第24話 シス・ペイロス遠征 4章 神殿崩落 3

 再び小さくなった火の後ろに黒い影のようなものが出現していた。輪郭のぼやけた黒い影の上部に丸い頭のような部分があった。その頭が前に立つ人間たちを見回したようにタギには感じられた。それはひどく冷酷な視線だった。


 タギは本能的に危険を察知した。そして叫んだ。


「危ない、逃げろ!神殿の外に出ろ!」


 火がまた音を立てて大きくなった。天井を嘗めた。火の後ろの影が何倍にもふくれあがった。何が起こったのか理解できずにあっけにとられていたセシエ公やセルフィオーナ王女たち神体の前に立っていた人々が、タギの声に慌てて外に向かって走り出した。あれは近づいて良いものではない、影を見た全ての人々がそう感じていた。


 タギも外へ逃げようとして足が止まった。動こうとして動けなかった。影の方を振り返ったタギの顔に恐怖があった。初めて戦場へ出て“敵”を前にした時に感じた恐怖を何十倍にもしたような恐怖だった。

 ランが立ち止まったタギの腕を取った。


「タギ、タギ!何をしているの?速く逃げなきゃ」


 タギの額に汗が浮いた。どうやっても足が動かなかった。


 掠れた声がタギの頭の中に響いた。


『つ・・・か・・ま・・・え・た』

 

 黒い影がタギに向かって飛んできた。タギを包み込んだ黒い影が人の形をとった。人の形を取った影が両手を突き上げた。

 タギの顔に隈取りが浮かんだ。黒い影に突き飛ばされるように、ランがタギから離された。ランが叫んだ。


「タギ!」


 ランの声は燃えさかる火の音に消されることなくタギに届いた。その声にタギの顔の隈取りが消えた。タギを包んだ人型ひとがたの黒い影がぼやけた。タギの体が動くようになった。ランの方へ一歩踏み出した。


「ラン・・」


 駆け寄ろうとしたタギの顔に隈取りがまた出現した。黒い影の輪郭がしっかりとタギを包み込んだ。踏み出そうとした足が止まった。


「キワバデス様!」


 黒い影と隈取りの浮いたタギを指さして、神殿の中に残っていたカバイジオスが叫んだ。


 それはキワバデス―上位存在―の残留思念だった。何百年も前に本体から分かれて神殿に繋がれていた残留思念だった。本体から離れて永く、既に忘れ去られ、力の供給もなく、ここ百年以上は休眠状態にあった残留思念だった。カバイジオスの呪詛に一時的に目覚めたそれは、それでもなお人間を超えた力を持つ存在だった。


「キワバデス様がご降臨された!」


 カバイジオスの涙が喜びの涙に変わっていた。跪いて両手を挙げて彼の神の名を声を限りに呼んだ。


「キワバデス様!」


 カバイジオスの言葉に応えるように火がさらにひときわ大きくなった。天井を嘗め、壁を嘗めた。天井に火が付き、尖塔が燃え上がった。火が付いて脆くなった天井や壁が落ちてきた。


 あっという間に火に包まれた神殿を、外に逃れた人々が呆然としてみていた。

 ランは逃げ出さなかった。黒い影に包まれて固まってしまったようなタギを見ていた。離れるのは嫌だった。どんなことがあってもタギのそばにいたかった。ランが叫んだ。


「タギ!タギ!いやだ!戻ってきてタギ!私の、私のタギ!」


 ランの叫びにタギの顔の隈取りが薄くなった。タギの顔がランの方を向いた。ランがタギに駆け寄った。黒い影の抵抗が少なくなってランがタギに抱きついた。しっかりと背中に腕を回して、タギの胸に顔を押しつけた。


「タギ!私のタギ!」


 ランの声に呼応してタギの表情が戻った。隈取りが消えた。タギがランを強く抱き返した。ランを抱きしめたタギごと、黒い影が包んだ。タギの顔の隈取りが濃くなったり、薄くなったりした。黒い影からの圧迫が苦しかったがランはタギに抱きつく力を緩めなかった。


「タギ!私のタギ、いやだ、どこへも行かないで!」


 ランの声が届けば隈取りが薄くなる。黒い影も形を保てなくなる。しかし、その時間は長くない。つかの間隈取りが消えたタギが、声を絞り出すように言った。


「こ、こいつはなんだ?畜生、振り払えない。・・・ラン、逃げるんだ。こいつは危ない!お前を護りきれない!」 


 その言葉を聞いてもランはますます強くタギに抱きついた。嫌々するように首を振りながら、


「いや!タギのそばにいる。どんなことがあってもそばにいる!ずっと一緒にいる」


 その声に一瞬タギの顔から隈取りが完全に消えた。まとわりつく黒い影がぼやけて形をなさなくなった。動けるようになったタギがランをさらに強く抱きしめた。ランを抱いたまま神殿の外へ駆け出そうとした。その瞬間、天井が崩れた。タギとランの姿は、燃えながら落ちてきた天井と壁の残骸に埋もれて見えなくなった。


神殿の外に逃れた人々が崩れ落ちた神殿を呆然とみていた。


「タギ・シェイナ!」


 セルフィオーナ王女の悲鳴のような叫びが神殿の崩壊する音に重なった。






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