第1話 アルヴォン飛脚 3章 襲撃 3

 剣を抜いた男達は少しだけ幸運だった。飛んできたのが鉄の棒ではなく、石礫であったという点で。しかし大人の握り拳ほどもある石をまともに両目の間に受けた男達は、派手に鼻血をまき散らしながら落馬した。昏倒した男達の中で崖下に落ちずに済んだのは一人だけだった。あっという間に敵の勢力を一人だけにして、タギは木の陰から出てきた。大将格の男だけわざと攻撃の対象から外していた。

 髪を短く切った唇のうすい男は、立木の陰から現れたタギを見て全身に怒りを吹き出させた。気の弱い人間ならそれだけで逃げ出したくなりそうだった。


「貴様!何者だ!」


 ドスのきいた声だった。


「あんたがこの連中のあたまか?」


 男は憤怒の叫びをあげ、剣を振りかぶってタギに斬りつけようとした。ところが馬の上で上体を起こしたとたんバランスを崩して落馬しそうになった。鐙が切れていた。昨夜タギが切れ目を入れておいたのだ。すぐには切れなくても、何度も重みをかけているうちに切れてしまうように細工しておいたのだ。これほどタイミングよく切れるとはタギも思わなかったが。

 タギの行動は迷いがなかった。バランスを崩した男に素速く近づくと、ふわっと跳び上がって懸命に体勢を立て直そうとしていた男を馬から蹴り落とした。崖下に蹴り落とさないように注意した。道の上に転がって慌てて立ち上がろうとしている男のすぐ後ろに、空中で一回転したタギが着地した。そのままナイフで頸すじを刎ね切った。切られた頸動脈から派手に血を吹き出しながら、男は口を悲鳴の形にして、しかし声も出せず倒れ伏した。

 二、三回全身を痙攣させて息絶えた男の身体を足でひっくり返して仰向けにして、タギは男の懐を探った。案の定、男の懐にずっしりと重い金袋が入っていた。それを取り上げてタギは男の身体を崖下に蹴り落とした。

 残っていた馬の尻をたたいてニアの方へ追い立てると、あとには、顔面に石礫を受けて昏倒している男が一人だけ残っていた。男の側に片膝をついて、タギは男の目の前にナイフを持ってきた。男は完全に気を失っていて、全く反応しなかった。『二つの暖炉亭』にいた男ではなかった。運のいいやつだ、とタギは思った。意識があったら始末するつもりだった。顔を見られたかも知れない人間を生かしておく訳にはいかなかったからだ。石礫で昏倒したままなら、顔を見られている可能性はない。

 二人と分かっているーそれも一人は小さな少女だー相手を九人で追いかけて、鉄砲まで用意するような連中を容赦するつもりはタギにはなかった。最後の一人の命を助けたのはタギにとって最大の譲歩だった。

 ランはくぼみに身を隠して、しかし外のことが気になってたまらず、くぼみの前に生えている丈の高い草を少しかき分けて様子を窺っていた。だから馬を引いてタギが姿を見せると、夢中で隠れ場所から飛び出した。


「タギ、タギ!」


 ランはタギの首に抱きついて、タギの頬に何度もキスした。タギはくすぐったそうな顔をして、ランを抱き留めていた。


「タギ、怪我してない?大丈夫だったの?」

「ああ、怪我なんかしてないよ。さあ、行こう。今日中にできればテッセまで行きたい」


 タギは荷を背負って、馬にまたがった。前にランを座らせた。また早足で馬を駆けさせはじめた。


「タギ、タギはアルヴォン飛脚だってアリーが言ってたけど、ずっとアルヴォン大山塊の中を行き来してるの?」


 ランはタギの前に座って、できるだけ首を後ろに回してタギに問いかけた。髪が風になぶられて、頬や眼にかかる。それを片手で押さえる仕草が可愛かった。


「そうだよ。もう五年ほどそれで暮らしを立てている。ニア街道をたどれば私なら七日から八日ぐらいでレリアンからネッセラルへ着ける。アルヴォンの山麓を回る街道をとるのに比べると半分の日数で済むからね。急ぎの手紙や、荷物を頼む人も結構いるから、私の仕事もあるんだ。冬にはニア街道もカンディア街道も雪で通れなくなるけれど、それ以外の季節はしょっちゅうアルヴォンの中を往復している」

「人間を運ぶこともあるの?」


 ランはダロウが言ったことを思い出して訊いてみた。私も今、運ばれているわけだ。


「運ぶわけじゃない。ニア街道を行くのを案内するだけだよ」


 タギはきまじめに答えた。


「でも私がついていると安全だし、ふつうより早く着けると一応の評判をとっているからね。そういう依頼も時々あるよ」

「料金は高いのでしょう?ニア街道では一度にたくさんの荷は運べないし、宿場町で通行税を取られるし、タギが暮らしていけるほどのお金も稼がなければならないし・・・」

「そうだね、安くはないけれど、それだけの費用をかけても早く届けたいものも世間には多いのだよ。特に手紙なんかについては私たちが運ぶと、アルヴォンを避けて平地を行くよりずっと速いからね。急ぎの手紙に早馬を乗り継げるのは大貴族だけだから、普通の人たちが早く届けたいと思うと、私たちに頼むことになる。それにセシエ公の支配地を通したくない手紙や荷物もあるからね」


 叔母様はそんなお金を払ってくださるかしら?父様も、母様も亡くしてしまって、私は一人になってしまった。私がアペロニアの正当な所有者だなんて今更主張しても誰も聞いてくれないだろう。何も返すものがないのに、父の妹とはいえそんな好意を示してくれるかしら?でもタギには報いなければならない。自分のためにずいぶん危険なこともしてくれている。それだけはなんとしても果たさなければならない。タギは真っ直ぐに前を向いて馬を駈けさていた。ランにはタギがどう考えているのか分からない。ランが約束した報酬をどれくらい当てにしているのか、そんなものは気にしていないのか、タギの口調は冗談のようにも聞こえた。でも口にしたことは守らなければならない。それが父と母の誇りだったし、ランもそう思っていた。

 早足で駆ける馬の上で受ける風が少し冷たかったが、そんなことを感じたのは最初のうちだけだった。タギは馬を駆けさせることができるところはできるだけ急いで、今日中にカディスを過ぎ、テッセまで行くつもりだった。ニアからカディスまで十九里、カディスからテッセまで十二里、ニア街道を通い慣れた旅人なら、そして日の長い夏ならニアとテッセの間を一日で踏破する旅人も珍しくはなかった。しかし、日の短いこの時期にそんなことをしようという旅人はいなかった。朝早く出たとはいっても途中で手間を取られている。かなり急がなければ間に合わないがタギには自信があった。これまでにも何度か同じことをしていて、時間の計算ができていた。ぎりぎり間に合うだろう、途中で休むことはできないが。


 一ヴィドゥーは、行軍で完全装備の兵士が一歩で進む距離とされていた。二千ヴィドゥーで一里、歩兵軍団の行軍距離が一日に二十里というのが標準だった。一人、あるいは少数で行くのと、軍団で進むのとは条件が違う。軍団になると様々な輜重を運び、野営の準備にかかる時間、出発の準備にかかる時間も計算に入れなければならない。それだけ歩くために使える時間は少なくなる。日中だけで二十里というのはそれほど長い距離には思えないが、歩く時間が少なければかなりの速度で歩かなければ達成できない距離だった。一人でなら、一日歩き続ければ、健脚を誇る人間なら一日三十里を歩くだろう。ただし、平地での話だった。この場合のタギのように山道を一日に三十里というのはかなり無茶な速度だった。

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