第7話 レリアンの市 4章 “敵”の影 4

 ヤードローの小屋の中は乱雑に散らかっていた。部屋の真ん中に鉄製のストーブが一ヶ置いてあり、その周りだけが少し整理されていた。部屋の隅にある椅子にヤードローはどしんと腰掛けた。椅子の前のテーブルの上には食べ物の残りがくっついたままの皿や、洗ってないスプーンが転がっていた。酒瓶が二本、一本はテーブルの上に転がされており、もう一本はヤードローの目の前に立っていた。

 もう一つの椅子の上にはがらくたが積み上がっていた。タギは立っていた。腰を下ろす隙間さえなかったのだ。


「大きな鳥のことを訊きたいのか?」


ヤードローがあらためて念を押した。タギが頷きながら答えた。


「そうだ」


 ヤードローが少し顔を上に向け、唇を結んで腕を組んだ。それから組んだ腕をほどいて右手の人差し指で鼻の頭をかきながら、


「あんた、あの鳥のことについて何か知ってそうだな。そうだな、あれを見るようになったのは一年くらい前からかな。夜空を横切っていくものに気づいたのさ。星の光を遮って飛んでいくんでね。最初は何を馬鹿なと思ったよ。とうとう酒が頭に来たかなってね。ところがある晩満月を横切るのを見たのさ。一瞬だったけどな。長いしっぽを持つ獣に羽が生えているような感じだったよ。酒を買いに行くついでに村の連中も見てないか聞いてみたが、また俺がほらを吹いてるとしか、やつら思わねえ」


 翼獣だ。姿形も一致する。


「そいつはどの方向へ飛んでいった?一頭だけか、何頭も一緒に飛んでいたのか?そいつの背中に何か乗ってなかったか?」

「そんなにいっぺんに訊かれても答えられねえよ。そうだないつも東西に飛んでいたな、東から西、あるいは西から東だ。オービ川の向こうに巣があるんじゃないか?何匹いるかは分からねえな、何せ昼間は飛ばないんだ。だから背中に何かを乗っけているかどうかも分からねえ」

「何日に一度くらい飛ぶんだ?」

「分からねえ。俺だって毎晩起きてる訳じゃなし、見たのはこの一年で三、四回だな。そうだな、夏は外で酒を飲むのがうまいから遅くまで呑んでることがよくあったが、そのときに見たのは一回切りだ。あんまり何度も飛ぶようじゃねえな」

「一ヶ月ほど前には見てないか?」

「一ヶ月前?おおそうだ。見たぜ、夜明け前に東の方へすっとんでったぜ。いつもは悠然って感じで飛ぶのになんかそのときはひどくあわてているように見えたな」


 ゴドがハンドレーザーを見つけたときかも知れない。ヤードローはいつもと様子が違ったという。それを裏付けるようなものは何もなかったが。


「鳴き声を聞かなかったか?」

「鳴くのか?あれ。いいや一度も聞いたことがないな」


 タギは考え込んだ。自分がこの世界へ来たのなら、“敵”も絶対に来られないなどということはないはずだ。そのときに“敵”の使役獣だって来ることができるかも知れない。この男が言うようにいつも東西に飛ぶのなら、オービ川の向こうに根拠地がある可能性がある。確かめなければならない。


「ところであれは何なんだ?」


 タギの考えにヤードローの声が割り込んだ。タギは現実に引き戻された。


「“敵”の使役獣だ。翼獣と俺たちは呼んでいた。戦闘獣の一種だ」


 ヤードローには何のことか分からなかった。


「使役獣?翼獣?何のことだ?」

「ああいう奴のことさ。俺たちもやつらのことを知っていた訳ではない。ただ命がけで戦う相手だということしか知らなかった」


 ヤードローが眉をひそめた。てんから信用していない表情だった。タギにもそれ以上の説明をする気もなかった。説明しても分からないと思っていた。

 タギは懐から銀貨を二枚取り出した。それを差し出しながら、


「邪魔したな、また話を聞きに来るかも知れないが、そのときはよろしく頼む」


 ヤードローが不思議そうな顔で銀貨に手を出した。手に取った銀貨を裏返したり、斜めにしたりしてしげしげと見つめた。


「へえ、こんな話が金になるのか?銀貨とはまたずいぶん気前がいいんだな。でもこれでまた酒を買う金ができたな」

「オービ川の向こうのどの辺りに巣があるか教えてくれればもっとはずむぜ」


 ヤードローがタギを見た。これまでと違う光が眼にあった。酒のせいで焦点が合ってなかった眼が鋭い光を帯びている。その表情はヤードローがこれまでの人生を、ただ森番だけをやって生きてきたわけではないことを教えていた。


「こんなに気前がいいってことは、あれは相当に危ないものなんだな?」

「ああ、巣を見つけようと思ったら命がけだな」


 ヤードローがにやっと笑った。眼の光が和らいで愛嬌のある顔になっていた。


「見つけたらいくら呉れる?」


 タギもにやっと笑った。ヤードローの背中を叩いて、笑いながら言った。


「無茶をしたら本当に命が危ないぞ、でも見つけてくれたら金貨で払うぜ。そのときあんたが生きてたらな」

「少し気を付けて見ているようにするよ。見つけたらどうすればいい?」

「私はレリアンの『蒼い仔馬亭』に泊まっている。帳場でタギと言えば分かる。そちらまで知らせてくれればありがたい。だが本気でやってくれるなら、何日かしてからもう一度顔を出すが・・」

「成り行きってことだな。まあやってみるよ」

「オービ川の向こうに行けるのか?」


 今までそんなことは考えたことがなかった。川を渡って蛮族の地に行く必要などなかったからだ。


「川漁師がいるからな。普通は向こう岸には舟を着けないが、頼めばやってくれるよ」

「そうか・・・、あんたから連絡がなくてももう一度顔を出すよ」


 ヤードローの小屋を出たときはもう夕方の陽が傾いていた。タギはレリアンへの道を急いだ。歩きながらでも、これからどうするべきか考えることが多かった。

放ってはおけない。“敵”が少なくとも一匹、この世界にいることは確かだ。使役獣ではハンドレーザーを使えないから、あそこにハンドレーザーを落としたのは“敵”に違いなかった。探し出して、できることなら始末しなければならない。翼獣も一匹はいる。どこに根拠地があるのか?どれくらいの数の“敵”と使役獣がいるのか?翼獣の他に巨大獣もいるのか?そして“敵”の武器はどれくらいあるのか?タギはナイフとベルト、それに双眼鏡以外の物を持たずにこの世界に来た。“敵”はハンドレーザーを持ち込んでいる。他にも持っていると考えた方がいい。いずれにせよオービ川の向こうに調べに行かなければならない。もうすぐ冬だった。蛮族の地は厚い雪に覆われるという。雪をおしてでも行くべきだろうか?来春を待つべきだろうか?そして自分が“敵”の偵察に行くときランをどうしたらいいのか?ランにどう説明したらいいのか?ランを連れて行くのは危険すぎる。でもランをおいて行くことができるだろうか?おいて行かれることにランが納得するだろうか?

レリアンの町に帰り着いたときにも、まだなにも結論が出ていなかった。





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