インテルメッツォ 5

 タギは手押し車から手を離してドアをノックした。返事を待たずにドアを開けて部屋の中に入った。小さな蝋燭を一本ともしただけの薄暗い部屋の中に、男が一人ぽつねんと椅子に腰掛けていた。部屋の薄暗さに合わせてわざとぎこちなくゆっくりと、部屋の中に一つだけ置いてあるテーブルに近づくと、手押し車に乗せてきた夕食をその上に置いた。ぼそぼその黒パンと水、鉄製の鍋に入れたごった煮だった。

 部屋の中に一人だけ座っていた男はテーブルの上に並べられた粗末な夕食を無表情に見ると軽く頷いた。空になった手押し車を押して部屋を出ようとしたタギは、近づいてくる足音に気づいた。今この部屋に好んで近づこうという人間は少ない。だとすれば誰の足音かは明らかだった。部屋を出た辺りでぶつかるなと思いながら、タギは何も気づかないふりでドアを開けた。手押し車ごと外へ出たところで予想通り、二人の男と顔を合わせた。軽く頭を下げるタギの横を通って二人とも部屋の中に入っていった。タギが雑用をするために付けられているマギオの民の男達だった。部屋の前ですれ違った男達のうちの一人が、三人いるマギオの民のリーダーで、ウルバヌスといった。三人の中で一番若かったが、タギの眼からも三人の中で一番腕の立つ男だった。憤然とした様子で部屋の中に入っていく男達の気配を背に感じながら、タギは手押し車を押して厨房へ戻った。


 タギはそのときグルターヌ男爵の軍に小者として雇われていた。グルターヌ男爵は領地の境界線を巡って、隣接するアンダヌス子爵と争っていた。先代から帰属を巡って争っているところで、どちらも譲らず結局実力で決着を付けることになった。

 小さな戦でも人手はいくらあっても足りない。やせっぽちで剣を取って戦うこともできないと思われたタギも、小者として雇われた。荷を運んだり、料理の手伝いをしたり、幕舎をたてたりしているうちに、マギオの民の雑用をするように命じられた。タギは別に嫌な顔をもせずに言われたことをした。グルターヌ男爵勢の中にいる騎士や兵達がマギオの民を嫌っていることはよく分かっていた。しかしタギ自身も新参者だったし、グルターヌ男爵勢の中でごく軽く見られている立場だったからそれほど気にしなかった。それでも同じ小者の中で親しくなった男が、顔をしかめてあんなやつらの側になど寄りたくないと言ったのを聞いた。

 マギオの民は他の男達と交わらなかった。タギが食事を運んでいくと必ず誰か一人は部屋にいた。タギに声をかけるわけでもなく、無表情にタギのすることを見ているだけだった。他の雑兵のように酒を呑んで騒ぐこともなく、料理の味にも文句を付けなかった。必ず留守番役を残してひっそりとどこかへ出かけ、ひっそりと帰ってきた。一人一人の腕は、グルターヌ男爵勢の中の腕自慢の騎士や兵が、どれほど躍起になってもとても敵わないだろうとタギは見ていた。名乗りを上げての正々堂々の戦いだけが戦いではないことを、タギはよく知っていた。正々堂々の戦いなら、あるいはマギオの民に勝つ騎士がいるかも知れないが。

 汚れ仕事のために必要なやつらだができれば眼にしたくないやつら、というのがグルターヌ男爵勢の中でのマギオの民の扱いだった。

 その雰囲気ががらっと変わったのは四日前だった。緒戦を優勢のうちに進めて、これならかなり有利な条件で和睦に持って行けるだろうとグルターヌ男爵が上機嫌に重臣達に話した夜だった。グルターヌ男爵が急死したのだ。急に胸を押さえて痛みを訴え、冷や汗を浮かべて転げ回ったあげく、ころっと死んでしまった。赤ら顔の太った大男で、その最後の様子を聞いたタギは心臓発作だろうと思った。

しかし当然のようにマギオの民が疑われた。味方として雇われていても信用できるものかというのが残されたグルターヌ男爵の長男や重臣達の思いだった。証拠は何もなかった。

 男爵に供される食事は十分に注意されて用意されたし、必ず毒味役がいた。男爵の周囲は常に屈強な護衛が取り巻いていて不審な者が近づくことは出来なかった。マギオの民を側に呼ぶときも護衛達が同席したし、決して五ヴィドゥー以内には近づけなかった。もっともタギは、ウルバヌスや他のマギオの民にとってはそんな護衛などいざというときには何の意味もないと思っていた。彼らがその気になれば護衛がいようがいまいがマギオの民の思うままになってしまうだろう。

