第18話 王都争乱 4章 カリキウス 5


 そして、


「ミランダ!戻ってきたの?」


 セルフィオーナ王女の部屋の前にミランダが立っていた。ため息をつきながら荒らされた部屋を片付けようと、サンディーヌと一緒に自室に戻ってきた時だった。


「はい、殿下」


 ミランダはいつもと変わらぬように軽く頭を下げ、優雅に挨拶した。


「ちょうど良かったわ、片付けるのを手伝ってちょうだい」


 部屋は足の踏み場もなかった。その中から、当面必要なものだけを選びだして、とりあえず“奥”に避難するつもりだった。狼藉者たちが手を触れたかもしれない服や下着など棄ててしまいたかったが、こんな状況下では新しいものがすぐに手に入るわけではなかった。


「仕方がないわね、洗濯に回して」


 部屋の片隅に必要なものを積み上げながらサンディーヌに命じた。サンディーヌは両手いっぱいに洗濯物を抱えて洗濯場の方へ歩いて行った。サンディーヌが遠ざかるのを確認して、


「ミランダ」


 ミランダに声をかけた。ミランダは床に散らばったものを片付ける手を休めて、王女を振り返った。


「はい」

「アンタール・フィリップ様はご無事なのね?」

 

 もちろん無事だろうとは思っていたが、きちんと確かめておきたかった。


「はい、左肩に傷を受けられましたが、お命に別状はございません」


 セルフィオーナ王女はふーっとため息をついた。


「良かったわ」

「手勢を整え次第ランドベリに戻るとの仰せでした。おそらく三、四日の内ではないかと思います」


 セシエ公の軍は、常備軍である親衛隊はもちろん、動員される領民たちもよく訓練されている。数千の手勢を集めるだけであればそれくらいの日数で十分だろう。


「さて、これからどうなるのかしら?まったくカリキウスも余計なことをしてくれたわね」

「御意」


 セルフィオーナ王女はマギオの民であるミランダをみて肩をすくめ、ミランダは短く答えて頭を下げた。




 セシエ公が王都に戻ってきたのはそれから三日目、脱出してから四日目だった。セシエ公の手勢が近づいてくるのに気付いた王都の市民はすべての門を開け放ち、セシエ公が入城するであろう北門の外に市民の有力者が並んで出迎えた。


「お帰りなさいませ、お待ち申しておりました」


 北門の外に並んだ有力市民を代表して、深々と頭を下げながらセシエ公に挨拶したのは王国で一、二を争う大商会の会頭だった。セシエ公は会頭に軽く頷き返してそのまま馬を進めた。北門から王城までの街路はそこで闘いがあったことなどないかのようにきれいに片付けられ、掃き清められていた。死者たちはすでに埋葬されていた。死体を放置しておくと疫病の原因になることは市民たちも知っていたからだ。セシエ公の家人とセシエ公を襲った者たちとは区別されて別々の場所であったし、襲撃者たちの扱いがぞんざいであったことは仕方がなかった。石畳を兵たちが行進するリズミカルな足音が響いた。家の外に出て、行進する兵たちを見る市民の顔には、やっと王都の平安を保障する力が戻ってきたことを安堵する表情が浮かんでいた。


 王城外壁の正門前にはカリキウス一人がセシエ公を待っていた。平服で鎧も着用しておらず、腰の剣も外していた。セシエ公の直衛の兵に囲まれてカリキウスは頭を下げた。


「カリキウス」


 セシエ公の声はどこまでも冷え切っていた。


「はい」


 カリキウスが頭を下げたまま答えた。


「なぜだ?」


 何を問われたのか、カリキウスは少し躊躇って、


「この国の権が欲しゅうございました。の手に」


 セシエ公が眉根を寄せた。


と、そう申すのか?」


「はい、私一人でございます」


 セシエ公は頭を下げたままのカリキウスを見つめた。顔が見えない、表情がうかがえない。


「面をあげよ」

「いえ、恐れ多いことでございます」


 カリキウスはますます頑なに姿勢を固くした。


「お前一人・・・」


 セシエ公は呟いて、カリキウスに対して言葉を継いだ。


「それを言うために残っていたのか?」


 カリキウスの肩がピクリと震えた。しかし、カリキウスは顔も上げず、姿勢も変えなかった。


「アラクノイの雷光で私を襲わせたのもおまえか?」

「はい」

「どうやってあんな者とつなぎを付けた?」

「私の領地はオービ川沿いでございます。曾祖父の代にオービ川で傷ついて流れてきたフリンギテの者を助けたことがございます。あんな蛮族でも内部争いはあるようで、結局その者が属している方が勝ったのですが、それを恩に着てフリンギテ族がその後も領地の方へ出入りするようになりました。少し前、たまたま領地に来ていた者から雷光について聞きました」

「雷光の威力を確かめたのだな?」

「はい、牛を一発で倒しましたし、領地までムィゾーに乗って参りました。公爵様を襲うのに持って来いかと存じました」


 セシエ公はカリキウスをじっと見詰めた。周りにいる兵たちが不審に感じるほどそれは長い時間だった。その間カリキウスも同じ姿勢を保っていた。セシエ公がおもむろに口を開いた。


「フィオレンティーナ様にはご退位いただく。お前のような不届き者をそばに置いておきながらお気づきにならなかったのは、為政者としての資質に疑問が湧く。ジェルミナ神殿の管理をしていただこう。ジェルミナ神はランド王家の主神でもあるのだから」


 カリキウスの頭がわずかに動いた。思わず頭を上げてセシエ公を見そうになり、また慌てて頭を下げた。カリキウスの顔の下の地面に涙が落ちた。


「私は、敵であってもことさらに酷く殺す趣味は持ってない。しかしお前は私の大事なものを壊した。私の怒りを示す必要がある。それは覚悟してもらおう」


 カリキウスの頭がわずかに低くなった。しかしそれ以上は姿勢も変えず、声も出さなかった。


「連れて行け」


セシエ公が周りの兵に命じた。



 次の日の朝、四肢を切断されたカリキウスの死体が外城壁正門の外に晒された。それは白骨化するまで放置され、その後粉々に砕かれて海に捨てられた。


 カリキウス子爵の領地―アラウエ―は15日後にセシエ公の軍に蹂躙された。ランドベリでセシエ公館襲撃に加わった男達の半数ほどがアラウエに戻っていて、カリキウスの一族とともにそこで殺された。抵抗の意思のない領民はあらかじめ領外に逃れていた。セシエ公の軍はアラウエをほぼ更地にしてしまったが、領外に逃れた領民まで殺すことはなかった。












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