第3話 侵攻 1章 報せ 1
アルヴォンの雪が消える前に、タギはできるだけの足ごしらえをして西ニア街道に入った。ダロウから手に入れた馬が役に立った。サナンヴィー商会で買った雪道用の荷物を乗せてもびくともしない頑丈な馬だった。
馬の背に荷物を括り付けているタギにヨヒムが話しかけた。
「本当にもう出かけるのか?まだ荷も集まってないんだぞ。雪のなかで立ち往生するだけだと思うがな」
「あの山の中腹に・・」
タギははるかに見える、アルヴォンの西峰で最も高いタムシャップ山の山腹を指しながら答えた。
「羽を広げた鳥の形に雪が残っているだろう?」
ヨヒムが頷いた。確かにそんな形に見える。
「あれが十日もすれば、首と片羽の部分が融けて牛の首の形になる。それだけ雪が融ければ西ニア街道は
南カンディア街道の方が早く通れるようになる。それがタギがこの時期に無理をして出発する理由だった。
「ニアまで行ってどうするんだ?荷も持たずに行っても金にならないぞ。それこそもう少しすれば荷も集まる。それから出かけても遅くはあるまいに」
ヨヒムは親切で言っているのだ。人のいい男だった。
「その荷のことだが、しばらく受けないほうがいいとザガロスさんに言っておいてくれ。ニア街道は通せなくなると」
ヨヒムがいぶかしげな顔になった。
「どういうことだ?」
「半月もすればいやでも分かる」
「それがタギがこんな時期にアルヴォンに入るのと関係あるのか?」
「そういうことだ」
納得いかない表情のヨヒムを残してタギは西ニア街道に足を踏み入れた。通常ならギルズまで一日、ギルズからナブキアまで一日だったが、さすがに雪の残っているニア街道は難物で、ギルズに着くまでに夜になった。タギは雪洞を掘って夜を明かした。そのための用意もしてきた。さすがにこの時期にはまだ野生動物の活動も鈍く、それほど警戒しなくてもいいことだけはありがたかった。浅い眠りを取ることができた。次の日の午前中にギルズに着いた。
ギルズは門を閉めていたが、タギは木の棒で思い切り門をたたいた。静まりかえった雪山に高い音が響いた。ある程度時間をあけて三度叩いたとき門の上から男が顔を出した。タギをよく知っている男だった。
「タギじゃないか、こんな時期にどうしたんだ?」
「ムルゾ!やっと気づいてくれたか。門を開けてくれ、話がある」
「ちょっと待っててくれ。長老に許可を得てくる」
この時期は門を閉めておく決まりだった。山人たちはもう動き回っているが、必要なときだけ門を開け閉めするだけだった。ムルゾの判断だけでは門は開けられないらしい、とタギは考えた。しばらく待たされてから門が開いた。
ギルズは長老たちの合議制で運営している町だった。門を入ったタギは長老の誰かに会わせてくれるように要請した。
「パヴィオス殿なら一番いいが、誰でもいい。とにかく長老に話がしたい」
門のすぐ内側の見張り小屋でしばらく待たされた。閉めきりで冷え切っていた小屋にムルゾが火を持ってきてくれた。小さな鉄製の缶に木をくべて燃やしている。山人たちが山中で火を焚くときに使う道具だった。
「いったいどうしたっていうんだ?こんな時期に」
見張りをかねて小屋に残ったムルゾが訊いた。この時期は門を開けない決まりだったので、臨時に町内に入れた人間については見張りを付けることになっていた。
「どうせムルゾもすぐに知ることになると思うが、まず長老に話してからでないと、話せない」
ムルゾは別に気を悪くした様子もなく頷いた。
一刻ほど待たされて、タギは町の奥部に通された。アルヴォン山中の町では旅籠などがあって客が滞在し、ふつうの住民が住む部分と、町の有力者の住居があり、町庁舎がある中枢部分とが分かれていて、その間にも門がある。外部の人間は内門を通るときに武装解除される。長剣、槍、弓、鉄砲は持ち込めない。持ち込めるのは、刃が肘より先の手の長さよりも短い剣だけだった。タギのナイフはかろうじて持ち込める長さだった。
タギは町庁舎の通常長老会議が開かれる広い会議室に通された。五人の長老のうち四人がそろっていた。長老の頭であるパヴィオスもいた。
「タギ、おまえの要請だから、異例ではあるが長老会議を招集した。この時期におまえが現れるくらいだから、何かとても重要なことだろうと思うからだ」
五年間アルヴォン飛脚としてニア街道を往復しているタギは、ニア街道沿いの町ではよく知られた存在になっていたし、ついでにいろいろ持ってくる情報や品物は、山人の間でも評価されていた。
「どの程度重要かはアルヴォンの人々が決めることだ。ただ私は早めに知らせた方がいいと考えた。私の知らせたいことはつまり、セシエ公がニア街道を抑えたいという意向を持っているということだ」
「なんだと?」
何人かの長老が声を揃えて聞き返した。
「ある経路でセシエ公が、ニアの町を支配下におくことを考えているという情報を得た。雪解けとともに南カンディア街道を通って、ニアへ軍を出すとのことだ。それでカンディアへ行って探ってみると、情報通り、セシエ公の軍が集結していた。目的地もニアだというもっぱらの噂だった」
「まさか。アルヴォンにけんかを売るつもりか?セシエ公は」
「どの程度確かな情報なのかな?タギ」
パヴィオスが訊いた。信じたくないという気持ちが表情と口調に表れていた。タギが全く動じることなく答えた。
「セシエ公から直接聞いた訳ではない、またニア方面軍の司令官は公の親衛隊のサヴィニアーノのようだが、そいつから直接聞いた訳でもない。しかし、カンディアに軍を集結させて、他のどこを狙う?」
「どれくらいの規模の軍なのだ?」
「町に散らばっている兵士の数を数える訳にはいかなかったが、最初に訊いた情報では一万ということだった」
「一万!」
集まっていた四人の長老が息を呑んだ。すぐにがやがやと仲間内で話し始めた。まさかそんな、とか、どの程度信用できるのか、とか、信じたくない気持ちを表面に出したざわめきがひとしきり続いた。
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