第1話 アルヴォン飛脚 4章 テッセの宿で 1

 カディスからニアへ向かう人たちとすれ違いながら、タギは馬を走らせた。人とすれ違うときは速度をゆるめたが、それでもすれ違う人が目を丸くするような速度だった。カディスを過ぎ、テッセからカディスへ向かう人たちとすれ違うようになったのはもう陽がかなり傾き始めた頃だった。走り詰めで、ランはかなり疲れているはずだったが、一言も弱音を吐かなかった。カディスからテッセへ向かう人たちに追いついて、テッセの門をくぐったのは日没ぎりぎりだった。

 町へ入って、内門へと続く大通りの右側にある『青山亭』がテッセでのタギの定宿だった。ランを馬から下ろすと、さすがに足下が定まらないようで少しふらっとした。タギがあわてて支えてやった。


「よく頑張ったね。でもこれで二日分の行程を稼げた」

「ええ、なんだかふわふわするけど、大丈夫。なんだか今日一日でずいぶん馬に乗るのが上手くなったような気がするわ」


 ランがタギを見上げていかにも疲れたというふうに、首を振ってみせた。


「あら、タギ、すごい鼻息ね。馬が汗かいているじゃない?」


 柵に馬をつないでいるときに話しかけてきたのは、『青山亭』の女将、カティーだった。カティーはたいていの男に負けないほど背の高い女だった。タギが見上げるほどの背丈がある。背は高いがバランスが取れているため、見た目にすぐは大女とは気づかれない。黒い髪を短く切っているため整った容貌が精悍に見える。後ろから『青山亭』の亭主、ウルススが出てきた。カティーと対照的に背の低い男だった。ウルススはしかし、全身筋肉といった身体をしており、背は低くてもテッセで一、二を争う力持ちだった。鼻の丸い愛嬌のある顔をしていたが、眼は鋭く油断がなかった。カティーとウルススはかなり年の離れた夫婦だった。


「ああ、ちょっと訳ありでニアから急いだものだから。馬がばててしまった。ウルスス、馬の世話を頼めるかな」

「まかしとけ、ちゃんと汗を拭いて飼い葉を食わしておくよ。だけどこの季節にニアから一日かい?俺たちでもそんな無茶はしないぜ」

「朝めしを持たせてもらって、開門と同時に飛び出したからね。勿論休憩なしさ」


 何でそんなことをと言いたそうなウルススをカティーが制した。


「まあ人には人の事情があるからね。特にアルヴォン飛脚なんかやってるとそういうことも多かろうよ。閉門ぎりぎりだからいつもの部屋はふさがっているけど、いいかい?」

「贅沢は言わないよ。壁と屋根のあるところで寝られれば御の字さ。下手すると野宿かと思ってからね」

「あんたは平気だろうけど、お連れのかわいいお嬢さんは野宿じゃ大変だ」


 カティーにもランはちゃんと女の子に見えるのだ。タギは後ろのランに話しかけた。


「あまりその格好も効果がないみたいだな。男の子には見てくれないようだよ」

「はい、タギのように素直な人は少ないのだと思います」


 ランはすました顔で言った。タギはだまされやすいと暗に言っているようなものだ。ウルススとカティーが顔を見合わせて笑った。

 カティーが後ろに手を回して、スカートの後ろに隠れていた少女を引きずり出した。


「ほら、ターシャ、タギだよ。何を後ろに隠れているんだい?」


 ターシャと呼ばれたのは十一、二歳に見える少女だった。長い茶色の髪を三つ編みにして、膝丈のスカートをはいている。大きなぱっちりした、少しつり上がり気味の眼がかわいい。口は少し大きめだったがいい形をしていた。全体に野生の猫科の動物を思わせる印象を持っていた。カティーのスカートの後ろから引きずり出されたターシャは、その大きな目でランを睨むと、身を翻して旅籠の中へ走って入っていった。


「変な子だね。いつもタギがくると子犬みたいにじゃれつくくせに」


 ターシャが走っていった方を見つめてあきれたように言ったあと、カティーはランに視線を移して、そうかというように二、三度頷いた。このタギのかわいいお連れさんに焼き餅を焼いてんだ、あの子はもう、一丁前に、カティーは心の中で苦笑した。


