第4話 再会 5章 新しい日々 2

 タギの足が止まった。ファビア街道が見える小高い丘の上に出ていた。木立の中を細い道がうねうねと続いていた。木に馬をつないで、木立の間から南を見回した。見渡す限りの緑豊かな沃野だった。牧場と、畑が延々と連なり、数軒から数十軒の集落が林と一緒に点在していた。その中をファビア街道が東西に走っていた。

 そして、今―

 ファビア街道を巨大な蛇のように切れ目ない大軍勢が西に向かっていた。


「ご覧」


 タギがその軍勢を指さした。二里は離れているだろう。一人一人の兵の区別などつくはずもない距離だった。先頭に騎兵を置き、歩兵が続き、中程にまた騎兵が配置されていた。その騎兵の群れはたくさんの旗を立てていた。その後に荷駄の隊が長い長い列を作っていた。殿しんがりにまた騎兵がいた。全体がざっざっと音が聞こえるような小気味よいリズムで進んでいた。騎兵の鉄製の兜が、彼らが持っている長槍が日の光をきらりきらりと反射している。


「これで見てご覧」


 タギはランに双眼鏡を渡した。使い方を教えてやる。教えられたとおりにランは双眼鏡をのぞいた。


「!」


 声にならなかった。あれほど遠くのものがこんなに近く、くっきりと見えるなんて!


「中程の騎兵の集団がたくさんの旗を立てているだろう。旗に囲まれて一騎、上下真っ黒の鎧を着けている騎士が見えるかい?」


 ランは双眼鏡を軍の列に沿って動かした。最前列の騎兵から、歩兵の群れ、そして中程の騎兵、一人一人の顔が見分けられるかと思うくらい近くに見えた。


「見えたわ」


 上下の鎧とも真っ黒の騎士だった。乗っている馬も真っ黒だった。


「あれがセシエ公だ」


 ランが息をのんだ。乗り出すようにして双眼鏡を持ち直した。遠すぎて体格がよく分からない。しかし騎乗している黒馬は、周りを護衛している騎士たちの乗馬よりも一段と体格の優れた馬だった。その馬に乗っているセシエ公もその馬に負けないくらいに良い体格をしていた。

 兜を脱いだセシエ公は濃い金髪を長く伸ばし、後ろで一つにまとめていた。顔の下半分が髪より濃い色の髭に覆われていた。姿勢良く馬にまたがり、まっすぐに前を見ていた。


「幾つくらいなのかしら?」


 声にしたつもりはなかったのにタギに聞こえたらしい。


「四十一かな、二かもしれない。それくらいだと思う」


 タギは双眼鏡を使っているわけではなかった。それでもこんな遠くから人を見分けることができるのかしら、ランには不思議だった。

 二人が見ているうちに、軍勢の先頭が南に方向を変え始めていた。


「どこへ向かっているのかしら?」

「アンダルの方向だな。確かカーナヴォン侯爵領の東の境界に砦があるはずだ」

「そう言えば叔父様がおっしゃってたわ、カーナヴォン侯爵がアンダル砦へ向かったって」

「あの軍勢は約一万ってところかな。セシエ公が率いてきたのは一万二千、二千をカーナヴィーの後始末に残してアンダル砦へ向かっている」


 ランは双眼鏡を目から離して、タギへ返した。肉眼で見る方が全体が見える。恐ろしい偉容だった。父が、アペル伯が総動員して六千、あの軍勢より少なかったのだ。


「父様・・・」


 戦わずに降伏することはできなかったのだろう。父はなにより名誉を重んじる騎士だった。それに戦って勝つ自信もあったのではないか。


「アペロニアの騎兵は王国一だ。一対一ならもちろん、一対二でも簡単に負けるものじゃない」


 そんな父の言葉を聞いたことがあった。兄様たちもその言葉にうなずいていた。


「セシエ公の戦いは全く違う。騎兵は攻撃力としては無用の長物になる。私がそれを身をもって思い知らされる立場になるとは思わなかったが・・」


 セシエ公との野戦に敗れた後、城へ戻って呟いておられた言葉だった。その後部下たちを集めて、逃げたいものは逃げろ、戦いはもう決着がついたと言われた。それでも半数以上の兵士は残り、アペル城に籠もって抵抗した。城壁の一方が深くて広い渓谷に囲まれ、もう一方が急峻な崖の下にあって鉄砲がそれほどの威力を発揮しなかったから、マクセンティオの裏切りまで十日近く粘ることができた。それでも最後には抵抗しきれなくなることは分かっていた。


「行こう」


 タギが優しくランの肩を押した。じっと軍勢を見ていたランははっと気づいたように頷いて歩き始めた。

 父様も母様も、兄様たちもいなくなってしまった。いつも側にいてくれたゼリも、カニニウスも。私一人で生きていくのはつらいと思い始めていた。でももう少し生きていけるかもしれない。そう、少なくとももうしばらくは。


 しばらく“護るべき”者がいなかった。それはそれで気楽だったが、自分はやはり“護るべき”者がいなくては生きていけないのかもしれない。久しぶりに“護る者”としての緊張感が体を満たしている。それが心地よい。自分はそういう生き物らしい。

 だから、―ランに感謝しよう。


 二人はゆっくりと歩いていった。これまでと違う明日に向かって。

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