第7話 レリアンの市 2章 蒼い仔馬亭

 レリアンでのなじみの宿は商会の近くだった。『蒼い仔馬亭』というその小さな宿は環状路に面していた。二階建てのこぢんまりした宿で、客室は全部で十五室もない。扉を開けるといつものしっかり者の女将が迎えてくれた。


「いらっしゃい、タギ、ラン」


 女将は商売用だけではない笑顔をタギとランに見せた。ふくよかな頬と丸い愛嬌のある鼻をしている。茶色い髪をきちんと結い上げて布でくるみ、大柄な体をいつも紺色の服に包んで、白か薄いピンクのエプロンを掛けていた。タギが一人でアルヴォン飛脚をしているときからのなじみで、初めてランを連れて行ったときも多少びっくりしたような顔をしたが、詮索もせず、ランをタギの連れとして受け入れていた。タギが右手を挙げて、ランがペコリと頭を下げて挨拶した。


「やあマルシア、また世話になるよ」

「お世話になります」


 ランも陽気で世話好きなマルシアが好きだった。


「今回は何泊の予定だい?」


二日後にサナンヴィー商会へ行かなければならない。そのままアルヴォンに入ることになるだろう。


「二泊、かな」

「おや、こっちで冬ごもりはしないんだ」

「ああ、まだむこうに届ける手紙があるそうで、もう一回アルヴォンを越えることになった」

「アルヴォンも物騒になったって言うからね、あんまり無理をしない方が良いんじゃないかと思うけどね。特にお嬢ちゃんをつれているのだから」


 マルシアはランのことをお嬢ちゃんと呼んでいた。ランが名前で呼んで欲しいと頼んでも笑いながら受け流していた。もっとも面と向かって話すときには名前を呼んだけれども。


「まあ、浮き世の義理ってやつさ」


 マルシアがタギの言葉を鼻で笑いながら、鍵を渡してくれた。いつもの部屋だった。二階の一番端の部屋、二○八号、非常口に一番近い部屋だった。

 鍵を受け取って一階の廊下を一番奥まで進む。さらに行くと食堂になっている手前に二階へ続く階段がある。階段を上って二階の廊下を端から端まで歩けば二○八号室だった。

 部屋に入って、ランは袋を背から降ろしてベッドに座った。広めの部屋にはベッドが二つ、長いすが一つ、背の低い机と、木の椅子が二つ、壁に作りつけの物入れがあった。どれも使い古された物だったがきちんと手入れされ清潔に保たれていた。木の床も掃除が行き届いていて気持ちよかった。

 タギも荷物を降ろして長いすに座った。思い切り手を上に伸ばして首をぐるぐる回した。首の骨がポキポキと音を立てた。それから軽くため息をついた。


「疲れたの?」

「う~ん、そう言う訳じゃないんだけれどね」


 怪我の手当を当てにされると気が重い。補助脳には一通りの知識が入っているものの、本格的に医学的な訓練を受けたわけではない。いわば見よう見まねだった。見よう見まねであっても手元に薬があれば、麻酔薬や、抗菌薬があれば、そして点滴用の薬剤があればもっと治療効果が上がることも分かっていた。手技の上からも、それ以外の事柄でも中途半端なことしかできないのが、タギには気が重かったのだ。今回のようにたくさんのけが人の手当をし、そのすべてが必ずしもうまくいったわけではない時には特にそうだった。


「明日は十一の日だね。レリアン名物の泥棒市の日だ」


 タギが話題を変えた。


「泥棒市?」

「ランは初めてだったね。毎月十一の日に南門から入った環状路沿いに小さな店がいっぱい出るんだ。いろんな物を売っているよ」

「でも・・・、泥棒さんが店を出すの?」


 ランが不思議そうな顔で訊いた。それなら一網打尽ではないか。父様なら-アペル伯爵なら-きっとそうする。


「いや、泥棒市というのは誰かがふざけて付けた名だけれど、いつの間にか皆がそういうようになったらしい。元々正式の名前があったわけではないそうだから。基本的には誰がなにを売ってもいいんだ。とんでもないがらくたもあるし、掘り出し物もたまにはある。でも大体は不要になった日用品か古着だね。中には盗品もあるかもしれないけれど、そういった物は盗んだところの近くでは売らないから、うっかり買った物を後から取り上げられるなんてことはないよ」

「なんだか面白そう・・」

「サナンヴィー商会にはあさって顔を出せばいいから、明日はなにもすることがない。よかったら行ってみないか?」


 ランがうれしそうに笑った。


「うん、連れて行って。何か買いたい物がある訳じゃないけれど、店を見て歩くだけでも面白そうだわ。店の人には嫌な顔をされるかもしれないけれど」

「決まりだ。冷やかしだけの客も多いからなにも買わなくても睨まれたりはしないよ」


 タギとランはのんびりと次の日の計画を話していた。もうすぐ冬だった。戦も含めて人間の活動がほとんど停止する。二人にとって、あと一仕事すれば冬ごもりが残っているだけのつもりだったのだ。




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