第7話 レリアンの市 5章 看病 3
アンナは興味津々と言った風情でタギとマルシアのやりとりを聞いていた。表面上は朝食の支度に忙しいふりをしながら、全身を耳にして二人の声に注意を集中していた。若い女の例にもれずゴシップは大好きだったし、それが自分の知っている人間についてのゴシップであれば、なおさらよだれが出そうな話題だった。
タギはアンナにとってこれまで何となく近寄りがたい存在だった。女と見れば愛想笑いする類の男ではなかったし、口数も少ない。近頃は滅多に見ないような美少女を連れている。自分より遙かにきれいな女を連れている男などというものは、女にとって完全に興味の対象外になる。それがマルシアにやり込められてしゅんとしているのは、ちょっとした見物だった。意外に親しみやすいのかもしれない、アンナはそう思ったが今はとにかく忙しい時間だった。自分の口からもいろいろ訊きたいことがあったが、まだそこまでタギに対して気安く声をかけることはできなかった。少しつんけんした口調でタギに言った。
「さあ、手伝ってくださいね。やることがたくさんあるんですから」
「分かった、何でもするから言ってくれ」
タギは腕まくりして厨房に入っていった。
マルシアがドアを開けたとき、ランは目覚めて上体を起こしていた。ドアが開いたのに気づいて首を回して、入ってきたのがタギでなくマルシアであることを認めて、少し不審そうな表情になった。
「おはようございます。マルシアさん」
寝る前よりずっとなめらかに声が出た。
「おはよう、嬢ちゃん。タギに、あんたがびっしょり汗をかいているから着替えさせてやってくれと頼まれたんだよ。自分でやってやればと言ったんだけど。あんたが恥ずかしがるだろうからってさ」
ランは頭を下げた。タギらしい気の使いようだわ、そう思った。
「お手数を掛けて済みません。でも自分でできますから」
「なに言ってんだよ。病み上がりは無理をするもんじゃない。さっ、体も拭いてあげようかね」
マルシアは手際よく、汗で濡れたランの服を脱がせた。布を湯に浸けて固く絞って顔を拭き、ついで体を拭いてやりながら、
「きれいな体だね、本当に。シミ一つなくてさ。うらやましいかぎりだね」
マルシアにとってはランの体を拭く作業のついでの軽口だったが、ランには何とも返事の仕様がなかった。自分でも自分の体はきれいだと思っていた。胸もとびきり大きいわけではないが、形よく盛り上がっている。タギに初めて会ったときには両手を胸の前で組めば全部隠すことができたが、今はそれでははみ出てしまう。腰も十分にくびれている。手足もすらりと細くそれでも弱々しい感じを与えない。張りのある皮膚は水を弾いた。容貌だって、決して醜くはないわ、絶世の美女とはいかなくても、それがランの自己評価だった。自己評価の例に漏れず、正当な評価ではなかったが。
マルシアの替わりにタギが同じことをしてくれれば、自分はどうするだろう?そう考えたとたんにランは真っ赤になってうつむいた。ズキンとした胸の鼓動が決して不快なものではないことに、ランは気づいた。ますます顔が赤くなった。
マルシアはランが真っ赤な顔になったのに気づいた。そしてなぜそうなったかも推測できた。小さくため息をついた。
やれやれ、この娘はまたずいぶんとおくてのようだし、タギはこの娘のことに関してはやたらに純情なようだし、二人が男と女になるのはまだ先のことのようだね、そんなことを考えながらでもマルシアはてきぱきとランの体を拭き、服を着替えさせていた。
「朝ご飯をタギに持たせるからね、この部屋でお食べ」
「大丈夫です。階下(した)に行けますから」
「まだ熱っぽいし、体もふらふらするんだろう。本調子になるまで無理しない方がいいよ」
マルシアは使い終わった桶と布、それに昨日持ってきた盆を持って部屋を出て行った。
タギが体を拭いてやろうと言ったら自分はどうするだろう?きっと拭いて貰うことになるわ、そのときタギに見られる自分の体がみっともないものでなくてよかった、それだけは本当によかった、体を異性に見せるというのはどういうことなのか、男と女がいるというのはどういう意味なのか、知識として知ってはいたが、タギと自分の間に起こることとしてランにはその先を考えられなかった。
タギが食事を載せた盆を持って部屋に入ってきた。とりとめもなくそんなことを考えていたランは部屋に入ってきたタギを見て首筋まで真っ赤にしてうつむいた。真っ正面からタギを見ることができなかった。
タギは持ってきた盆を机の上に置いた。
「今日は起きて食べることができるだろう?昨日より調子が良さそうだから」
タギの声はいつもと変わらないように聞こえた。自分が顔を赤くしていることをタギはどう考えるかしら?でも、タギだってわざわざマルシアさんに自分の世話を頼んだのだもの、私のことを女として意識しているのだわ。考えがぐるぐる回ってまとまらなかったが、ともかくタギに返事をした。
「うん、・・・そうね。体を拭いて貰ってずいぶん気持ちよくなったし、起きてみるわ」
昨日と同じパンがゆだったが、ランは自分の手で皿の中の料理のほとんどを食べた。添えられたリンゴも食べた。蜂蜜を入れた冷たい水が美味しかった。
二人ともぎこちなく黙っていた。タギはマルシアに指摘されたことが念頭を去らなかったし、ランも自分のとりとめもない考えがタギを前にして妙に恥ずかしかった。
ランの熱がすっかり下がりきるまでにさらに三日かかった。その間タギはサナンヴィー商会にもう一度ネッセラルへ行くことを断りに行った以外、ランのそばで過ごした。
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