第7話 レリアンの市 6章 ヤードローの小屋で 1
ランの熱が下がったことを確認してタギは宿を出た。ちらちらと細かい雪が降っていた。まだ積もる雪ではないものの、北の国はもうすぐ本格的な冬だった。雪に閉じこめられてしまう前にもう一度ヤードローの小屋へ行ってみるつもりだった。ランに留守番をするように説得するのはまた一騒動だったけれど、やっと納得させてタギは一人だった。ランの看病をしている間に、オービ川の向こうにあるかもしれない“敵”の巣の捜索は雪解けを待たなければならないと結論した。土地勘のあるところではないし、深い雪の中を動くことも経験のないことだった。
一度たどったことのある道は覚えている。タギは早足でレリアンを出、東、北への道をたどった。町の外はもっと冬の気配が強かった。木々はもう葉を落としていたし、刈り入れの終わった畑は寒々しかった。北からの風が冷たい。風に逆らうように足を速め、午前中の早くにはゴドの住んでいる集落の横を過ぎ、森の中に入った。
ヤードローの小屋の百ヴィドゥーほど手前でタギは足を止めた。まだ小屋は木立に隠れて見えないが、小屋の方角にヤードローのだけではない気配を感じたのだ。気配は複数でしかも鋭い緊張を帯びていた。ヤードローに何が起こっているにしろ、通常の事態ではないことは分かった。
足音を殺して小屋へ近づいた。小屋の前の小さな広場につながる道の傍らにある木に隠れて男が一人いた。三十前後だろう。小柄な小太りの男だった。小屋の様子を窺っているのではない。小屋へ続く道を見張っていた。うまく気配を消している。タギでなければその前を通っても気づかなかっただろう。
―マギオの民―
なぜマギオの民がこんなところにいる?
タギは男の前を通る道を迂回して小屋の裏へ回った。道のないところを通ってもタギは全く音を立てなかった。小屋の入り口のところでヤードローが二人の男と話していた。ヤードローは不機嫌そうな顔で立っていて、押し問答に近いようだった。相手は背の高いやせた男と中肉中背の若い男だった。背の高いやせた男がヤードローと向かい合い、中肉中背の若い男が周囲に気を配っていた。背の高い男に目をやって思わずタギは息をのんだ。
驚愕で、完全に殺していた気配がわずかに乱れた。とたんに背の高い男がタギの方を見た。すっと姿勢を低くして身構えた。腰の剣に手を添えた。目に殺気が宿っている。若い男も直ぐに身構えた。二人ともその姿勢のままで動かなかった。タギのいる場所がはっきり特定できているわけではない。タギも直ぐにまた気配を殺した。
若い男の方の目がきょろきょろと動いた。不審そうな表情がその顔に浮かんだ。彼には一瞬乱れたタギの気配に気づかなかった所為で、なぜ背の高い男が戦闘体勢に入っているのか理解できなかった。それでも自分より遙かに鋭い感覚を持っている上級者がこれほどの緊張を見せるのはただごとではないことはわかっていた。
道を見張っていた男も、二人の様子に気づいた。その場で身構えた。それから二人が警戒しているのが自分のいるところと反対方向であることに気づいて、ゆっくりと二人の方へ歩いてきた。隙のない身のこなしだった。背の高い男に目配せされて、小柄な男と中肉中背の若い男が左右に分かれた。タギのいる正確な場所が特定できていないまま、包囲するように動き始めた。
「おい、ちょっと待て!なんだ、そのまねは?」
ヤードローが大声を出した。後ろから背の高い男の肩をつかもうとした。背の高い男がヤードローの手を払った。
その瞬間、タギが動いた。右手から近づいていた小柄な男との距離を一瞬で詰めると首筋に手刀をたたき込んだ。小柄な男は驚愕の表情を貼り付けたまま、声も出せずにくずおれた。間もおかず、左手から近づいていた中肉中背の若い男が剣を抜いて無言でタギに斬りかかった。タギは腰からナイフを引き抜きざま剣先を三分の二ほど切りとばして、そのままナイフの柄で男のみぞおちを突いた。男は舌を少しつきだして、膝を折って倒れた。この間、タギもマギオの民の男達も一言も発しなかった。
「ウルバヌス!」
二人の男をごく短時間で倒して、タギはまだヤードローともみ合っている背の高い男に鋭く声を掛けた。ウルバヌスが本気になればヤードローを倒すことくらい簡単だった。しかしヤードローから聞きださなければならないことがある所為で、ひどく痛めつけることもできず、手加減していたため手間取っていた。その間にタギに二人の部下を倒されてしまった。ウルバヌスにとっては計算違いだった。
「タギ!」
ウルバヌスも驚いていた。驚いているのはヤードローも同じだった。
「おまえか!」
ウルバヌスともみ合っていた手を離して目を丸くしてタギを見つめた。
「こんなところで何をしている、ウルバヌス?」
タギは抜き身のナイフを持ったままウルバヌスに近づいた。ウルバヌスは動けなかった。体勢が悪すぎた。ヤードローともみ合っていたせいで、タギに対して左半身(はんみ)になっている。剣の柄からも手を離していた。部下の二人がこれほど早くやられてしまうなどとは考えもしなかったからだ。この体勢からタギの方に向き直ろうとしても、剣に手を掛けようとしても、タギのナイフの方が速いだろう。ウルバヌスは覚悟を決めて、体の力を抜いた。ウルバヌスが戦闘モードを解除するとタギも殺気をおさめた。ほっとしたウルバヌスの背中を冷たい汗が落ちていった。
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