第3話 侵攻 2章 陥落 2

 次の日、タギはギルズからの先遣隊五十人と一緒に出発した。残りの五十名は荷駄隊を連れて遅れて出発することになっていた。先遣隊はヴェテランが中心でナフェオスは入っていなかった。ナブキアまでの西ニア街道は比較的通りやすい街道で、全員が騎乗した先遣隊はその日の午後早くにはナブキアへ着いた。タギはナブキアの前を素通りしていく先遣隊の半分と一緒にテッセへ向かった。その夜は野宿になったが、アルヴォンの山人たちは慣れていた。次の日の昼前にはテッセに着いた。

 テッセは既にニアへの援軍百二十名を送り出したあとだった。町は閑散としていた。

 タギは『青山亭』の扉を開けた。誰も迎えてくれなかったので、そのまま食堂まで入っていった。暖炉の前のテーブルにぼんやりとカティーが座っていた。


「カティー?」


 カティーが振り向いた。頬に涙のあとが見える。あわてて袖口で顔をぬぐって立ち上がった。


「タギ?どうしたんだい?いまごろ。もう今年の飛脚商売を始めたのかい?」

「違うよ。今年は飛脚商売ができそうもないから挨拶にきたのさ。でも何かあったのかい?」


 タギはカティーの涙のあとをいぶかしげに見ながら尋ねた。長いつきあいの中でカティーが泣いているのを見るのは初めてだった。


「ウルススが、あの馬鹿、ニアへ行っちまった。わざわざ自分から志願してさ。もう五十を越えてんだから無理する必要なんかないのに」

「ウルススも血の気が多いからな。それに若い者だけじゃ頼りなく見えるんだろう」

「そう言ってたよ。『あんな若造ばかりじゃどんなへまをしでかすか分からないじゃないか。ちゃんとわけの分かった大人がついて行かなきゃ駄目だ』って。全く男ってのはいくつになっても大人にならないんだから!」


 ウルススを加えたテッセの部隊は二日前に出発したという。今頃はアザニア盆地に入っているだろう。


「付いて行きたかったんだけど、ターシャがいるからね。いくら何でも十一で戦場へ連れて行く訳にも行かないし、置いていくなんて言ったらこっそり付いて来かねない子だから。ウルススがターシャと一緒におとなしくしてろって。いい気なものよ」


 タギは苦笑した。確かにターシャなら一人でおとなしく留守番をしているなんてことはしないだろう。


「昨日まではね、それでも気が張っていたんだけど、がらんとした部屋で座っているとなんだか急に心細くなってね、みっともないね」

「そんなことはない。家族を戦に出すのは誰でもつらいものだよ。それにカティーはウルススと離れて暮らしたことなんかないんだろう?」

「家が近所だったからね、小さい頃からいつもウルスス兄ちゃんにくっついて歩いてたよ。この前の戦のときはまだターシャがいなかったからね、一緒に戦場を駆け回ったよ。いやだね、一人でいるってことがこんなに心細いものだとは思わなかった」


 カティーは何かを振りはらうように首を振って立ち上がった。エプロンで手を拭いた。


「タギはどうするんだい?あんたにはセシエ公の軍と戦う理由はないんだろう?」

「まあそうだけれどね。アルヴォンの中で山人やまびとたちの役に立つとも思えないし、あんたたちに挨拶したら引き上げようと思っていた。だけどとりあえず今晩泊めてくれないか?」

「今年初めての客だね。ひょっとしたら最後の客かも知れないけれど」


 確かにそうなるかも知れなかった。しばらくニア街道をたどる旅人はいなくなるだろう。

 裏口からターシャが飛び込んできた。顔色が変わっている。


「カティー!カティー!ニアからドナティオたちが帰ってきたよ!なんだかひどい様子だよ!」


 カティーも顔色を変えて立ち上がった。スカートをつまんで少し引き上げて、ものも言わず表へ駆けていった。ターシャも続けて駆けていこうとしたところへ、


「ターシャ!」


 タギに声をかけられて、ターシャは初めてそこにタギがいるのに気づいた。


「タギ?こんなところで何してるの?」

「いや、カティーに挨拶にきたのさ。それより、ドナティオってのは誰なんだ?」

「ツェンテス家の一人よ。十日ほど前にテッセの人たちと一緒にニアへ行ったの」

 ツェンテス家というのはテッセを支配している一族だった。当主はガリオ・ツェンテスといった。十日ほど前というと、タギの知らせた情報を持って、ナブキアから人がニアに向かったときだ。途中テッセに寄ってその情報を知らせて、テッセからの人間も加えてニアへ向かったのだろう。

 タギとターシャは『青山亭』の玄関に出た。宿の前の道を十人ほどの男たちが通りすぎるところだった。あれほどひっそりしていた町にたくさんの人が出て彼らを見ていた。

一行の中の三人の男が怪我をしていた。服に血がにじみ、一人は顔に包帯を巻いていた。それでもできるだけ毅然とした様子で馬に乗っている。護衛するように無傷の男たちがその周りを固めている。


「ウルススと一緒に出発した人たちもいるわ。怪我をしているのはドナティオと一緒に行った人たちだけど」

「途中で出会ったんだろう。怪我をしている人の護衛に何人か付けて、ウルススたちはニアへ行ったんだ」


 顔に包帯をしている男がふらっと馬から落ちた。周りから悲鳴が上がり、何人もの女や男たちが駆け寄った。それを合図にしたかのように周りで見ていた人々が、ニアから帰ってきた一行に駆け寄った。何があったんだ、いったいどうしたんだという質問が飛び交った。先頭を進んでいた男が、右腕に血をにじませていたが、その腕を上げて町の人々に言った。


「まず議会に報告しなければならない。少し待って欲しい」


 人々が静まった。心配そうな表情は変わらなかったが、口々に質問するのは止めた。馬から落ちた男が戸板に乗せられて運ばれて行った。人々に見送られながら一行は内門を通り、町の中心部へ入っていった。町の人々もその後についてぞろぞろと内門を入っていった。成人に達しない子供たちはしばらくそれを見ていたが、やがて思い思いの方向に散っていった。

 ターシャがささやき声で教えた。


「あれがドナティオよ。ガリオ・ツェンテス様の長男で、跡継ぎよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る