第9話 シス・ペイロスの神 2章 神殿 1
愛想のない宿屋の主人に金を払い、タギたち三人は部屋へ案内された。馬を厩に預けるとその分も請求された。アトーリの宿は本当に泊めるだけの宿で、木の床の上に自分の持ってきたものを直に敷いて寝るのだ。一つ一つの部屋は大きく、混んだときは相部屋になる。それでも客が少ないときに当たったようで三人に一部屋があてがわれた。食事も自分たちで用意する。さすがに火を焚く場所だけはあったが、鍋も食器も薪もなかった。薪は宿で買うことになっていた。町の外ならいくらでも薪を手に入れることが出来るが、町中では勝手に木を切ったりすることは出来なかったからだ。タギが荷物の中から取りだした小さな蝋燭の火に照らされて、ゆでたジャガイモと干し肉、チーズそれにお茶だけの質素な夕食を摂りながらランはタギを見ていた。ランの眼からはタギは機嫌良く食事をしているように見えた。
危険なことがあるかも知れないとタギはずいぶん気にしていた。ここまで来るのは楽ではなかったが、危険を感じたことはランにはなかった。無事にシス・ペイロスへの旅も済んだみたい、ランはほっとしながらジャガイモを食べていた。もう一度同じ道をたどってランディアナ王国へ帰るのだわ、タギと二人だけならもっと違う旅だったかも知れないけれど、ランはそれにほっとしているようでもあり、残念だったようでもあるような複雑な気分だった。
食事が済むとすぐに蝋燭の火が消された。三人は荷物の中から毛布を出して被った。ランとヤードローはすぐに眠りの中へ落ちていったが、タギは長いこと暗闇の中で目を開けていた。やはりどうしても確かめなければならない、その分かり切った結論に達するのに、タギは長い間迷った。
次の日、三人はアトーリを朝早く出てクルディウムへ昼前につき、クルディウムで食料を分けて貰った。タギが怪我人の治療をしたことが、クルディウムの住民をタギ達に対して好意的にすることに役立っていた。腹に負傷して腹膜炎を起こしていた男はもう死んでいたが、他の三人、特にタギが気にしていた胸に負傷して血気胸を起こしていた男は呼吸状態も落ち着き、元気になっていた。けが人の家族達が出てきて、タギに丁寧に挨拶し、留守を任されていた村人達がヤードローの求めに応じて食料を売ってくれた。食料を入れた袋を背に積んだ馬を引いてクルディウムを出て行く三人を門の所まで送って、何人かの女達がタギに頭を下げた。タギが手当をした男達の家族だった。
タギが足を止めたのはクルディウムを出てから二里ほど歩いたときだった。曲がりくねった森の中の道からはもうとうにクルディウムの集落は見えなくなっていた。
急に足を止めたタギを見て、ランはどうしたのかというように小首をかしげたが、ヤードローはやっぱりなという顔で頷いた。自分を見つめるランとヤードローにきっぱりとした口調でタギは言った。
「ラン、ヤードロー、私はアトーリでどうしてもしなければならないことがあるから、ここから引き返す」
ランはびっくりして、目を丸くした。じゃあ私も一緒に、と言いかけてタギの様子に気づいた。タギは真剣な顔でランをじっと見つめていた。
ランは一瞬で悟った。
タギはとても危険なことをしに戻るつもりなのだ。そして、そのことをするに当たって私は足手まといなのだ。私が一緒にいるとタギの邪魔をし、タギの危険を増すのだ。一緒に行ってはいけないのだ。
「タギ・・」
ランの目に涙が盛り上がってきた。タギがランに近づいて、抱きしめた。
「ラン、私はおまえの所に戻ってくる、必ず戻ってくる。おまえの頭に誓ったのだから。だから、今だけはヤードローと一緒にシス・ペイロスからできるだけ早く出て欲しい」
ランにはそれ以上言えなかった。タギの言葉に従うしかないことが分かりすぎるくらい分かっていた。
「タギ・・。―私待っているから。タギを待っているから・・・」
タギの唇がランの唇に重なった。ランは懸命にタギの舌に自分の舌を絡めた。タギの背中に回した手に力を入れた。離したくなかった。このまま、抱き合ったまま死んでも良かった。タギのそばを離れるのが情けないほど心細かった。
―私、莫迦だわ。タギと離れるのがこんなに心細いなら、どうしてタギを自分の体に刻みつけておかなかったのかしら。一昨日の晩だって、どきどきしながら、体を固くしてタギにしがみついているだけだった。抱いて欲しいとなぜ言わなかったのかしら。タギがいつでも傍らにいると思っていたからだわ。そんなことがあるはずがないことも分からなかった。私、本当に莫迦だわ。
「タギ、私待っているから。ちゃんと待っているから、できるだけ早く帰ってきて・・」
ランの背中に回したタギの腕に力が入った。息が出来ないほど強く抱きしめて欲しい。いつまでも、いつまでも抱いていて欲しい。
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