第4話 再会 5章 新しい日々 1

 タギはまっすぐにランを見た。ランは少し見上げるかたちでタギを見ている。しばらく沈黙が続いた後でタギが口を開いた。


「ランがフィグラトへ行きたくないことは分かった。ランの考えは無理もないと思うよ。はっきり言って、フィグラトでダシュール子爵がどれくらい抵抗できるか疑問だしね。そこへランを連れて行ってもまた負ける戦いの中に行くことになる」


 カーナヴォン侯爵家の総力を挙げてもセシエ公に一蹴された。ダシュール子爵の優先度はカーナヴォン侯爵に比べて低いだろうが、見逃されるとは思えない。遅かれ速かれセシエ公の獲物の一つになるだろう。そうなればランはまた負け戦の中で逃げ惑うことになる。そのときにまたタギがランを助けることができるかどうか分からない。

 しかしランには分かっているのだろうか?タギと一緒に暮らすことの意味を。


「・・・でも私と一緒だと、これまでと全く違う生活になるよ。私は定まった家も持っていない。いつもあちらこちらをうろうろしている。私と一緒だとランも何もかも自分でしなければならないし、きちんと食事をとれるかどうかも分からない。ひもじいままで寝なければならないこともあるかもしれない。服だって贅沢はできない」


「分かっている・・つもりです。今までそんな生活をしたことはないけれど、覚悟しているつもりです。それに戦の中を逃げまどうよりずっとましだと思うわ」


 特にタギと一緒なら、という言葉はさすがに口には出せなかった。


「お金はしまっておきなさい。ランのお金だから。―さてすぐにフィグラトへ行かなくていいとなったら、どうしようか?」

「タギ!いいの?しばらく私の面倒を見てくれるの?」


 ランの表情がぱっと明るくなった。


 タギは笑顔になったランを見ていた。いくらか苦い気持ちが混ざっていた。

 また“護るべき”者ができてしまった。今まで一度だって“護るべき”者を護り通せたことがないのに。タギは“護る者”として生まれた。市民を護り、市を護り、人類を護るのだ、といつも言われた。そして一度もその役を果たすことができなかった。

 セシエ公がニア占領に手を焼いているのに、アルヴォンの山人との小競り合いが未だ続いているのに、もうカーナヴィーを攻撃すると聞いて、そしてカーナヴィーにランがいることを考えて、たまらなくなって出てきたのだ。出てくれば、ランと出会えばこうなる可能性があることは十分分かっていたはずだった。“護るべき”者を護り切れたことがない自分にランが係わってくるかもしれないことは。

 でも、と思う。今度は違うかもしれない。少なくともカーナヴィーは脱出できた。ランは怪我もしていない。今度は違うかもしれない・・・・今度こそは・・。

タギはランの両肩に手を置いた。まっすぐにランの眼を見つめた。ランもタギの眼を見つめかえした。言うべきことはきちんと言っておかねばならない。


「ラン。私はおまえを護るためなら闘う。アルヴォンでやったように、そしてカーナヴィーを逃げ出すときにやったように。でも、アペル伯爵家を再興するためにとか、セシエ公を倒すためにとかいう理由では闘わない。それだけは分かっていて欲しい」


 この世界の動乱に関与するつもりはない。その気になればセシエ公を殺すことくらいできるだろう。それだけの能力をタギは持っている。


「はい、タギ」


 ランにとってタギの言うことは意外ではなかった。タギは“アペル伯爵の娘”を助けたのではない。そんなことを知る前から助けてくれた。だからタギの言うことは当然だった。ランにとっても。

 ランの眼が突然いたずらっぽく輝いた。


「ねえ、タギ。昼間、タギが川で魚を捕ったとき、タギが見えているのにまるでそこにいないように感じられたの。なんだか木か、岩が流れの中に立っているような気がしたの。あれ、どういうふうにしたの?私にもできるかしら?私にもできるのだったら教えてくれないかしら?」


 タギはちょっとびっくりして、目を丸くした。それから少しの間考え込んだ。ランは頭のいい子だ。これ以上アペル伯爵家云々の事情にふれていたくはないということをこんな話題に転じることで意思表示したのだ。そしてこのことについてラン自身もタギと同じように思っていることも。


「そうだね、できなくはないと思うけれど、そう簡単ではないよ。教えてあげてもいいけれども最後までできるかな?」

「私、結構頑固なの。一度決めたら途中で投げ出したりしたことはないわ」

「そう。じゃあ教えてあげよう。ランがある程度気配を消すことができるようになったら私も助かる」


 夜が更けていった。たき火の炎が風で踊っていた。ランの心も踊り出しそうだった。


 タギとランは小屋に四日滞在して、森を出た。タギの足の痛みはなくなっていた。腕の傷もふさがっていたし、手のひらのやけども軽い色素沈着を残すだけになっていた。タギは傷の治りが人より速い。


「おいで、ガント」


 ランはタギの連れていた馬を四日間世話している間に名前を付けた。今もランが馬の手綱を引いていた。

 ファビア街道から離れた細い道はなだらかな起伏を上下し、林に入ったり牧場の端を通ったりした。緑の濃い季節だった。急ぐ必要のない道行きだった。

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