 グルターヌ男爵の死をきっかけにマギオの民の扱いが変わった。常に見張りが付くようになったし、食事も騎士用のものから雑兵用のものへ変わった。何よりマギオの民がもたらす情報がまったく信用されなくなった。緒戦を有利に進めていた最大の要因がその情報だったのだが。それどころか、アンダヌス子爵のための逆情報ではないかとさえ疑われた。

 タギは注意深く情勢を見極めていた。グルターヌ男爵が死んでから、上層部の意思統一ができなくなっていた。重臣達と、グルターヌ男爵の長男の意見が合わず、マギオの民のもたらす情報がそれに輪をかけた。もはやその情報は混乱要因でしかなかった。タギは逃げ出す準備を始めた。何食分かの食糧を確保し、アンダヌス子爵勢の動きに注意を払った。

 アンダヌス子爵勢が奇襲をかけてきたのはグルターヌ男爵が死んで六日後の早朝だった。ウルバヌスはその情報を報せていたが信用されず、グルターヌ男爵勢にはまったく準備ができていなかった。

 奇襲に慌てるグルターヌ男爵勢を離れて、タギは囲みを破るべくアンダヌス子爵勢に向かって走った。攻撃が手薄な箇所があるように見えたが、それが罠であることは容易に見抜くことができた。罠の方へ誘われるように逃げていくグルターヌ男爵勢の間を縫うようにタギは走った。囲みを破ろうとするタギの前に立ちふさがった騎士が繰り出す槍の穂先をナイフで切りとばして、タギは残った槍の柄を掴んだ。そのまま手前に引くと重武装の騎士が馬から転げ落ちた。痩せて、むしろ華奢に見えるタギの細い手足は見かけからは想像できない力を持っていた。馬から転げ落ちた騎士はたちまち仲間の馬の蹄にかけられた。落ちた仲間を踏むまいとして手綱を引く騎士や、踏んでしまってバランスを崩す馬で生じた混乱の中をタギは駆け抜けた。駆け抜ける途中でさらに二騎、馬からたたき落とした。

 タギの動きはしかし、勝ちに逸るアンダヌス勢の中では目立たなかった。

混乱の中でマギオの民の三人が同じ方向に囲みを破ろうとしているのにタギは気づいていた。同じようにアンダヌス勢の中を走り抜けようとしていた。小者にしか見えないタギやマギオの民が囲みを破ってもアンダヌス子爵勢は気にしなかった。混戦の中でタギが騎士をたたき落としたことに気づいた兵は少なかったし、タギより重要な獲物がたくさんいたからだ。

 適当な小競り合いのあと、多少の領地をやりとりして治まるはずの戦が、思いも掛けずグルターヌ男爵家の滅亡に変わろうとしていた。


 囲みを抜けて、立ち去ろうとしたタギに後ろからウルバヌスが声をかけた。

「おまえ、いったい何者だ?」

 タギが振り向くと、血の付いた剣を下げ、返り血を浴びたウルバヌスが立っていた。その眼は油断なくタギを見つめていた。ウルバヌスの後ろに二人のマギオの民が立っていた。同じように血の付いた剣を下げていたが、体に付いた血液は返り血だけではなかった。二人とも負傷して、肩で息をしていた。

 タギはウルバヌスに答えもせず背を向けて立ち去ろうとした。その後ろ姿にウルバヌスが短剣を投じた。何日もすぐ側で見ていながら、タギがこれほど腕が立つとは見抜けなかったのが業っ腹で、逃がすものかと思ったのだ。タギは振り向きざまナイフで飛んできた短剣を払った。払われた短剣が狙ったようにウルバヌス目がけて飛んだ。ウルバヌスは危うく身をかわした。

「俺はおまえ達が何者か気にしたことはないぞ、おまえ達も俺のことは放っておくことだ」

 そのままタギは足を速めて遠ざかっていった。その後ろ姿をウルバヌスは呆然と見ていた。タギの後を追い、さらに問いつめるには疲れすぎていた。





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