第24話 シス・ペイロス遠征 2章 行軍 1
セシエ公の行動は早かった。人員と荷がオービ川を渡り終わった次の日には少数の見張りをベースに置いて、北上を始めた。マギオの民が先頭だった。シス・ペイロスの地理は知られていない。ヤードローもこのあたりには来たことがなく、先年シス・ペイロスに侵入した少数のマギオの民の知っていることが全てだった。タギも通ったことはあるがマギオの民以上のことは知らなかった。そのため、周囲を確認しながらの行軍になる。通常の行軍速度より遅くなるだろうが、黒森まで十二~三日と見積もられていた。セシエ公のシス・ペイロス遠征軍は歩兵中心だった。荷運び用以外の馬を渡河させるのは非常に手間がかかるのと、森の中では馬はあまり役に立たないだろうと考えられたからだ。セシエ公自身とその少数の側近、それにセルフィオーナ王女と三人の侍女、サンディーヌ、ミランダ、ランが騎乗しているだけだった。
進路沿いに小さな集落があった。シス・ペイロスの平原の民、ギガタエ族の集落だった。セシエ公が様子見に中隊を派遣したが、集落は空っぽだった。行軍しているセシエ公の手勢を見て慌てて逃げたのだろう、土と石で作られた家の中は乱雑に散らかっていた。兵士たちは腹立ち紛れに残っていたものを壊し火をつけたが土と石でできた家は燃えなかった。貴重な油をこんなところで使うわけにも行かなかった。先を急ぐ行軍に従事しているためしつこい破壊はできず、兵士たちは集落を離れた。
二日行軍している間に、タギはマギオの民の中にアティウスの気配がないことを確信した。アティウスだけならその気配が探知しづらいのも理解できたが、シレーヌやクリオスの気配も感じられなかった。あれほど熱心にタギに協力を要請していたアティウスが、この遠征に加わっていないのは不自然だった。それに戦闘行動中はシレーヌがランの護衛をしてくれる約束だった。そのシレーヌもいない。アティウスが何の理由もなく、そんな約束を反故にするとはタギは考えなかった。
行軍三日目の夜、野営地の設営が終わった後、タギは司令部を兼ねるセシエ公の幕舎の外でウルバヌスを待っていた。ウルバヌスは一日の行軍の後にセシエ公の元に、その日の報告と翌日の打ち合わせのため来ることになっていた。ファルキウスではなくウルバヌスがセシエ公の元に来るのはセシエ公の意向だった。ギガタエ族の集落を捜索した以外ほとんど何もなかった一日であったため、ウルバヌスは短時間でセシエ公の幕舎から出てきた。ウルバヌス一人ではなく、ベイツが一緒だった。
タギは適当な距離を置いて二人を尾け始めた。ウルバヌスには分かる程度に気配を出しながらしばらく尾けていると、ウルバヌスがベイツを先に帰して、一人、野営地から外れる方向にゆっくりと歩き出した。
ウルバヌスがタギの方を振り返ったのは、野営地を外れて一段低くなった岩陰だった。半分欠けた月を雲が隠している。顔を見分けるのも難しい明るさだったが、タギもウルバヌスもそんなことは気にしなかった。五ヴィドゥーほどの距離を置いてタギとウルバヌスは向かい合った。
「アティウスはどうした?」
タギが単刀直入に訊いた。
「アティウス様はこの遠征には参加されない」
ウルバヌスは無表情に答えた。その答えも素っ気なく、言葉には抑揚が無かった。それだけで裏に何か事情があることを告げる口調だった。タギが眉をひそめた。
「シレーヌもクリオスも、それから以前ネッセラルで見知ったマギオの民の気配も無い。彼らも遠征には参加しないというのか?」
「そうだ」
マギオの民があげて動員されていると聞いた。アティウスだけではない、シレーヌもクリオスも有力な民のはずだ、それなのにこの場にいない、その訳を説明するつもりはウルバヌスには無いようだ。
「私はアティウスに、私がマギオの民に協力するための条件を付けた。アティウスは了承したが、私はマギオの民との約束と言うよりアティウスとの約束だと考えている。アティウスが居ないということは、その条件は破棄されるということか?」
しばらくウルバヌスは沈黙していた。考えを押し殺した無表情のままタギを見つめていた。
「そう考えて欲しい」
「アティウスはマギオの民は契約の民だと言っていた。そちらの都合だけで約束を破るのか?」
自分の方にも約束を破る事情が出来たことを棚に上げてタギはそう言った。アティウスに起こったことをうすうすと察知し始めていた。
「申し訳ない」
タギの声は大きくはなかった。むしろ淡々と事実を確かめていくような口調だった。
「アティウスは何をしている?この遠征に参加できないような何があいつにあった?」
ウルバヌスの顔が一瞬ゆがんだように見えた。暗い月明かりの下でははっきりしなかったが。またしばらくの沈黙の後で、
「民の内部の事情は話せない。とにかくアティウス様もシレーヌ、クリオスもこの遠征には参加できない」
“参加しない”ではなく、“参加できない”とウルバヌスは言った。ウルバヌスを見つめるタギの眼が頼りない月明かりを反射して光った。
「いいだろう、この次アティウスに会ったら散々文句を言ってやるからそう伝えておけ」
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