第7話 レリアンの市 3章 市場にて 2

ぶどう畑の空を行く

 風に私は言葉を託す

 あなたは今頃どの風の

 声を聞いているのかしら

 私のことを少しでも

  考えていてくれるなら

  必ず私の想いが届く

 あなたが私の生きる意味

 あなたが私の生きるすべて


 小さな声だったが、高く澄んだ、艶のある声だった。それを聞いた人の耳を引きつける力を持っていた。忙しく行き来していた人々が足を止めてランの歌を聞き始めた。いつの間にか周りに人垣ができて自分の歌を聴いていることに気が付かないように、ランはリュータンを弾く手元を見つめながら歌い続けた。


「アペロニアの恋歌だわ。でもいい声ね」


 タギの直ぐ側に立った女が小さく呟いた。タギもこの歌を聴いたことがあった。戦場へ行った恋人を想う歌だった。


空行く雲に乗れるなら

  きっと私はあなたを探す

 いつまで待てばふるさとに

 あなたは帰ってくるのかしら

 私はいつもあなたから

  便りがあるのを待っている

  いつでもあなたに想いをはせる

 あなたが私の生きる意味

 あなたが私の生きるすべて


 ランがリュータンを弾き終えると周りから拍手が起きた。周りにこんな人垣ができて、自分の歌を聴いていたことに初めて気づいて、ランはびっくりしたように目を丸くして、それから顔を赤くしてうつむいた。人垣の中から何枚かの硬貨が投げられて敷石に乾いた音を立てた。

 タギが投げられた硬貨を素早く拾ってランの側にしゃがみ込んだ。タギに促されてランは立ち上がって、自分の歌を聴いてくれた人たちにペコリと頭を下げた。もう一度まばらな拍手が起きた。人垣が崩れ始めていた。


「ありがとう、久しぶりだったけれど何とか弾き方を覚えていたみたい」


 ランがリュータンを店の男に帰しながら言った。


「借り賃だ」


 タギが投げられた硬貨の中から銅貨を一枚とりだして店の男に渡した。


「それ、嬢ちゃんにやるよ」


 タギが差し出した銅貨を受け取りながら、店の男が唐突に言った。


「えっ?」

「娘の物だったんだ。はやり病でぽっくり逝っちまってから、誰も弾くやつがいなくて音も狂ったままだったし・・・、嬢ちゃんならちゃんと扱ってくれるだろうから、やるよ」

「駄目よ、おじさん。娘さんの形見じゃない?大事にしなきゃ」


 男の目に涙が浮かんでいた。皺深い疲れた顔をした男だった。


「娘は嬢ちゃんほど上手うまかなかったが、久しぶりにそのリュータンの音を聞いて娘のことを思い出したよ。手入れは悪いけどもとは上物だったんだ、娘がレリアーノ伯爵家の奉公を終えたときに褒美に貰ってきたものだから。あんたが使っておくれ、嬢ちゃん」

「でも・・・」


 ランが躊躇っているのに、タギが横から口を出した。リュータンを弾いているランは楽しそうだった。ランが楽しいならリュータンを手に入れても悪くない。


「そういうことなら譲って貰おう、こんなものでいいかな?」


 タギが銀貨を一枚、男に差し出した。男は首を振った。


「金はいらない。娘の形見だから金で売りたくない」

「じゃあこれで娘さんの墓に花でも飾ってくれ、大事に使わせて貰うからって」


 タギが男の手に銀貨を握らせた。男はまた黙ってしまったが、銀貨を受け取った。

 ランはリュータンを背負ってタギと並んで歩き始めた。


「ランがリュータンを弾いて歌うのを聞くのは初めてだけれど、上手だね。リュータンと歌はちゃんと習ったの?」

「アペル城の宮廷楽師にとても上手な人がいたの。お母様もお好きだったし、一緒に教わったの。でも私の方が上手だって言ってくれたわ」

「そう」

「ねっ、お金を投げてくれた人がいたでしょう?いくらぐらいだった?」


 タギは数えてみた。さっき店の男に銅貨を一枚渡したから、


「銅貨が八枚、八コペスだね」


銅貨が庶民の使う貨幣の単位だった。半分に割った半銅貨、さらにその半分の四分の一銅貨も流通していた。銅貨二百枚で銀貨一枚、一アルゲス、銀貨二十枚で金貨一枚、一オーロス、十オーロスあれば標準的な家庭、年寄りが一人か二人、夫婦に子ども二、三人が一年暮らせた。五十オーロスの大金貨もあったが、流通の場には出てこなかった。重すぎたし、金額が大きすぎて、それで買うものが少なかった。金持ちが財産を貯める手段として保持していることがほとんどだった。


「それ、私が初めて自分で稼いだお金よ。ユーフェミア叔母様なら、大道芸人のまねをして稼ぐなんてとんでもないっておっしゃるわ。でも私でもお金を稼ぐすべがあるかもしれないってなんだか嬉しいわ」

「そうだね、ランの歌はお金を払ってもいいと思わせるだけのものを持っていると思うよ」

「本当?」

「うん」


 ランは嬉しそうに笑って見せた。厚い雲の切れ目から陽の光が一筋差し込んでいた。薄暗い初冬の曇り空だったが、ランは本当に楽しそうだった。大勢の人に交じりながらランとタギは泥棒市の中を歩いていた。







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