第7話 レリアンの市 3章 市場にて 1
次の日は曇りだった。重い、晩秋というより初冬の雲が天を覆っていた。吹き抜ける風がレリアンの様な平地でも肌を刺すようになっていた。南門から入った環状路沿いに、左右三百ヴィドゥーほどにわたって小さな店がびっしりと並んでいた。商業の神、メルクールの神殿がその中心にあった。メルクール神殿の側にはそれなりの構えの店が何軒か有ったがそれ以外はいわゆる露店だった。神殿に近いほど常連の店があり、新参者は一番遠くに追いやられた。
大勢の人が歩き、店を覗き、品物を手に取り値引きの交渉をしていた。親子連れや若い夫婦もの、子供だけで来ている集団もいた。露店はどれも簡単な作りの小店で、高い棒を渡して頭の上に覆いをかけているのはましな方で、単に地面に杭を打って自分の縄張りを示し、そこに直にものを置いている店も珍しくなかった。物を売る店以外にも、歩きながら食べられるような簡単な食物を売る店も出ていて、そぞろ歩いている人の三~四人に一人くらいは、油で揚げた小魚や、焼いた獣肉や鶏肉を串に刺したもの、干した果物、甘い菓子、細長い棒状のパンなどをかじっていた。
なんだかすごく美味しそう、外を歩きながらものを食べるなんて、ユーフェミア叔母なら決して許さないだろう、母様でもいい顔はしないと思うわ、ランはそんなことを考えながらタギについて歩いていた。おなかがすいていたら試してみるのに、でもタギはこんなに食べ物を売る店がたくさんあることを知っていたのに宿で朝ご飯を食べたのだもの、この手の食べ物があまり好きではないのだわ、ランの考えはとりとめもなかった。
タギはゆっくりと歩いていた。食べ物屋には興味がなさそうだった。それでもランが食べ物の屋台を見ているのに気づいた。
「何か食べたいものがある?」
「う~ん、いいわ。まだおなかがすかないもの」
「そう」
タギはそれで食べ物の話を切り上げた。ぶらぶらと歩きながら、ランにはなにに使うのかも分からない大きな歯車や、複雑な模様を刻んだ木の板太い鉄の棒なんかを熱心に見ていた。気のなさそうに店番をしている男達と話し込んだり、気になる品物を手にとっていろんな角度からためつすがめつ見たりしていた。特に何か目的のものがあるわけではないが、気に入ったものがあれば買ってもいい、そんな態度に見えた。考えてみると、タギと一緒にどこに行こうという目的もなくゆっくりと歩くのはこれが初めてだった。それに気づいたランは後ろからタギの側によって腕を組んだ。
「えっ?」
左腕をとられたタギがびっくりしたようにランを振り返った。ランはにっこり笑って、
「ねっ」
組んだ腕に少し力をこめてタギの方にもたれかかった。タギも組んだ腕に力を入れてランを引き寄せた。ランの顔が少し赤くなったが腕をほどこうとはせず、そのまま二人でゆっくりと歩き出した。
ランの目が一軒の店においてある物に止まった。
「リュータンだわ」
直ぐにタギも気づいた。
「本当だ。ずいぶん手入れが悪そうだけれど」
リュータンというのはギターに似た楽器だった。タギの知っていたギターより少し小型で楕円球を半分に切ったような形の胴に弦が四本付いている。吟遊詩人達が使う楽器であり、貴族や豪族の子女が嗜むことも多い楽器だった。
ランはそっと楽器を取り上げた。十分に手入れされていない楽器は、所々塗りがはげていて、埃をかぶっていた。それでも思いがけないほどしっくりと手になじんだ。ランは軽く弦を弾いてみて、顔をしかめた。
「調弦が狂っているわ」
店の奥に座っている無愛想な店番の男に向かって、
「締め具はありませんか?」
と訊いた。
男は黙ったままリュータンがおいてあった台の横の台を指さした。男が指さした先に、羽を広げた蝶の形をした締め具があった。ランは締め具を手にとって、弦を弾きながら調弦をした。細い指が小さく断続的に弦をはじきながら、締め具で弦の張りを調整する。この楽器を扱い慣れていることがよく分かる手慣れたやり方だった。調弦が終わると上着のポケットから布を出して、埃をそっと拭った。
「少し弾いてみても構いませんか?」
ランの問いに店番の男は相変わらず無口で無愛想なまま頷いた。リュータンを抱いて店先の台にちょこんと腰掛けて、ランは左手で弦を押さえ、右手をそっと動かした。きれいな和音が奏でられた。短い前奏があってランが小さな声で歌い出した。
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