第20話 ランとタギの日々 其の二 1

 ランは日が昇る少し前に目を覚ました。薄いかけ布団をかぶったまま左隣でまだ目をつぶっているタギを見つめる。タギの右腕をとるとぎゅっと抱きしめて、裸の胸をタギの右の上腕に思い切り押しつけた。暖かいものが体中に満ちる。タギの頬に軽く唇を当ててから思い切りよくベッドから降りた。いつまでもタギにしがみついていたいが朝は忙しい。手早く服を着ると、小さな鏡を頼りに櫛を入れ、音がしないように気をつけてドアを開け、部屋の外へ出た。階段を降り、中庭に出て、井戸の水をくんで顔を洗った。水鏡で軽く唇に紅を刷いた。厨房に入って、髪を布で押さえ、エプロンを身につけた。ランが身支度を終える頃に、通いで宿の仕事を手伝いに来るアンナが厨房に入ってきた。


「おはよう」

「おはよう」


 アンナも手早く髪押さえとエプロンを身につけるとかまどの前にしゃがみ込んで火を付け、湯を沸かし始めた。ランは野菜を切り始めた。女将のマルシアが入ってきた。


「おはようございます」

 ランとアンナの挨拶の声が重なった。

「おはよう、今日の客は十一人だからね」


 マルシアと亭主のデガルド、タギとラン、アンナも入れて全部で十六人分を用意すれば良い。いつの間にかタギとランは客の数の中に入れられなくなった。


 タギとランは『蒼い仔馬亭』に長期滞在していた。宿代は仕事を手伝うことで相殺するという条件だった。ランは喜んで宿の仕事をしていた。料理も洗濯も、ベッドメイキングもこれまで身につける機会がなかった。妻としてタギのために食事を作り、身の回りを整えてあげたかった。マルシアの申し出はまさに渡りに舟だった。今ではいろんな料理ができるようになった。タギはおいしいと言って食べてくれる、それが嬉しかった。タギも主に力仕事を引き受けていた。建物の補修、水汲みと水運び、薪割りなどだった。小柄なくせに水のいっぱいに入った水桶を軽々と井戸から台所まで運んだ。最近腰痛で重いものを持つのが苦手になったデガルドが喜んだ。建物の補修でも身軽に高いところに上り、器用に大工道具を使った。特に薪割りは亭主のデガルドがびっくりするほど要領が良かった。大して力を入れているようには見えないのにタギが薪割り用の鉈を振るうと、実にあっけなく太い木が割れるのだ。デガルドが思わず見ほれるほどだった。


「便利だね、タギは」


マルシアの述懐だった。


「もっと早くから手伝いをしてもらうようにしてれば良かったかね」


 宿の身内扱いされると、客と一緒に食事をするわけには行かない。客達が食べ終わるのを待ってタギとランはテーブルに着いた。アンナも一緒だった。朝食にはメニューを見て選択するような贅沢は許されない。基本的に、熱を通したハムかベーコン、卵料理、野菜を主に肉の切れ端を入れたスープが個々に提供され、黒パンとゆでたジャガイモが一つ盛りにされて自由にとることができる。今日の卵料理はベーコンエッグだった。マルシアとデガルドはチェックアウトなどの処理のためまだ朝食にありついてない。


「アンナ、今日はランを森に連れて行くから」


 食べ終わって、タギはアンナにそう告げた。


「ヤードローの猟を手伝うことになっているから。それにランが野菜料理を作る約束をしている」


 ランが軽くアンナに頭を下げた。


「ごめんなさい、今日はお手伝いできなくて」


 アンナが人の良さそうな笑顔を浮かべて、


「いいわよ、行ってらっしゃい。好きな人とお出かけなんてうらやましい限りね」


 ランが真っ赤になってそれでも嬉しそうに頷いた。


 タギは四~五日に一度ヤードローが森番をしている森へ出かけている。ヤードローの猟を手伝うのだ。森番として、ヤードローは人や家畜を襲う可能性のある獣を間引く仕事を負っている。タギとランと一緒にシス・ペイロスに出かけたため、今年はそれがはかどっていなかった。その義理もあってタギが手伝うことにしたのだが、熊や狼、狐の毛皮はいい値段で売れたし、ついでに狩る鹿や兎の肉は「蒼い仔馬亭」に提供するだけでなく、肉屋にも売れた。ヤードローと折半だったが、アルヴォン飛脚を休んでいるタギにとってありがたい収入だった。いつシス・ペイロスへの遠征について行かなければならないか分からない立場では、往復で一ヶ月以上かかるアルヴォン飛脚をするのは無理だった。何度かレリアンのサナンヴィー商会から打診があったが断ってきた。

 ヤードローにとってもタギの手伝いは有り難かった。追う者と待ち伏せる者を用意できれば狩りの効率が違ったし、一人では手を出せないような大物もタギと組めば仕留めることができた。


「熊を短剣一本で仕留める奴なんて初めて見たぜ」


 これまでの一番の大物は立ち上がれば三ヴィドゥーになろうかという灰色熊だった。それをタギは先を尖らせた鉄の棒で両目を潰してからナイフで首を搔き切ったのだ。首を半分ほど切られて出血多量で死んだ熊の骸を見て、ヤードローが唖然としていた。この熊の毛皮はその大きさと傷の少なさで結構な値で売れた。

 いざとなればと思っていつも携行していたが、レーザー銃を使う必要のある状況になったことはなかった。





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