第9話 シス・ペイロスの神 1章 集落長会議 1

 集落の中央にアトーリのおさ、ラビドブレスの館があり、集落の一番北側にキワバデスの本神殿が、尖った塔を持った独特の様式で広い境内の中に建っていた。

 アトーリに着くと一行は門からラビドブレスの館まで一直線に伸びている通りに面した一軒の建物に入った。キンゲトリックの、というよりはクルディウムの集落のアトーリにおける出張所のような建物だった。アトーリがフリンギテ族の中心をなす町であるため、各集落はその中に自分たちのための建物を持っていた。その建物に旅装を解くと、キンゲトリックはアエディティオと、一緒に付いてきた男の一人を連れて、ラビドブレスの館へ出かけた。ザンドルーともう一人は留守番だった。タギ達の監視役といってもよかった。その夜、キンゲトリック達は帰ってこなかった。

 出張所に詰めているクルディウムの村人が用意してくれた夕食を摂って、タギとランは早めに自分たちに提供された部屋に入った。ヤードローは下見に行くといって、もう暗くなりかけたアトーリの町に出て行った。ザンドルーが一緒だった。一人で行動させるわけにはいかないし、危険だというのがザンドルーの言い分だった。大体そんなことをする必要はない、とザンドルーがヤードローに文句を言った。


「しばらく来ていないからな、いつもキワバデス神殿に品を並べるのだが、それができるかどうか見てくる」


 そう言って、ヤードローは機嫌の悪いザンドルーと一緒に出て行った。


 タギ達はここでも一応客分の扱いで、提供された部屋は悪くなかった。キンゲトリックの家の客間ほど広くはなかったが、きちんと片づけられており、掃除もいきとどいていた。大きめの寝台と、大人の背丈ほどのチェスト、木造の椅子が三脚おいてあった。


「なんだか、シス・ペイロスの黒森の中だなんて信じられないわ。ファビア街道沿いの宿屋みたい。それもかなり上等な宿屋だわ」


 ランがぐるりと首を回して部屋の様子を見ながら、目を丸くして言った。


「ランディアナ王国の人たちは、シス・ペイロスに住んでいるのは野蛮人だと決めつけているけれどね、そうじゃないって、シス・ペイロスに入ってからランもずっと言っていたじゃない」


 ランが寝台に腰掛け、タギが椅子に腰掛けて話していた。


「キンゲトリックさん達はなにをしているのかしら?」


 タギは部屋の周りを探った。壁に隠れて聞き耳を立てている人間がいるかもしれない。床下や天井も油断ならない。気を集中したタギの感覚に引っかかってくるものがあった。隣の部屋に誰かいる。タギは唇に指を当てた。ランにはその意味が分かった。


「さあ、きっとマギオの民との小競り合いについて、話し合っているんだと思うよ。彼らにとっては大変なことだろうからね」


 タギがわざと隣の部屋で聞き耳を立てている人間に聞かせるようにそう言って、ランが頷いた。それでこの話題は終わりだった。


「私、体を拭きたいわ、お湯が貰えるか訊いてくるわね」


 クルディウムの村からこの建物に詰めている人たちの中には女もいた。食事しながらランは彼女たちと話していた。その雰囲気は尖ったものではなかった。

 部屋を出て行ったランはしばらくして桶に湯を入れて戻ってきた。そっぽを向いたタギの後ろでランは体を拭いた。体を拭き終わって、服をもう一度きちんと着てからタギの側に寄ってきた。


「タギ、あなたも拭いてあげましょうか?」

「ん?」


 タギが怪訝な顔をした。タギには唐突な申し出だった。


「良かったら体を拭いてあげましょうか?もう一杯湯を貰えると思うから」


 それから声をひそめて、


「ヤードローが私のことを娘だと言って、タギのことをその婿だって言ったでしょう?だからそれらしくした方がいいかなと思うの」


 俯いたランの顔が耳まで赤くなっていた。体の中から火を噴くかも知れないとランは思った。ヤードローが、タギをランの婿だとクルディウムの人たちに紹介したときも、どきどきしていた。それはときめきといっても良かった。

 タギも声を落として答えた。


「そうだね、頼もうかな」

「うん」


 ランは嬉しそうに頷くと、また部屋を出て行った。そしてもう一度湯を貰ってきた。

 タギは上半身裸になった。ランの目には贅肉どころか必要な肉さえついてないように見えるやせた体だった。以前見たことのある兄たちの体―首も腕もあきれるほど太くてたくましかった兄たちの体に比べると華奢といってもいいような体だった。それでもそれは成長途上の骨の細い少年の体ではなく、大人の、男の体だった。胸にも背中にも多数の傷跡があった。地図のように引きつれた傷もあったし、切り傷もあった。

こんなに痩せているのに、それにこんなに怪我の跡があるのに、重い荷物を持って、あんなに早足で歩くんだわ、タギは。ランは胸を突かれるような思いを持った。椅子に座ったままのタギの体をランが丁寧に拭いていった。貴重品を扱うように丁寧に丁寧に、タギの体を拭いていった。拭いたばかりの背中にランが唇を当てたのをタギは感じた。長い間、ランはタギの背中に口づけしていた。


「タギ、ごめんなさい、あとは自分でしてくれる?」


 やっとタギにもたれていた姿勢から立ち上がってランが言った。タギの下半身にまで手を伸ばす勇気はなかった。




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