「さあいつまでも立ち話でもないだろう。入った、入った」


 カティーがタギとランを建物の中へ導いた。帳場から鍵を取り出しながら、


「部屋は一つでいいのかい?今日は混んでいるから二部屋は無理なんだけれど」


 タギはランの方をちらりと見た。ランは軽く頷いた。


「ああ、毛布を一枚余分に貸してくれれば一部屋でいいよ」

「あいよ、四号室だよ。ターシャの焼き餅がひどくなりそうだけど」


 後半は小声のつぶやきだった。

 テッセはニアに比べると小さな町だ。旅籠も二軒しかないし、部屋数も少ない。『青山亭』は六部屋しかなかった。四号室は客室が並んでいる二階の真ん中だった。アルヴォンが雪に閉ざされる前の最後のにぎわいだった。ほぼ満員のようだ。

 部屋に入って、荷物を下ろした。さすがにタギは、部屋の中にたった一脚おいてある木の椅子に腰を下ろして、ため息をついた。座ったまま両手を上に思い切り伸ばして、続いて首と両腕をぐるぐると回した。向かい合わせに、寝台の上にランが座った。


「タギも疲れたのね。私も体中ぎしぎしいっているみたい」

「うん、こんな無茶なとばし方をしたのは久しぶりだ。よく馬が保ってくれたよ」


 ランが真剣な顔になった。道々ずっと考えていたのだ。


「タギ、私たちを追ってきた人たちをどうしたの?」


 タギが素っ気なく答えた。


「追って来られないようにした」

「殺したの?」

「全員じゃないけれどね」


 そう、全員を殺したわけではない。


「そう・・・」

「殺さない方が良かった?」

「ううん、いえ、正直言って分からないの。父様の下にはたくさんの兵士がいて、時々兵士達と出て行って、何日かして泥だらけになって帰ってこられたわ。鎧に血が飛び散っていたこともあったし、父様自身が怪我をされていたこともあったわ。苦しそうにうめきながら帰ってくる兵士達も多かったし・・・。兄様達も大きくなってからは父様と一緒に出られて、帰ってきてからさんざん自慢話を聞かされたわ。でもそれは私から見えないところでの出来事だったの。アペル城にセシエ公の軍が押し寄せてくるまでは。目の前で戦を見て、吟遊詩人が歌うような、それまで侍女達が言っていたような、ロマンチックなことなんか全くないって気づいたの。自分が死にたくなければ相手を殺さなければならないって。私の判断より、タギの判断の方がずっと正しいのよ。私にはそれにどうこう言う資格なんかないんだわ」


 ランはまっすぐタギの方を向いて話した。戦はたった十三の少女にはあまりに過酷な現実だった。しかし見ないふりをしていればそれで済むものではないことも、ランにはよく分かっていた。アペル伯爵家に生まれたランにとってはいやでも向かい合わなければならないことだったのだ。

 タギが立ち上がってランのそばに寄った。腰をかがめてランの肩に手を置いた。


「十三にしては、ランはとても賢いと思う。状況判断も的確だ。それに上に立つ人間としてもよく教えられていると思う。いい領主になれたろうにね」

「兄様達がいたもの、私が領主になれたわけではないわ」

「それでもどこかの領主に嫁いで、領民を支配する立場に立つ可能性が高かったと思うよ。支配者が賢ければ領民は余分の苦しみを背負わずに済む」

「セシエ公の様な圧倒的な力の前では賢い、賢くないなんて関係ないみたい」


 タギはちっちっちと舌打ちしながら首を振った。


「力を使うにもね、賢さが必要なんだよ。賢くなければ力に押しつぶされてしまう。特にセシエ公のような大きな力の場合はね」


 ランは少しびっくりしていた。こんなことを言う人には、タギは見えなかったからだ。普通に庶民の暮らしをしてきたわけじゃないんだわ、タギは。


「ええ、タギの言っていることが分かるような気がするわ。でも手遅れね、私がいまさら力を持つ立場に戻れるなんて思えないもの。叔母様のところへ行ったって、アペロニアを回復することができるなんて思えないものね」


 タギには何とも声のかけようのないランの述懐だった。ランの叔母様という人がどの程度の力を持っているのか、セシエ公に対してどんな態度を取っているのか、何も情報が無かったからだ。

 セシエ公はいずれグルザール平原を席巻するだろう。効果的に力を使うことを知っているし、力だけに頼らないことも知っている。セシエ公の支配下に入ったところではほとんどの場合、前の支配者のときよりも領民の暮らしが楽になっている。治安も格段に良くなっている。だから、一旦セシエ公の支配に入ってから抜け出たところは皆無に近い。軍事力よりもその方が、セシエ公の本当の力だろうとタギは思っていた。アペロニアがこれからどうなるかまだ分からない。でもアペロニアだけが例外になるとは考えにくかった。

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