第4話 再会 3章 脱出 4

 城壁に向かって鉤付きのロープを投げた。一回で城壁の上に引っかかった。


「ラン、この壁を登るから、背中に捕まって」

「でもタギ、私この前よりずいぶん大きくなったのよ、会わない間に。荷物も背おっているし。重すぎない?」

「大丈夫、ランくらいの重さだったら平気だ。さっ、早く!時間がない」


 ランが頷いた。しゃがんで背中を出す。ランが背に負ぶさってきた。ランを背負ったまま腕の力だけで身体を引き上げた。城壁の上に着くとランの腕の下にロープを回した。市の外は真っ暗だった。城壁の中を見ると門に近い方で幾つも炎と煙が上がっている。視点が高くなって町の様子がよく見えた。遠く人々の喚声や悲鳴が聞こえる。


「ここから外へ降ろすから、自分の力でもロープに掴まっているんだ、いいね?」

「はい」


 誰かこちらへ走ってくる気配がする。タギは急いでランを城壁の外側に降ろし始めた。


「誰かいるぞ!」

「何者だ?」


 口々に叫びながら、完全武装の兵が三、四人駆け寄ってきた。セシエ公の兵なのか、カーナヴォン侯爵の兵なのか分からない。片手でランを下ろすロープを操りながら、ナイフを抜いた。左手の手のひらをロープが滑っていく。握る力を加減しながらスピードを調節した。兵士が槍を繰り出してきた。その穂先をナイフで切り飛ばす。斬りかかってきた長剣を下から跳ね上げた。長剣が半分に切れて飛んだ。身動きできないタギに三人目が剣を突き込んできた。横に払ったが払いきれず、ランを下ろすロープを握っているため自由に動かせない左の上腕を、剣先がかすった。体勢を崩したその兵士の脇腹をナイフで切り裂いた。派手な悲鳴が上がったが致命傷になるほどの深い傷ではないことをタギは手応えから感じていた。同時にランが地上に着いた。左手の手のひらにかかる力がなくなった。それを確かめてタギは城壁の上から外へ飛んだ。

 下は柔らかい草地だった。高さの加減が分からず着地と同時に転んでしまった。ランが駆けつけてくる。


「タギ!大丈夫?」

「ラン、走るんだ!」


 タギに手を引かれてランは精一杯に走った。ヒュンと言う音がして矢が身体のそばを飛んでいった。タギが後ろに向かってナイフをふるう。そのたびにかつんと音がして矢がたたき落とされる。完全に闇に紛れてしまうまでタギは止まらなかった。それでもタギが加減して走ってくれているのをランは知っていた。タギの左手を握っているランの手になま暖かいものが伝ってきた。思わず叫んだ。


「血だわ!タギ、怪我をしたの?」

「かすり傷だ。心配ない!」


 タギがようやく走るのを止めたとき、ランは完全に息が上がっていた。膝に両手を置いて肩で息をした。タギが自分で左手に包帯を巻いているのに気づいたが、とても手伝えなかった。ようやく息が整ってきたとき、タギはもう自分で左の上腕と手のひらに包帯を巻き終えていた。まだ荒い息のままランはタギに訊いた。


「怪我を、したの?」

「ああ」

「ごめんなさい。私のために」

「ランが謝ることはない。それにかすり傷だ。すぐには止血できなかったから、少し出血しただけだ」


 タギは馬でカーナヴィーの近くまで来ていた。包囲軍やカーナヴィーの軍に見つからないように、城壁からかなり離れた灌木の陰に繋いでいた。


「あら、この馬見覚えがあるわ」


 タギの前に乗ったランが言った。ランは自分の荷物を胸の前に抱えていた。


「ああ、足は速くないけれど、頑丈だから重宝している」


 ニアと南カンディア街道をセシエ公に押さえられてアルヴォンと外界との交易は極端に不自由になった。アルヴォン大山塊の中で馬車や荷車が通れる道が南カンディア街道しかないからだ。ニア街道を使って細々と品物が行き来しているが、量的には以前と比べるべくもない。この馬も交易に使われている。人がその背で運ぶより遙かに多くの荷が運べる。

 足下のおぼつかない闇の中をタギは巧みに手綱を取って、馬を駆けさせた。馬にもよく見えてないはずだが、素直にタギの指図に従った。振り返ると城壁越しに炎が見える。何カ所も上がっている炎に照らされて、カーナヴィーの背の高い建物が影絵のように浮かび上がっていた。

 真夜中近くまで、馬を走らせた。ファビア街道には出なかった。細い裏道ばかり選んでネッセラルの方へと走らせた。

タギがやっと馬を止めたのは、深い森の中の粗末な小屋の前だった。最初からここを目指していたらしい。戸を開けて中に入った。真っ暗だった。


「今夜はここで休むよ」


 タギがごそごそしていたと思ったらふっと明かりがともった。鉋もかかっていない隙間だらけの板壁に蝋燭立てが一個打ち込んであった。その上で小さな蝋燭が頼りない明かりを放っている。それでも真っ暗な中を走ってきたランには十分明るく見えた。小屋の隅に柔らかそうな藁が積んであった。その横に何かを入れた袋もあった。


「タギ、私―」


 タギを振り返って改めて礼を言おうと思ったランは息をのんだ。タギの左肩から肘にかけて包帯が巻いてあった。白い包帯にかなり広く黒いシミが浮き出ていた。かろうじて悲鳴になりそうな声を飲み込んだ。


「タギ、血が止まってないの?」

「包帯をちゃんと巻いている暇がなかったからね。巻き直すのを手伝ってくれる?」


 ランが何度も頷いた。

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