていない川を騎乗のまま渡り、関所を通らずにレリアーノ伯爵領に入りこんだ。
「さすがだな。マギオの民というのはこんな風にあちこち自由に行き来しているんだ」
タギのからかうような口調に、アティウスがまじめに答えた。
「我々の財産の一つですよ。関所や監視所を通らない道が必ず複数あるんです」
シレーヌがそんなことを部外者に言っていいのかというようにアティウスを見た。
「教えてもらえるといろいろ便利だな。しかしまあ一つ知ったということでとりあえずはいいか」
アティウスが苦笑しながら反論した。
「あなたならこんな道を知らなくても不自由しないでしょう?関所があろうがなかろうが主街道を通って、役人連中に気づかれることなど無いでしょう?」
それはそうだった。いつもそうしてきたのだ。闇に紛れてしまえば人間の感覚ではタギをとらえることはできない。
「アティウスもそうだろう?だがまあ今は馬に乗っているからな。そういうときには抜け道を知っていると助かる」
「それと連れがいるときですか?」
アティウスがさりげなく訊いた。ランのことにどれだけ触れていいものか、探るつもりだった。タギの方からランの名前を出した。
「ランのことなら、心配いらない。私と一緒に関所を抜けたことなど何度もある」
ほうっというようにアティウスがタギを見た。
「嘘ではないぞ。気配を消すだけなら、ランは名人級だ」
「それは助かりますね。彼女が上手く隠れていることができれば、都合のいい場合がいろいろあるでしょうから」
タギもアティウスも相手の腹のさぐり合いをしていた。率直に情報の交換ができるほどまだ相手を信頼していなかったからだ。
レリアーノ伯爵領に入って二里ほど進んで、アティウスは馬を止めた。
「申し訳ありませんが半刻ほどここで待っていてくれませんか?」
手入れのされていない雑木林が茂っている小高い丘の中腹だった。少し先で道が交差していた。タギが頷くと、アティウスはクリオスにタギと一緒に待つように命じて、シレーヌを連れて交差している道を左に折れて丘を下っていった。どこへ何をしに行くのかなどとは、タギは訊かなかった。素直に答えるはずはないと思っていたし、どうせレリアーノ伯爵領内で動くための準備をしに行ったのだろうと見当がついたからだ。
タギは馬から下りて、大きく伸びをし、雑木の幹に身をもたせかけた。クリオスも続いて馬から下りて、タギが乗ってきた馬の手綱も受け取って木につないだ。
雑木林越しにレリアーノ伯爵領の、北グルザール平原が見えていた。広い沃野は見事に手入れされていて、農家や納屋、家畜小屋が点在していた。畑や牧場で働いている人々が小さく点のように見えていた。天候にさえ恵まれれば豊かな収穫を約束された地だった。そんな景色を見つめているタギに、クリオスが声をかけた。
「あなたの国にもこんな景色があったのですか?」
タギがちらっとクリオスを見て、もう一度平原に視線を戻した。
「いや、私が生まれたときにはもう、こんな豊かな土地は残っていなかった」
市の周辺には広大な土地があったが、雑草も生えない土漠だった。食卓に上るのは水耕栽培の野菜と培養槽で増殖した肉、種類も少なく美味しくもなかったが食べ物なんてそんなものだと思っていた。あのころ、食事は体を維持するための作業に過ぎなかった。こちらへ来てからこんなにたくさんの食物があって、いろいろな種類の美味しさがあるのだと知った。食事が楽しみになるのだと知ったのだ。
「あなたの国はあなたが生まれたときからアラクノイと戦っていたと、聞きましたが、あなたはまだ小さかったのでしょう?こちらへ来たとき十一だったとおっしゃってましたが、十やそこらでも戦いに加わらなければならなかったのですか?」
「私たちの国では人は、男も女も戦うために生まれ、戦いの中で死んでいった。その中でも私と私の仲間達は戦うためだけに生まれた。本当なら軍に配属されるのは十五になってからのはずだったが、市が陥落する前にはそんな悠長なことは言っていられなかった。訓練と称して実戦に出ることもよくあった」
「十歳の子供が、実戦で役に立つのですか?」
率直な疑問だった。マギオの民ではどんな早熟な子供でも、十歳では大人の力に敵わなかった。
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