第1話 アルヴォン飛脚 4章 テッセの宿で 2
階下から夕食の支度ができたことを告げる声が聞こえてきた。薄暗くなった部屋の中で何となく黙り込んでいたタギとランは救われたように立ち上がった。
「夕食の時間だ。カティーも料理が上手いから楽しみにしていいよ」
「はい」
階下の広間はもう夕食前の一杯をやっている客で混んでいた。隅のテーブルに空いている椅子を見つけて座った。三人連れの客と相席だった。
席に着くとすぐにターシャが料理を持ってきた。アルヴォン山中の小さな宿では、基本的に全員に同じ料理が出される。テーブルの真ん中にパンと火を通したジャガイモが大盛りにしておいてあり、自由に取って食べることができる。それ以外に各人に一皿か二皿、料理が供される。ターシャは不愛想に鶏肉のシチューの皿をタギとランの前に置いた。皿を置くのに大きめの音を立て、タギとランを不機嫌に見ている。
「ターシャ、何をむくれているんだ?さっきからおかしいぞ」
「知らない!」
唇をタギに向かって突き出してからくるりと背を向けて行きかけたターシャの袖を引いて、タギが引き留めた。ターシャがタギの方を振り向いた。口を結んで、タギをにらみつけている。
「ターシャ、ほら約束の飾り櫛を持ってきたよ」
タギが懐から出したのは赤に金で彩色した大ぶりの飾り櫛だった。ターシャの目が輝いた。手を出して飾り櫛を受け取った。ターシャの小さな手をはみ出るくらいの大きさがあった。ターシャの茶色い髪に金の彩色は映えるだろう。
「覚えてたの?」
「ターシャとの約束は忘れないよ。さっきは渡す間もなく奥に引っ込むんだもの」
現金なものでターシャの不機嫌はすぐに治った。手に持った櫛をいろんな角度から見た。タギに笑いかけ、ランに向けた視線までが柔らかくなった。
「差してみてくるね」
ターシャは身軽く、奥に引っ込んだ。タギが笑いながらそれを見ていた。
しばらくして奥から出てきたターシャは三つ編みにしていた髪をほどいて結い上げ、もらったばかりの飾り櫛でまとめていた。うなじが細く長く、実際の年よりも大人めいて見えた。
「まあ、よく似合うじゃないの」
料理を持ってすぐ側を通りかかったカティーがほめた。タギも食べる手を休めて、ターシャを見た。ターシャはタギに見せるように一回りして見せた。ダンスを踊るような鮮やかなステップだった。
「見立て通りだ。きっと似合うと思ったんだ」
「似合う?」
「ああ、よく似合っているよ」
「ありがとう、タギ」
ターシャは、座っているため自分より少し低くなっているタギの頬に腰をかがめてキスした。タギもターシャの頬にキスを返した。
「ふん、ガキにもてて喜んでやがる」
相席になった三人の男のうちの一人が不愉快そうにつぶやいた。舌打ちをして、つばでも吐きそうな態度だった。タギは無視したがカティーが聞き咎めた。三人とも傭兵稼業だろう、腰に剣を吊り、上着の下には鎖帷子を着込んでいる。酒の回ったどろっとした目つきでターシャを見ていた。子供をみる目つきではなかった。
「お客さん、酔ったんならさっさと寝たほうがいいよ。酒を飲むなら楽しく飲まなきゃ」
「なんだと!」
男はカティーを睨みつけながら立ち上がったが、カティーの方が背が高かった。カティーから見下ろされる形になって男は少しひるんだ。実際、好意のかけらもない表情で見下ろすカティーは迫力があった。腰に手を当ててカティーは男の方へ一歩踏み出した。男は思わず一歩引いた。男の気合い負けだった。
「分かったよ。全くなんて宿だ。客を客とも思ってやがらねえ!」
男は捨てぜりふを残してテーブルを離れていった。連れの二人もそろそろ切り上げ時だというように立ち上がって後を追った。カティーが三人の後ろ姿を迫力満点に見送った。
カティーにしたら彼らを助けてやったようなものだと思っていた。まともにタギに突っかかっていったら三人ともどんな目に遭わされるか分からない。それだけの腕をタギが持っていることをカティーは知っていた。
カティーがタギの方を振り向いて言った。
「済まなかったね、最近は妙な客が増えたよ。麓の方が騒がしいからかね、昔なら見かけなかったような人間がアルヴォンを越えるようになったみたいだね。商売繁盛は嬉しいんだけど、いいことばかりじゃないね」
「そうみたいだね。さてごちそうさん。相変わらずおいしかったよ」
「私もとってもおいしかったわ、アルヴォンの女将さんって皆料理が上手なんですね」
「アリーとカティーは特別だよ。だから私がいつも泊まっているんだ」
「口の方もずいぶん上手くなったじゃないか、タギ。明日の出立は普通でいいのかい?」
「ああ、普通に出るよ」
『青山亭』には追っ手と思われるような不審な人物はいなかった。昨日のような小細工は必要なさそうだ。あと三日でアルヴォンを出られる。
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