第7話 レリアンの市 5章 看病 1

 すっかり暗くなってから『蒼い仔馬亭』のドアを開けたとき、タギはいきなり強い口調でマルシアに声を掛けられて驚いた。


「タギ!」


 マルシアの声に咎めるような色合いがあるのにタギは気づいた。わけが分からないながらも少し引いた様な返事になった。


「な、なんだい?」

「どこへ行ってたんだい?嬢ちゃんをほったらかして!」

「どこにって、ちょっと遠くへ行くからランには留守番をするようにって言って出かけたんだよ」


マルシアの声が尖っていた。


「嬢ちゃん、熱を出して寝てるよ!なんかぼんやりしてて、顔が赤いから見てみたらすごい熱で、今ベッドに寝かせているからね」


 息をのんだタギはマルシアに礼を言うことも忘れて階段を駆け上った。その後ろ姿をマルシアがあきれたように見送っていた。二階の部屋の前まで駈けていってそっとドアを開けた。部屋は真っ暗だった。

 ほんの少し灯りがあればタギは周りの様子が分かる。廊下にともされた頼りない蝋燭の灯りが、開けられたドアの隙間を通って部屋に入ったため、タギには部屋の中を見ることができた。いつもランが使っている寝台にランは横になっていた。毛布を肩までかけていて、呼吸運動で毛布ごと胸が上下している。目をつぶって寝ているようだった。

 タギは足音を殺してランの寝台の側まで歩いていった。そっと上からランを見下ろした。額に絞った布が掛けてある。青白い顔をして、頬だけが赤かった。唇が乾いている。息づかいが荒かった。タギは荷物から蝋燭をとりだして、火を付けて机の上に置いた。部屋が明るくなる。ドアを音がしないように気を付けて閉めた。

 タギがランに向かい合うように自分の寝台に腰掛けるとランが目を開けた。できるだけ静かに動いたつもりだったが、タギの動きがランを目覚めさせていた。タギはそっと声を掛けた。


「ラン・・・・」


 ランが顔だけタギの方へ向けた。


「タギ、帰ってきたの?」


 弱々しいかすれ声だった。


「ああ、ランが熱を出しているなんて知らなかったから遅くなってしまった。具合はどう?」

「ちょっとボーっとしてるみたい。それにふしぶしが痛いの」


 ランの顔に疲れたような表情が浮かんでいた。ひび割れた唇が痛々しかった。


「喉が渇いていない?」

「うん、少し」


 タギが枕元にあった水差しを取り上げるともうほとんどからになっていた。タギは水差しを持って立ち上がった。


「水を貰ってくるよ、お腹はすいてない?」

「う~ん、よく分からないの。でもあまり食べられそうもないわ」

「とりあえず食べるものも貰ってこよう」


 ドアの方へ行きかけると、タギがドアをあけるより早く控えめなノックがあった。開けるとマルシアが立っていた。四角い盆を持っていて盆の上には料理と飲み物が乗っていた。タギが部屋に入ってから時間も経っていないから準備して待っていたのだろう。


「食べるものと飲み物を持ってきたよ。あんたも腹ぺこなんじゃないかと思ってね、タギ」

「ありがとう、マルシア。助かるよ」


マルシアはタギ越しに部屋の中をのぞき込んだ。ランが横になったまま顔だけマルシアの方を向いて、少し頷いた。マルシアが安心したような表情になった。


「目が覚めたんだね、ラン。食べるものを持ってきたから、できるだけたくさん食べるんだよ」

「ありがとうございます、マルシアさん」


タギもランの方を振り返りながら、


「水も貰えるかな?それから絞った布を代えて欲しいのだけれど」

「あいよ」


 マルシアは盆をタギに押しつけてランの側に寄った。ランの額においた布を取り上げた。


「じゃあこれも取り替えようかね。さっきより元気そうになったじゃないか」

「ご心配おかけして申し訳ありません」

「気にしなくていいよ、こんな時はお互い様さ」


 マルシアは水差しと布を持って出て行った。

 タギは椅子を持ってきてランの側に座った。机も引っ張ってきてその上に盆を載せた。ランのためにマルシアがパンがゆを用意していた。パンを小さくちぎってスープの中に入れ、軟らかく煮て卵を落としたものだった。タギのためのスープとパン、火を通したハムも載っていた。果物の絞り汁に砂糖を入れた飲み物のコップが二つ、置いてあった。

 タギはパンがゆを取り上げて、スプーンで少しすくって口に持って行って温度を確かめた。丁度人の体温ほどにしてあった。タギはランの背中に手を入れて上体を起こしてやり、背中に枕を入れて姿勢を安定させた。ランに触れた手が熱かった。それからかゆを入れたスプーンをそっとランの口元に持って行った。

 ランは小さく口を開けて、差し出されたかゆを口に含み、調子を確かめるように何回か噛んでいたが、やがてゆっくりと飲み込んだ。


「どう、食べても大丈夫そう?」

「うん」

「じゃあもう少し」


 タギが差し出した二すくい目のかゆも口に入れて飲み込んだ。ランがタギの差し出すかゆをゆっくりと食べている間に、タギも自分のために用意されたものを口に入れた。

 マルシアが水をいっぱいに入れた水差しと、固く絞った布を持って入ってきたのはタギが自分の分を食べ終わり、ランが三分の一ほどを食べた後だった。二人とも果物の絞り汁を飲んでいた。マルシアは盆の方へちらっと視線を走らせた後、水差しと布を机に載せた。


「ちゃんと食べているようだね、よかったよ。水はここに置いていくからね」

「ありがとう、マルシア」

「ありがとうございます、マルシアさん」


 タギとランの声がそろった。


「何か用事があったら遠慮なく言っとくれ。たくさん食べて早く元気になるんだよ」


 マルシアがからになったタギの皿と、コップを持って部屋を出て行った。タギはまたスプーンをランの口元に持って行ったが、ランは首を振った。


「もうこれくらいでいいみたい」


 タギはランの背中から枕を抜いて、もう一度体を横たえてやった。まだランの体が熱を持っていることが、タギの手に伝わった。


「ゆっくりお休み、傍に居てあげるから」

「ありがとう、タギ。時々熱を出すのも悪くないみたい、こんなに大事にされているんだなって実感できるもの」


 タギは笑ってみせた。こんな軽口が言えるだけ楽になっているのだろうと少し安心できた。マルシアが持ってきた布をランの額に載せた。


「お休み」

「お休みなさい」








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