第11話 撤退 1章 ラスティーノ 1

「あれは何だ!?」


 森を見張っていた男が素っ頓狂な声を出した。男が指さす方向に、浮かんでいるものがあった。はるか彼方に点のように見えるそれらは、その距離を考えれば今まで見たことのないほどの大きな、“空を飛ぶもの”であった。ようやく白み始めた空を背景に二つの大きなものが北の空を飛んでいた。


「近づいてくる!」


 別の男が叫んだ。その声は悲鳴に近かった。


「ウルバヌス様に知らせるのだ!きっとあれがウルバヌス様の言われた翼獣に違いない!」


 見張りについていた小隊の指揮官の命で、一人がラスティーノの集落の一番高い木に設けられた見張り台からばたばたと駆け下りていった。四人一組の小隊が三人に減った。指揮官は笛を鋭く鳴らした。短く断続して三回、続いて長く二回、警戒の合図であった。


「鉄砲を用意しろ!」


 最初の驚愕から立ち直ると、マギオの民の戦闘準備は速かった。指揮官の命令で二人の男達は鉄砲を取りだし火薬を詰め弾を込めて、火縄の準備をした。近づいてくる二匹の翼獣に対して鉄砲を構えた。

 集落に駐屯している民が目覚めるのが分かった。大きな音がするわけでも、多くの男たちが走り回る訳でもないが、集落内の民の気配が鋭い緊張を帯び始めた。大声を出す者もなく集落に駐屯している男達の戦闘準備が整った。

 “飛ぶもの”はみるみる大きくなって、見張りのマギオの民にもその形が分かるようになった。マギオの民の眼に判別できるようになったそれは、長い尾と、鋭い爪を生やした四肢を持ち、明らかに鳥とは異なる形態を持っていた。翼を持つ獣、翼獣と称されることが理解できる形態だった。翼獣の背に人の形をしたものが一匹ずつ乗っていることが見分けられるほど近づいたとき、ウルバヌスが見張り台へ駆け上がってきた。“飛ぶもの”を一目見るなり、叫んだ。


「あいつだ!」


 それは、セシエ公のランドベリ館の門の前で見た翼獣に違いなかった。暗闇の中でほんのわずかの時間見たに過ぎなかったが、ウルバヌスが見間違うはずもなかった。ウルバヌスは見張り台の手すりにつかまって身を乗り出した。鋭い目で翼獣とその背に乗るものを見つめた。

日の昇った空が急速に明るくなった。

 翼獣の背に乗っているもの達が身動きしたのが見えた。こちらに向かって手を突き出している。


「伏せろ!」


 ウルバヌスが命じたが、その声にすぐに反応したのは小隊の指揮官だけだった。二百ヴィドゥーほどに近づいていた二匹の翼獣が左右に分かれた直後、翼獣の背に乗ったものから青い光条が、何本も続け様に見張り台に向かって奔った。その光条はウルバヌスの声に反応するのが遅れた二人のマギオの民を貫いた。二人の男は悲鳴を上げながら見張り台から落ちていった。

 翼獣が左右へ逸れて、一旦集落から遠ざかる方向に飛んで行ったのを見てウルバヌスは見張り台を駆け下りた。駆け下り際に厳しい声で命じた。


「おまえはここに残れ!森の方をよく見張っているのだ。フリンギテのやつらが襲ってくるかも知れない」


 小隊指揮官の男は頷いた。彼の小隊はなくなってしまったが、彼に科せられた任務はまだ終わっていない。

見張り台の設置された木から下りたウルバヌスは大声でマギオの民に命令した。


「ケルス、マゴーネの小隊は空を警戒しろ、翼獣がまた襲ってくるぞ!おさの館の屋根に登れ!他の小隊は柵に詰めて森を警戒しろ」


 集落の周りを取り囲む柵にマギオの民の男達がとりついた。元々あった柵を補強したものだった。柵の外に広い場所が開けていた。開けた場所の向こうに鬱蒼とした森が黒々とうずくまっている。森に向かって鉄砲を構えた。

 マギオの民がラスティーノの集落を落として最初にやったことは、集落の周りの木を切り倒して、鉄砲の有効な空間を作ることだった。ラスティーノの集落はまだ黒森の入り口だったから木もそれほど密生しておらず、森の奥で同じ作業をするよりずっと楽だったが、それでも思い通りの空間を作るのに三日かかり、フリンギテ族の逆襲にやっと間に合ったのだ。それ以来その場所はマギオの民とフリンギテ族の戦いの場になった。多くのフリンギテ族の男達が鉄砲の餌食になり、空しく死んでいった。

 柵にとりついた男達とは別に、十人ほどの男達が、集落で最も大きく、背の高い長の館の屋根に登った。屋根に伏せて空に向かって警戒態勢をとった。

 翼獣は大きく旋回して、再びラスティーノの集落の方を向いた。今度はかなりの高度を保ったまま真っ直ぐつっこんできた。集落の上空を通り過ぎるときに空に向かって何発もの鉄砲が発射されたが、当たったものはなかった。翼獣の背からも何条もの光条が集落に向かって奔り、マギオの民の一人を殺し、三人を傷つけた。


「ウルバヌス様!鉄砲が届きません!」

「くそっ!もっと近づいてきたら撃ち落としてやるのに」


 マギオの民は歯ぎしりをしたが、実際にはそんなことは無理だった。彼らは空を飛ぶものを撃つ訓練などしていなかった。彼らが慣れているのは地を駆ける者を撃つことで、空中を三次元で飛ぶものを撃っても当たる筈などなかった。翼獣が鉄砲の有効射程に入っているかどうかも分からなかった。







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